9-19(227) タクヤたちが出発する
今年最後のカジノでの仕事も無事に終わり、タクヤと別れたあとは、いつものようにカレンと一緒に彼女のアパートへ向かった。
カレンのアパートまでの通い慣れた真っ暗な道も、今晩は一際薄暗く感じられる。日頃はカジノから引けた客を狙って夜が更けても開けている居酒屋や小料理屋もあるってのに、さすがに今日ばかりは一軒も開いた店がない。
夜半まで降っていた雪のせいで道は濡れていて、街灯の光が石畳に張り付いた薄い水面に様々な色合い陰影を投げ掛け、ゆらゆらと小さく揺れている。左右の建物に響くボロ靴が地面を叩く高音、空中に融けてゆく白い息、かじかんだ手、そこかしこに横たわる影、闇、地の底から這い上がってくるような冷たい空気、一年の終わり。
大通りから建物の間を縫って延びる細道を見ると、自然とケルンの街の、路上で暮らすこどもたちのことが思い出される。アイツらはこんな日、どこで眠るんだ? 板材を寝床にして地べたに転がったのが夏じゃなかったら、オレは死んでたな。あの日は最悪だった。人生最低の日だった。どんな劣悪な環境下での労働よりも、死に直面した逃亡の道中よりも、あの日は最悪だった。そんなことを思うと、いまの足取りと意識が確かなことが少し嬉しい。オレはいま、この寒さに対して無防備じゃない、ちゃんと戦えるぞって気がするんだ。
「次はどこで働くか決まってるの?」
カレンが歩きながら尋ねた。今日、カジノの支配人からオレとタクヤが年明けからいなくなることが従業員一同に伝えられたんだ。元々彼女にはその件について言ってあったんだが、まだ来年の予定については話していない。なにせ当のオレ自身が判っていないのだから。
「うんにゃ、まだ判らん。」
タケシは警備業務からも煙草の製造卸からも手を引くと言っていたから、次の業務がどうなるのかさえオレは知らないんだ。
「もう今年最後なのに? 教えてもらってないの? こんな言い方するのも悪いけど、そこ、まともな会社なの?」
「まあ、来年から大きく業務形態が変わるからな。人も随分減るみたいだし、ただ、オレを切らないだけ、まだまともな会社だよ。仕事が決まらない間も、必要最低限のお金はくれるみたいだし。」
「あ、そうなの? いい会社だったんだね、ごめんね。」
「いや、別にいいよ。」
なにしろ怪しい会社であることは間違いないんだから。タケシたちの素性からして怪しい臭いがプンプンするしな。
そんなタケシとアキ、ケンの三人を残し、タクヤたちは年明け3日の昼前には地元に戻っていなければならない、というので、2日の朝にはローン町を出立してリリス市へ向かうんだとか。そこで他地域の社員たちと落ち合うらしい。
年が明けて新年。
オレは挨拶のために会社に顔を出した。当然のようにカレンも付いてきた。
そして、2日。
タクヤたちの旅立ちを見送るために、会社に顔を出した。カレンもタクヤとはカジノで一緒に働いた仲だったから、やはり付いてきた。酒瓶を三本、かさばるかもしれないが、と断ってから、道中で飲んでくれと言ってタクヤたちに渡した。それから、各人と別れの言葉を交わした。タクヤにアキ、ナツミ、ユキコに加え、炭坑に詰めていたというお仲間もローン町の駅に集合していた。その中には、当然ながらタクヤと一緒にオレを捕まえた男の姿もあり、そいつとタクヤは一緒になってオレをからかった。以前、オレが殺意を持って投石したことなど、もうそいつの頭にはないようだった。
「もうこっちには戻ってこないんだろ?」
いよいよ出立の時刻が迫ってきたころ、オレはタクヤに尋ねた。
「おお、いまんとこ、戻る予定はないわ。」
「早死にしないようにな。」
そう言ってタクヤの胸の辺りに拳を当てた。
「ああ? なんでそがなこと言うんな?」
そんなこと言われる覚えがないとでもいうように、タクヤの目がギロッと光った。
「だって、靖さんが、戦線が西にできるか東にできるかとかなんとか言ってたからさ。なんとなく、ね?」
「ああ、そういうことかい。じゃが、そればっかりはなんとも言えんのぉ。」
「まあ、そうだろうな。」
タクヤも、みんな、死にに帰るんだ。靖が言ってたじゃないか。タクヤたちの居場所は戦場だって。あいつはその前に、居場所を作ってやったと言っていた。喜べ、とも。タケシはそんなあいつに感謝すると言っていた。居場所、つまり戦場ができたから、タクヤたちは故郷に帰れるんだ。余計な詮索はするなと言われていたから、込み入った事情は判らないが、別れ際になって、改めてこの人たちの苦労が偲ばれるようだった。
誰の表情にも悲壮感はない。むしろ仲間と合流して高揚しているといった感じ。オレの傍らでは、カレンがユキコやアキたちとカジノでの仕事の話で盛り上がっていた。なにやらオレやタクヤ、ナツミの職場での様子を話して笑い合っている。
カレンが一緒に来てくれて良かった。オレ一人だったら、この雰囲気に参ってたと思う。だって、決して悲しい雰囲気の別れ際ってわけじゃないってのに、いまオレの目の前で愉快気に話しているこの人たちはみんな、近い内に死ぬんだってのが判ってんだぜ?
タクヤの顔も、ユキコの顔も、ナツミの顔も、よく覚えておかなきゃな。オレはこの人たちには感謝してるんだ。獣人かもしれないって疑惑はあるけれど、オレには関係ないね。少なくとも、故郷に帰るって人らに関しては、どうだっていいよな。




