9-21(229) ムカついた
ストーブの火が煌々と室内を赤く照らしていた。外は凄く寒いが、室内はストーブとその上に置かれた鍋から沸き立つ蒸気のせいで暑く、薄ら汗ばむほど。酔いが軽く回ってきた頃には、帰るためとはいえ外へ飛び出すのも億劫になり、ほどなくして靖が夕飯にサンドイッチをご馳走してくれたことから、そのまま温かい部屋にずるずると居座ってしまった。
靖はアキと付き合っていないと断りを入れてから、それでもアキのことが好きだと言った。好きなクセに、店ではアキに対して無関心を装っていたし。案外、靖は奥手なのかもしれないな。好きならそれなりの態度を示しなよと焚き付けてみても、靖は空返事ばかりで気乗りしない様子。タケシに対し、上からモノを言ってた男と同一人物とは思えない。あの恐ろしい集団をまとめているタケシと対等以上に話せるクセに、その集団の中の一個人には臆病になってるんだからおかしなものだ。ま、そもそも靖は謎の多い奴で、アキも他の連中も靖と同様に謎の多い人たちだから、思考回路も一般ズレしているのかもしれない。そういえばタクヤが以前、靖のことを変わり者だと言ってたっけかな?
いずれにせよ、アキのことを話題にしたって、オレが触れてみたいと思っている謎についてはただの一つも解明されなかった。
グダグダと男二人で駄弁っているところへ、ゴンゴン、とドアを叩く音。
これには靖も眉をひそめた。どうやら夜更けの来訪者に心当りはないらしい。
「は~い。」
と間延びした声を発して、ドアへ向かう靖。
開けられたドアの向こうに姿を現したのは、なんと噂のアキだった。
「こんばんは。」
心なしか、アキの声音は店で聞くときよりもか細かった。
「ああ、こんばんは。どしたん? ま、上がりなよ。」
「お邪魔します。」
ギシギシと廊下を踏みしめる音とともに、
「お酒、飲んでたの?」
「ああ、今日はいい酒の相手がいてね。」
という会話が聴こえてくる。
「酒の相手って……!!」
オレの姿を認めたアキの目の色が変わった。
「ダニー?」
「どうも、アキさん。」
そう挨拶しながら、オレはなんだかヘンテコな心境に陥っていた。なんだか靖の恋人に浮気現場を目撃されたような、そんな感じ。靖の浮気相手がオレっていう……。オエ、想像しちまったら吐き気がしてきた。ま、つまるところ、オレはアキも靖に気があると踏んでるのだが。
「なんの話をしてたの?」
アキが靖に尋ねた。彼女の手には両腕にすっぽり収まるくらいの鍋が抱えられていた。
「別に、ただ、恋の話をしてただけだよ。」
「恋!?」
「そう、僕が、アキちゃんのことが好きだっていう、そんな話。」
靖の戯言を聞きながら考える。いま、靖は何気に告白しているところなはずなのに、なぜだかアキをからかっているだけのようにも受け取れる。なんだろ? 靖の言葉から、誠意が感じられない。
「はッ、それで、私はなんて応えたらいいのかしら?」
「別に、特別なことは期待してないからね。いままでどおりでいいよ。厭になったら、僕のことは忘れてくれればいい。」
「なにかの芝居に影響された? どんな色男が出てくる芝居よ?」
「ロミオとジュリエット。」
靖の答えに、アキが声を詰まらせる。
「持つよ。」
言葉を失ったアキの腕から、靖が鍋を受け取ってテーブルの上に置いた。
「いつもありがとね。」
「いえ、このくらい、なんでもないにゃ。」
“ にゃ ”が出た。いつ、どんな言葉のあとに付くのかその法則すら明らかでないが、ときどきこの“ にゃ ”が可愛らしかったりするんだよな。
アキが持ってきた鍋の中には美味そうなビーフシチューが入っていたんで、遠慮しながら強く勧められたのでオレもシチューをご馳走になった。2人の関係のことを思えばお邪魔虫は早々に退散した方がいいのかもしれなかったが、惚れた腫れたの話はともかく、靖とアキの会話に興味があったから、とりあえず居残っていた。逆に、酒もあるし料理もあるしで、帰る理由こそないんだよな。
「私も靖さんのことは好きよ。」
しばらくして、アキが唐突にそう言った。へ? と思った。
「ありがと。僕もアキちゃんのことは好きだよ。」
そして靖のこの返事。
ムカついた!
「オレも靖さんとアキさんのことは好きッスよ。」
ムカついたから、とりあえず口を挟んでおいた。
「はは、僕もダニーのこと、嫌いじゃないぜ。」
「ダニーも無茶するとこあるから、誰かさんと似てるにゃ。」
そう言って微笑む二人を眺めながら、いまが一番楽しいときなんだろうなぁとか思ってみたり。一方のオレはどうだ? カレン? オレは一度でもカレンとこんなヘンテコで甘酸っぱいような茶番を演じたことがあったか? いや、ない! カレンはなんにでも物怖じしない性格だから、思ったことはズケズケ言うし、こんな互いの気持ちを探り合うようなシチュエーションとは無縁! なんだ? これじゃ、まるでオレが恋に恋してるようじゃないか!
二人の会話を耳にしているとムカついてきたから、その晩、オレはとことん2人の邪魔をしてやることに決めたんだ。成果があったかどうかは定かじゃないが。
数日後、タケシがオレのアパートにやってきて、仕事が決まったと言った。どうやらどこぞのお偉いさんの護衛らしく、既にタケシはその仕事を体験してきたようだった。
「来週の頭からワシの代わりにダニーが入るように言っとるけぇ。」
護衛というんで、警備員より身入りはいいらしい。ただ、そのぶんリスクは増すわけで。タケシから引き継ぎを受けながら、オレは新年になって初めて気を引き締めた。




