9-13(221) 王様?
手間を掛けさせてしまった給仕とはきちんと約束して、お昼ご飯をご馳走することになった。給仕の名はカレンといった。……だが、カジノでは親方と呼ばれている。
「うわぁ、こんな高いお店で大丈夫だった?」
カレンはお店の席に着くなりそう尋ねてきた。
「親方の命に比べれば安いもんさ。ま、正直な話、多少無理はしてるけどね。」
「おお、ありがとぉ。今度なんかお返ししなきゃだね。」
「いいよ、別に。」
そこは分厚くて柔らかいビーフステーキを食わせる店だった。オレは初めてだったのだが、カレンは何度か来たことがあるようだった。店長らしき男と挨拶を交わし、近況を話し合っていたからな。その店長にカレンがオレを紹介しようとして、「ん、名前なんだったっけ?」と尋ねられたときはさすがのオレも閉口した。こいつは人に奢ってもらうってのにその相手の名前さえ知らずに来てるなんてッ。
「別に、なんでもいい。」
ちょっと子供っぽい対応になっちまったが、オレもそれなりに腹が立ったからな。名前って結構大事だと思うんだよ。それを屁とも思わない奴なんだってのがカレンの第三印象くらい。
オレの拗ねたような態度に店長も困ったのか、「カレンちゃんはいっつも人の名前を覚えないんです」とカレンをフォローした。「そうそう、ホント困っちゃう」と返事するカレン。いや、いまはオレが困ってんだが。
カレンはそのポヨンと突き出たおなかから得られる印象とは異なり、小食だった。一五〇グラムのステーキを食べ切れないからとオレに少し寄越してきたくらいだ。ではなぜおなかが出てるのか……、その謎はすぐに解けた。
カレンは無類の酒好きだったんだ。
毎晩、カジノでの勤めを終えて自宅で麦酒をしこたま飲んでるのだという。ご飯はほとんど食べないが、麦酒はしっかり飲むという、なんともヘンテコな食生活。背も高く、手足は細くスラッと長い。一歩間違えればモデルとしても通用しそうなのに、おなかだけがプックリしてるんだ。顔は決して可愛いわけじゃなく、輪郭はお饅頭のようだった。
人付き合いが好きか義務感によるものなのか、季節ごとの贈り物を始め、そのほかにもなにか頼まれごとをされることが多いようで、いつも買い物に行っては友達の家なんかに届けていたし、夜中に来客のあることも多かった。
そんなことを知ってしまえる程度には、オレはカレンとときどき一緒に飯を食う仲になった。最初のオレの奢りのお返しにと飯に誘われ、そのお返しにとこちらから誘い、そんなことを繰り返すうちに、一緒にいる時間が自然と長くなっていった感じ。
カレンのことは女だと意識しなかったし、話も面白かったので、カレンの隣の居心地が良かったんだと思う。そう、カレンは女だったが、中身は女じゃなかった。
強気な性格で誰とでも分け隔てなく話した。話しはするが、別に誰とでも仲良くってわけじゃない。厭な奴の厭な言葉には鋭く言い返すし、仲の良い奴らとも楽しく話していた。
厭な奴に負けないカレンは、職場でのみんなの相談受付係になっていた。
なんかその光景は、おなかがポッコリ出た森の仔熊くんが小さな動物の仲間の話を聞いてあげてるようなイメージだった。それはとても微笑ましい感じだったが、その実、いつもおっちょこちょいしてみんなから注意されたり笑わせたりしてるのはカレンの方だった。
ここまでカレンのことを知ってくると、最初のステーキハウスでオレの名前を忘れてたことも、たいしたことじゃなかったんだと思えるようになったよ。
カレンは嘘を吐かない人だった。だから、誰に対しても臆すことなく話せるんだろうと、オレは自分と比べてみて思った。オレは人に対してあけすけに全てを曝け出して話すには、いささか臆病だったからな。いささかどころか、結構な度合いで……。
概ね、十二月のオレのプライベートはカレンで埋め尽くされていた。
一方、仕事関連ではタケシたちの方に動きがあった。
十二月の半ばごろ、またあの男が店にやってきたんだ。先日の去り際にタケシと激しく言い合いをしてたし、もう知らんってなことも言ってたから、もう来ないと思ってたんだけどな。
その男は今度は静かに店のドアを開けて、一人の連れを伴って入ってきた。男は連れに対して大層な気の遣いようだったよ。そして、男に連れられて来た奴ときたら、大道芸人以上に派手で華美な恰好をしていやがった。この店を訪れる道中でも、さぞ往来の人たちの目を楽しませたことだろうぜ?
タケシたちは男の姿を認めると一瞬眉を潜めたが、その連れの姿を見ると目を点にしてた。男とその連れの人物の謎はオレの中で深まるばかり。というか、元々タケシたちがどういう集まりなのかさえ判っていないからな。
一体、オレはいまどこで働いてるんだ?
オレに仕事をくれてるのはタケシたちだが、現場はフール町にあるカジノで、そこにはカレンと愉快な仲間たちが働いてるじゃないか。うん、十分だ。オレにはもったいない職場だし、オレにはもったいない現状じゃないか。
だから、オレはタケシたちに対する疑念を打ち消した。
「よお、今日も元気かい?」
男がオレの脇を通り過ぎるときに声を掛けてきた。
オレはなにも言えず、ただ頷いた。
どうにもこの男が悪い奴のようには思えなかった。
「こないだ来たときに話したように、もう僕はお前らとは深くは関わらない。で、お前らのことはお前らで決めろやってんで、お前らのボスを連れてきたわけ。判る? 訳も判らず殴られたら堪んないから言っとくけど、こちらの方はお前らの国の王さんだから。そのつもりで。」
男が店内によく響く声でそう告げると、みんな困惑したような顔になる。
「お、王? 失礼ですが、お名前を伺っても?」
タケシが気圧され気味に男の連れに尋ねた。王とか言い出したし、オレ、疲れてるのかな? もう王位なんてこの国にはいないはずなんだが。あ、でもお前らの国って言ってたからな。他国ではまだ王政の国もあるし。
「マエダ・ブロッコ・ムネノリと申す。」
その名乗りを受け、タケシがみんなの顔を見回す。
「誰か、王と面識のある奴はいるか?」
みんな首を振る。
「だよな。くっそッ。」
苛立たしげなタケシ。おそらく、男の連れが本物の王なのかペテンなのか、計りかねているのだろう。
「タケシ……僕は詐欺師じゃないぜ。」
男がいつになく優しげな口調でタケシに語りかける。
「ああ、判ってる。……どうぞ。こちらへ。」
タケシが二人を奥の部屋へ案内する。
「アキ、タクヤも来い。」
呼ばれた二人も二人のあとに続く。
ナツミもユキコも黙ってしまった。
その日、タクヤはカジノの警備を休み、代わりにナツミが出勤した。
オレたちが出勤する時刻になっても、タケシたちはまだ奥の部屋に籠って話をしていた。
「え? 女の子にタクヤさんの代わりが務まるんですか?」
カジノの支配人は言葉は穏やかだが、露骨に厭な顔をした。
「ええ、大丈夫です。」
ナツミはそう答えながら、一クー硬貨を取り出すと、支配人によく見えるように硬貨を握り潰した。丁寧に指先で捏ねながら、やがて硬貨はただの小さな丸い金属の塊になった。
その様子を見て慄く支配人。
オレは正直、やり過ぎじゃないかと思った。
「な? 問題ないだろ?」
「え、ええ。」
ナツミは素っ気なく支配人の脇を通り過ぎて、ロッカーへ向かった。
なんだか今日はナツミも苛々してるようだった。
オレも今日のみんなのそんな様子に、若干苛々した。オレはあんたらのゴタゴタとは無関係だってのに、徒に苛々してオレを苛々させんなよってさ。




