9-22(230) マーレライ商会
タケシに連れて来られたのはフロア市フール町より北にあるテスノア町という海沿いの町。造船所をはじめ、様々な地域からの船が乗り入れる大きな港もあるほか、魚の水揚げ量も豊富とあって、エルメス国内有数の港町として知られている。
潮風にやられて錆が目立つ5階建てのビルの前。
海鳥が空をクゥクゥ鳴きながら舞っている。
オレの初出勤日。
タケシが先導してビル内に入り、オレはその後に従う。
薄暗い階段を上がり、ある部屋の前でオレを残してタケシが一人、室内に入った。ちょい待っちょれ、とだけ言われたオレは廊下を端から端まで見渡してみた。道路に面した建屋を見たかぎりそれほど大きくなかったが、奥行きは結構あった。一階には居酒屋、二階には証券会社、三階には画材店、四階には漁業組合が入居しており、いまオレが突っ立っている五階にはマーレライ商会というのが入っているようだった。マーレライ商会……タケシによれば、商会が表でなにをしているのか知らないが、裏ではリヴィエ一家と繋がっているどころか、その傘下に入っており、フロア市やポポロ市で幅を利かせているらしい。実際、タケシたちの警備員派遣業務もマーレライ商会の息が掛かっている場所への派遣だったようだ。リヴィエ一家と聞くと、スティーブ誘拐事件のことを厭でも思い出してしまうが、いまはリヴィエ一家との因縁のことは忘れておこう。あれはもう、過去のことだ。
まもなく、タケシが小さくドアを開けて顔を覗かせると、
「おう、来い。」
とだけ言って、オレに入室するよう催促した。部屋へ入ると、そこには強面の男たち数人と、大きな机の奥にふんぞり返っている偉そうな男がいた。頭が前から禿げ上がり、恰幅が良く、日常的に良いモノを食べているものと察せられる。
「マーレライさん、こいつがワシの代わりにマーレライさんの護衛に付くダニーです。」
「どうも、これからお世話になります。ダニーと申します。」
タケシの紹介に合わせて、挨拶すると、マーレライって奴がオレのことをジロジロと舐めるように見た挙句に、
「まだ子供じゃないか。こんな餓鬼になにを任せられるってんだ?」
と、会うや否や早々にクレームが入る。
「ん、そりゃ、経験とかそういうのがありますけえ、一言指示してあとは任せるわっつうわけにゃいかんじゃろうけど、細かく指示しちゃりゃあ、ある程度はこなせるじゃろうし、それに、こいつはそこらの兄さん方より断然動けるけえ、ま、問題なかろう思うんですが。」
「ふん、タケシさんが言うんなら間違いないんだろうが、一度だけ試してみていいか?」
「ええよ。好きにしんさいや。」
マーレライとタケシが勝手に話してるが、試すってなんだ? オレは是が非でもここで働きたいわけじゃないんだが、そういうのは当人の了承を得て為される類のものじゃないのか?
そんなことを考えながら、マーレライの野郎を睨んでいると、野郎が顎で室内にいる男のうちの一人を示して、
「モロン。」
とだけ言った。野郎の視線の先にいる男を見た。奴さん、野郎の呼び掛けに短く返事すると、オレの方を見た。一体、これからなにをしようってんだ? 薄気味悪い笑みを浮かべてやがる。奴さん、オレの方へ一歩踏み出したかと思うと、スッと懐に手を伸ばした。
拳銃か!?
男の挙動にそんな予感がしたから、オレは床を蹴って、壁に激突する勢いでマーレライの席の方に跳んだ。バンッと激しく肩が壁にぶつかる。自分の足で跳ねておきながら、まるで誰かにブッ飛ばされたような感覚。くっそ痛ってぇ。マーレライの方に視線を向けると、野郎、椅子をずらしてオレから距離を取るように仰け反っている。馬鹿がッ、怖いならまず立てよッ。オレは急いで野郎の背後に回って、野郎の両脇を抱えて立ち上がらせると、そのまま野郎の肩を壊すつもりで両腕に力を込めた。
「おうッ、いきなり殺そうとしやがったなッ? ええ根性しとるのぉッ?」
わざと大声で、野郎の鼓膜を破ってやらんばかりに怒鳴ってやった。
オレの怒声のあと、水を打ったように静まり返る室内。誰もが呆然としているようだった。チッ、間抜けっ面が並んでやがる。モロンとかいう奴の手には案の定、拳銃が、ん? 拳銃が、握られて……いないッ? いないだとッ? その手には拳銃じゃなく、一枚の紙切れが握られていた。
「はッはッはッはッはッはッはッ……。ダニー、ワレ、モロンさんの懐から拳銃が出てくるんじゃないかぁ思うたんじゃろッ? ブチ受けるんじゃがッ。はッはッはッ。」
オレが目を丸くしていると、タケシの豪快な笑い声が室内に響いた。その言葉にさらに目を丸くしていると、
「だ、誰もお前を殺そうとはしていない。」
とマーレライの野郎が苦し気に呻きやがったから、オレは目を白黒させつつも拘束を解いてやって、
「オレの早とちりもあったけど、そっちが試すとかなんとか言ったあとにで? 懐に手を入れられたら、誰だって銃が出てくると思うだろッ?」
と抗議した。
「ぷぷーッ。おお、お前、言葉までおかしゅうなっとるでッ。」
さっきからタケシが一々笑ってやがる。もお~ッ、こっちは必死だったり恥ずかしかったりで一杯いっぱいだってのにッ。
「まったく、タケシさんもだが、この兄ちゃんも人間離れしてるな。」
野郎が肩と首をほぐすように動かしながら、呆れたように言う。いまの無礼についてまるで怒っていないようだった。そりゃ自分で撒いた種だから、腹も立てられないだろうさ。ここでオレみたいな餓鬼に怒っちゃあ、マーレライの名前に傷が付くとでも思ってんだろ?
オレはモロンって奴の方へ歩を進めながら、
「言葉はちょっと移ったみたいにゃ。」
とタケシの方を向いて答えた。
「ふ、いまのはわざとじゃろ。」
「ああ、さすがにアキさんのは移らんわ。」
それからモロンへ視線を移し、オレは懐から銃が出てくると早とちりしたことを詫びてから、紙を受け取って目を通した。そこには地下格闘技の参加選手募集要項が書かれていた。
「これは?」
「ああ、この近所の雑居ビルの地下で、毎晩異種格闘技戦が行なわれているんだが、兄さんに今晩、そのリングに上がってもらい、闘ってもらう。そこで無事に勝てれば、タケシさんの代わりとしてマーレライさんの護衛に付いてもらおうと思う。」
要するにやっぱ力試しってことだろ? オレの予想どおりじゃないかッ。ただ、相手が銃を抜いたマフィアじゃなくて、格闘技のプロってだけで。
「判りました。ところでこの異種格闘技戦ですが、武器とかはなしですよね?」
「ああ、格闘技だからな。武器は使用禁止だ。」
「なら、問題ありませんわ。」
オレは精一杯恰好を付けて、ハッタリをかました。問題ない? いやいや、ないわけがない。なにしろオレはこれまで喧嘩らしい喧嘩さえしたことない穏健派だってのに、いきなりプロの格闘技野郎と闘わなくっちゃならないんだ。
「試合の時間までは自由にしてていいッスか?」
「ああ、試合参加の申し込みはこちらでしておくから、入場時刻までは好きにしていいぞ。」
ふう、と息を吐く。内心、ヒヤヒヤしている。いまから晩まで、タケシにいろいろ教えてもらわないとッ。




