9-24(232) 喧嘩と仲直り
同棲を開始して三ヶ月が過ぎ、春を迎えていた。
護衛の仕事に関しちゃ、碌に仕事らしい仕事をまだしていなかった。カジノの警備員のときも思ったが、世間のみんなはあまり暴れないんだな。ケルン市ではオレもジークさんと一緒にはっちゃけたものだったが、あそこじゃ誘拐事件もあったし、マフィア同士がドンパチやってたってのもあったからな。当時、葵さんやジークさんと一緒に躍起になって誘拐事件の関係者を一掃しようとしていたが、改めて考えると狙われるってのはおっかないもんだと思う。それに比べて、いまの仕事のなんと退屈なことか。マーレライの護衛どころか、ほかの面子がどこそこに出掛けると言えば、その用心棒として出張ったりしているわけだが、諍いが起こりそうになったときにはちょっと脅してやれば相手もすぐ大人しくなるんだから、簡単だった。ま、要は、商会の都合の良いように使われてるってだけなんだがな。
仕事外では打ち解けた連中と笑い合ったり酒を飲んだりして、不真面目に過ごしていた。服装もカジノのときよりも気楽なものにした。黒の燕尾服とか窮屈な恰好して用心棒もないからな。季節が変わると、カレンがオレを連れ回してはオレに似合うだろうと言って様々な春物の服を買った。二人で働いていたから、若干暮らしにも余裕ができたんだ。
そうして真っ当な服を被って気取った連中とつるんでいると、マーレライ商会がある港町じゃあ、少しはオレの顔も売れ始めて、酒場で女が寄ってくることもあった。だが、カレンがいるからオレはほかの女共には手を付けなかった。手を付けなくっても、ちょっと酒の匂いや香水の匂いを衣服に付けて帰ろうものなら、彼女はすぐに嫉妬するんだ。なにに嫉妬? いや、すべて彼女の妄想だ。オレがその嫉妬深さを咎めると、私は嫉妬深いんだと開き直るもんだから打つ手がなかった。
ストレスがッ、溜まってきていた。
仕事にじゃない。カレンとの同棲生活にだ。謂れのないことで問い詰められることも多かったし、彼女はとにかくオレと話をしたがった。オレと? いや、オレとじゃない。喋るのはあくまで彼女だけで、オレは彼女の話をちゃんと聞いているかのように返事をするだけ。そして数日後にまた同じ話を彼女が切り出し、
「あれ? この話、前したっけ?」
と問われたときに、きちんと正答できれば合格。間違えれば、途中で
「やっぱりこの話前も話したよぉ。」
と、一度話したという事実を思い出した彼女に怒られることになるんだ。いやいや、彼女がいつもオレと関わりのある話をしてるってんなら、数多のエピソードが語られたって、多少は覚えておいてやるってもんさ。でもな、彼女が話すのは大抵、オレと全く関係ない彼女の友達の話だったり、知り合いの話だったりするんだから、そんなもん、一々覚えてられるはずがないんだよ。で、彼女ときたら、
「やっぱり私の話なんて、いつも聞いてないんだからッ。」
と、またヘソを曲げるんだ。
そんなことを繰り返す会話に辟易させられたから、一度、どうしてそんなに喋るのかと尋ねたことがあった。すると彼女、黙っていると不安になるんだと答えた。それから、
「私と話してるの楽しくない?」
と聞いてきたから、
「楽しくなくはないけど、オレの知らない誰かの話でさ、しかも同じエピソードを何度も繰り返されると、やっぱ飽きるよ。」
と返すと、
「こっちだって、話のネタが尽きるんだからッ。」
と、最終的になぜだかオレの方が怒られるわけ。
そして、オレにもなにか話せと彼女が言うから、仕事中の話をしようと試みたんだ。
だが、いざ話を切り出してみて、困ったことになった。仕事の内容を話しているのはいいのだが、話す目的がないから、途中でなにを話すべきなのかが判らなくなったんだ。もちろん、混乱している間も一応、仕事のことを話していて、ただ、自分で話してて面白くない話であることは判っていたし、聞いても面白くもなかろうと思ってしまって……、かといって気の利いたオチも思い浮かばず、着地点が見つからない。
だからオレはなんだかよく訳が判らないまま、また黙ってしまったんだ。
仕事仲間とはくだらないことで馬鹿笑いしながら話してたりするのにな。付き合ってる女とこうも話が噛み合わないとは、おかしなもんだと思った。だが、仕事仲間とはいつも一緒にいて共通の知人も豊富。となれば、そんな連中との会話の方が弾むのも当然か、とも思った。思えば、カジノで働いていたころはカレンと話すのに困ったことなんて一度もなかったんだ。いまは同棲しているけれど、いつも二人きりで、一緒に外で誰かと会う機会も少なくなっていたから。
そう思ったから、彼女とは積極的にいままで行ったことのない場所だとか、見世物や芝居を見に行った。話題がないと不平不満を言ってたって仕方ないんだ。オレたち二人の新しい話題を入手しなきゃ。
それでも些細なことをきっかけにした喧嘩は絶えなかった。同じことをきっかけにして、何度も何度も言い合いになった。
「もう無理して話さなくていいから、少しは黙ってろよ。」
あるとき、ちょっとキツメに彼女にそう言ってしまった。そうオレが言う以前から、彼女が話をしているときにオレがつまらなそうにしていると、彼女は表情を曇らせ、なにかに怯えたように視線が揺れた。そんな彼女の顔を見ると、胸が締め付けられたように痛んだ。だからオレも一生懸命、彼女の話に耳を傾けていたつもりだったが、我慢も長くは続かなかったんだ。
「じゃあ、もう私、ダニーとなにもお話できないね。」
彼女がプイッと顔を背けて、唇を尖らせた。オレは申し訳ない気持ちになり、彼女に謝りながら彼女の手を取った。
「触るなッ。」
彼女がオレの手を振り払った。そんなふうにされると、オレはますます反省の念に駆られて、なんとか彼女のご機嫌を取ろうと、楽しいスキンシップを試みた。
そうして、身体を重ねることで仲直りした。それはまるで傷付いた彼女を慰めるような感じだった。自分で傷付けておいて? だが、彼女がぎゅっとオレを抱き締めると、そんな疑問も些末なことのように思えた。
そんな感じで喧嘩と仲直りを繰り返しながら暮らしていたある日、アパートに帰宅した彼女が
「カジノやめてきた。」
と言った。
「仕事探さなきゃ。明日から無職だわ。」
彼女は清々しい笑みを浮かべた。
兆候は年明けのころからあったんだ。新しく配属されたマネージャーに、あくせく働かず口だけ達者に動く給士連中の派閥、そんな連中の態度を容認する支配人……。誰かがそいつらの犠牲になれば、その誰かを守るために連中とやり合うカレン。
カジノでの出来事の話にはオレの知っている人物も登場するから、いつも面白く聞いていた。誰それがこんな非常識なことを仕出かしただとか、それをこうやり込めただとかは、聞いていて痛快だったし、オレはそんな彼女のことを尊敬もしたし、好きだった。だから「やめてきた」という彼女の言葉を聞いても、まったく残念ではなく、むしろ面白かった。ついにッて感じだった。
聞けば彼女、連中の横暴をもう腹に据えかねて啖呵を切って出てきたのだという。その逸話をオレは称賛した。
「“ やめておめでとうパーティー ”しなきゃね。」
そして、彼女の素晴らしい提案にオレは同意した。
春だし、この陽気を楽しまなきゃな。




