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9-9(217) 逃げた

 月は出ていた。

 馬鹿正直に道を通るわけにはいかなかったので、オレはブッシュの中を南下するルートを選んだ。



 できるだけ物音を立てないように枝葉を掻き分けながら、慎重に進んだ。月があるといっても足元は暗く、凸凹の状況すら判らなかったので、足を出しては地面があることを確認しながらといった具合。そうそう速くは進めなかったが、ここで怪我をしては一巻の終わりなので、慎重にならざるを得なかった。



 辺りは静まり返っている。



 それが一層、オレの動きを際立たせてるようで、気が気じゃない。

 勤続十五年の男には“ 明日 ”と言ったが、果たして見張りが今晩、気を緩めてくれるだろうか。

 男の話を周知させるために見張り一同、一度拠点に全員集合ッ、とかやってたらいいのに……。



 振り返れば、炭坑の拠点が置かれている台地が結構遠くに見えた。その台地から生えたように三角形の山の影があり、ちょうどその上に丸く光る月があり、その周りの雲が怪しく光っている。



 月がまだ高いから、まだ時間はある。



 オレは手頃なサイズの石を拾い、麓の方へ下っていった。



 オレは道なき道を下りているのだが、ジグザグを描く山道の特性からオレも道を横切る必要があった。ここに見張りがいるかどうか判らないが、用心に越したことはないので、道は姿勢を低くして駆け足で横切っていった。



 水が流れる音が聞こえ、川に出たのだと判った。

 ふう。

 一旦、立ち止まって考える。川を下るのは自殺行為だ。一度、道へ出るか。

 もう二、三時間は下ってきてるはずだ。

 このくらい拠点から離れてしまえば、もう見張りもないだろう。

 へ、意外と脅しの意味で見張りがいると言ってただけで、実はいなかったっていうオチだったりするのかもな。



 時折り、立ち止まっては耳を澄ませてみる。誰かが付いて来ているような気配も、動物が動くような気配もない。



 麓の様子が木々の隙間から見え隠れしてくると、下山の疲れも消えてくようだった。辺りはもう夜というよりは朝の三歩手前といった感じで、全体的にやや青い。でも、もうじき麓に出る。下界に下り切れば、もうオレは炭坑とは無縁だッ。



 ジャリ、ジャリ……。



 遠くの方から、砂利道を踏みしめる足音が聞こえた気がした。



 振り返ると、隠れるでもなく歩いてくる人影が二つ。やや早足くらいのスピードで歩いている。この二人の男が見張りだろうと見張りでなかろうと、ここは走るに如くはない。ということで走り始めたのだが、途中、様子見で後方を確認すると二人も駆けてきている。



 速い。



 オレも速めに走ってたつもりだったが、こうも距離を詰められるのであれば、人の限界を越えなければなるまい。不自然だなんだのと言ってられる状況じゃないし。



 スピードを上げて山道を走った。

 眼下に道があれば、そこそこの高低差があっても構わず跳躍した。ここからは最短ルートを最速で駆け抜けなければならないんだ。



 左右の森の尽きるところ、山道の出入り口まであと少し。

 おそらくかなりの差が開いてるだろうが、オレは念のため再度、走りながら振り返ってみた。



 !!!



 えええええッ?



 なんでッ? 二人がすぐそこに迫って来ている。オレは並の大人より数倍速く走ってたんだぞ? なのに、この二人の方がオレより速い!?



 お化け……お化けだッ。



 振り返ったのがあだになった。二人はどんどんオレとの差を詰めてくる。懐に忍ばせておいた石を手に取り、ぶつけるつもりで投げつけた。一瞬で男の胸元まで真っ直ぐ飛んでったのに、男は腕で石の直撃を防いだ。それでも無傷であろうはずがないのに、男はスピードを緩めない。



 残念なことにオレは浮足立っていた。殴り合いの喧嘩ってのは小さいころにしかしたことがないんだ。殴り合いに関してはズブの素人のオレが、この二人に勝てるわけがない。

 だが、すでに石を投げつけてしまっている。ふつうの人間なら石の直撃で重傷を負うほどの投擲をしておいて、そのあとで謝ったって済むはずがない。



 死んだと思った。

 覚悟を決める時間はなかった。

 ただ、この人間離れした動きをする男たちをどうこうできるとも思えなかった。



 走ってくる相手に対し構える。呼吸が荒い。心臓がバクバク言ってやがる。

 軽く三回、その場で跳ねてみた。

 リラックスだ。身体の力を抜け。



 男がスピードと体重を乗せた飛び蹴りを放ってきた。

 それを身を屈めて避け、すぐ起き上がり頭上を飛び去ろうとする男の身体に頭突きする。

 男がバランスを崩すのが判った。

 同時にオレももう一人の男に足を払われ地面に転がされる。二人が視界から消えたことに慌てちまって、とにかく転がりつつも立ち上がったそのオレの脇には男がすでに肉薄していて、ごつい腕でボディ目掛けて殴ってきた。咄嗟に腕を出して腹を守ったが、腕への衝撃がヤバい。男が連打してくるのを後退しつつ防ぎながら、オレは森の中へ飛び込んだ。



 木々の間を縫ってとにかく男との距離を取った。

 まともに受けてたら腕が壊されちまうし、なによりいまは身体が硬直していた。

 ビビってんだ。

 勢いは完全に向こうにあるし、極度の緊張で集中もできてない。

 こんな状態じゃ、相手が格下であっても負けちまえるな。



 すっかり逃げ腰になっちまったオレは、大木の周囲で左右に身体を振って、相手を困惑させた。オレも困惑した。フェイントの掛け合い。直線で逃げても捕まるし、このままじゃマズい。



 そこへもう一人の男がやってきたので、オレは仕方なく大木をあとにしてさらに森の奥へと駆けた。



「おうッ、その餓鬼殺すなよッ。生け捕りにするでッ。」



 背後で男がそう叫んでいるのが聴こえた。

 情けない話だが、“ 生け捕り ”って言葉に一瞬、気が抜けた。

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