9-6(214) 逃亡のお誘い
泥と灰まみれになって、汗をダラダラ流しながら仕事をしてるときだけすべてを忘れられた。つるはしを振り上げ、手首や肘、肩がいかれちまうんじゃないかってくらい掘って掘って掘りまくった。この炭坑から一欠片の石炭さえ掘れなくなっちまえば、堂々とここから出て行けるじゃないかッ。と思ったりもしたが、そんな話をみんなにしてみたところ、この炭坑の石炭はまだまだなくならないという。掘り進めては掘り下げ、掘り下げ、掘り下げ、どんどん下へ下へ潜って、永遠に、モグラのように穴を掘るんだそうだ。
「いまは世界中で石炭が必要になってるから、掘り過ぎっていう懸念もないしな。」
なんでも製鉄するのに石炭がいくらでもいるらしい。だからいまが石炭掘りの最盛期だとか話してる奴もいたが、そうした石炭の景気の良さもオレたちの賃金には関わりがないんだとさ。
儲けられる奴は儲けるし、オレたちみたいな雑魚はそのおこぼれに預かれるかどうかさえ判らないといった様相。なにしろ系列がほかの奴らとは違うんだ……と男は言った。ほかの奴らはきちんとした会社から受注して炭坑を掘ってるが、オレたちとその会社の間には何人も余計な者がいて、そいつらがオレたちの賃金を中抜きしてるんだとか。金貸しもそう、ここまで案内してくれた爺さんもそう、このほかにもオレの知らないところで、誰かがオレが働いた金で懐を温めてやがるんだ。
その晩、自分たちの部屋で話したとき、初めてみんなから利息の話を聞いた。
「オレらの国じゃ複利を認めてねえから、単利で、かつ年率二〇パーセントが利息の上限に決められている。」
ということは、一〇〇クランで計算すると年率二〇パーセントで年二〇クランが利息分。
「ここでもそれは変わらない。ただ、年率二〇パー上限目一杯分捕っていくが、それでも国の決めたルールの範囲内。どうよ? お前、こないだ五年でここを出てくとか啖呵を切ってたが、本当に五年で出れるのか?」
頭の中だけじゃ計算が捗らないんで、紙とペンを借りて計算した。
一瞬間で三十六クー返済、二〇クランは二〇〇〇クー……五十五週間……十三ヶ月!?
「ふっざけんなよッ? 一年間休みなしで働いたって年率二〇パー分も返せやしないじゃないかッ。」
計算した直後、思わず叫んでいた。
叫んだことについて、誰もなにも言わない。ただ、みんな憐れみに満ちた哀しい目をオレに向けていた。
年率二〇パーが邪魔だった。それさえなければ五年強で自由になれるってのにッ。確かに、下手なリスクを冒させて一〇〇クランをオレに作らせるより、法の範囲内で永遠に飼い殺しにした方が利益になる。債権者は五年強待てば、あとのオレの働きがまるまる利益になるんだから。マジでクソむかつくやり方を考えたもんだッ。
「なあ、さっき、系列って言ったよな?」
オレは男に尋ねた。
「系列?」
なんのことか判らないといった感じの男。
「オレらと炭坑を持ってる会社との間に中抜き業者がいるって話のヤツだよ。」
「ああ、それか。ああ、系列って言ったぜ? 抜いてるのは一人じゃないからな。」
「そいつらについて知ってるかい?」
「面識があるのは金貸しとオレをここに連れてきた奴、あとサンタナは一枚噛んでると思うぜ。」
「サンタナってのは事務所に詰めてる青髭生やした若造のことだな?」
「そいつよ。」
「思うってことは、サンタナが抜いてるかどうかは定かじゃないってことだな?」
「ああ、ただの予想だ。」
「いや、でも貴重な情報だ。ありがとう。」
そう言ってオレは腰を上げた。
ギギッとベッドが軋む。
「お前、どうするつもりだ?」
下から男が顔を出して三段目にいるオレを見上げた。
「便所に行ってくる。」
「おお、オレも行くわ。連れションだ。」
オレと男は二人で外に出た。
夜。
乾いた生温かい風が吹いていた。
便所といっても、夜の闇に紛れてのことなので、そこらの茂みに向かって用を足す。
パタパタと草葉が揺れる。
「お前、よくないことを考えてんじゃないだろうな?」
男が前のボタンを留めながら尋ねてきた。大方、オレのことを無鉄砲で世間知らずな若者だと思ってるんだろう。ま、そのとおりなんだが。
「不正解。オレが考えてんのはイイことだよ。」
決してよくないことじゃない。
「ほれ。」
男がオレに煙草を寄越してきた。
「どいつもこいつも……。」
男が持ってる煙草の箱を見れば、スティーブやマトスが吸ってたのと同じ銘柄だった。なんとなく受け取って、その一本を眺めてみた。隣では男がマッチを擦っていた。オレもマッチを借りて煙草に火を点けた。
ゲフ、グフンッ。
オレがむせると、男が笑う。
「なあ、こっから逃げないか?」
オレは勤続十五年以上のこの男に提案してみた。
「言わんこっちゃねえ、やっぱ悪いこと考えてんじゃねえか。」
うん、確かに悪いことだが、それは物事の一面でしかない。
「オレも今日までそう思ってたよ。オレが借りた金だからな。借りた物は返すのが道理だ。だけど、今日、利息の話を聞いてたら真面目に返すのが馬鹿々々しくなった。」
真面目にやってたら、炭坑に骨を埋めることになるからな。
「ま、馬鹿げてるが、仕方ないのさ。ヘマしちまったのが運の尽きってもんで、ここから逃げるのは無理だ。諦めな。」
「なんで? 別に壁で囲まれてるでもないし、鉄条網が張り巡らされてるわけでもないし。ちょっと人里まで遠いかもしらんが、みんなの目を盗めば山を下りるくらいわけないだろ?」
「見張りがいるんだよ。」
「見張り? 見張りなんて、見たことないぜ?」
「オレも見たことはない。だが、見張りはいる。朝礼で所長がそう言ってた。」
「十五年以上いて、見たことないのか。」
「いや、最初はいたんだ。武装したちゃんとした見張りが。だが、一年前ほどからいなくなった。見張りの姿が見えなくなったってんで、脱走しようとした奴らもいたんだが、そいつらは無惨な姿になって広場に放られてたよ。その日に朝礼で見張りはいるからなって脅されたわけ。で、古い奴は新入りにもそのことを伝えて、新入りが脱走しないようにしなきゃならねえんだ。」
「姿が見えない見張りってのも怖いな。」
「だから脱走するのはおススメできない。」
「新入りの脱走があんたらの責任になっちまうからかい?」
「殺されちまうのが判ってるからさ。」
「そんなの、やってみないと判らないだろ?」
男はオレをどう説得したものかと思案してるようだった。どことなく、難しそうな表情をしていた。
「そうだな。確かに、やってみなければ判るまいて。だがな、分が悪いぜ?」
「でも、ここに残ったって結果は見えてるからな。」
「せめて借りた金額分は返済して、それから改めて考えてみりゃいいんじゃねえか? 利息のことで腹が立つのは判るが、いますぐ逃げたんじゃ筋が通らねえじゃねえか。」
「ああ、通らないね。」
「お前さっき、借りた物は返すのが道理だって、自分で言ってたじゃねえか。」
「確かに言った。」
オレは男を誘うのをやめた。こいつはイイ奴だ。オレとは違う。
もう男との話は済んだから、オレは腰を上げて煙草の火を踏みしめた。
男が下から睨むようにオレの顔を見つめていた。
「だからオレはオレのことも大っ嫌いなんだ。説教もお節介もいらない。好きなようにするさ。」
そう吐き捨てると、オレは男が立ち上がるのを待たずに部屋へ戻った。




