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9-4(212) 炭坑初日

 翌朝、日がようやく昇り始めたころ、男は昨晩借りてきたという馬車にオレを乗せて馬を走らせた。

「狭っ苦しい荷台に乗ってるよりゃあ、オレぁ馬に乗っかってた方が気分が良いんだ。」

 男はオレを客車に押し込むときにそう言った。狭っ苦しいのは男の借りてきた馬車の仕様のせいだと思うが、軽口を利ける間柄でもないので、黙っておいた。



 辺りはまだ薄暗い。

 馬車はガラガラと街道を進み、すっかり日が拝めるようになるころには青々とした穂を揺らす麦畑が広がった。馬車はどんどん人気のない方に進んでいき、しばらくすると坂道を登り始めた。



 山の中も構わず進んだ。

 山間の川沿いに出たときに初めて一服となった。

 男が山間の風景を忌々しそうに見ながら煙草を吹かす。男はときどき、ふ~と大きく息を吐いた。川のせせらぎにアクセントを打つように、鳥の鳴き声が風に乗って聴こえてきた。辺りを見回すも、鳥の影は見当たらない。

「疲れんなぁ。」

 男が大義そうに言った。

 オレは男の方をチラッと見たが、特になにも言わなかった。

「兄ちゃん、いま、なんぼよ?」

「一六歳。」

 男は煙草の吸い殻を放ると、続け様に二本目の煙草に火を点けた。

「ふん、若いのに下手打っちまったなぁ?」

 嫌味かよ?

「別に、下手打つのはこれが初めてってわけじゃない。」

「へへ、なかなか言うじゃねえか。そうだな、初めてのヘマでここまで辿り着く奴はそうはいねえやな。」

 男が今度は愉快気に笑う。 

「ま、兄ちゃんの下手もこれが打ち止めさ。」

「どういうこと?」

 ニヤニヤした男の顔と言い方が気になった。

「めざす場所に着けば判るさ。さあれ、そろそろ行くかぁ。」

 オレはいま、この男がどういう人物なのかを知った気がした。



 それからまたしばらく馬車でゆき、降ろされたのは採掘場のようだった。



 青空を背景に木々もまばらな禿げ山が聳え、山肌にはポツポツと穴が空き、所々に木製の建屋とよく判らない建造物が見えた。さらにトロッコ用と思われる軌道がいまオレがいる麓の方まで延びていた。

 視線の先に見える掘っ立て小屋の前には貨物用の箱がいくつか並べられている。

 やや遠くに見える民家が数軒並んだようなのが、おそらく炭鉱町の集落なのだろう。パッと見で一〇軒ほどしかないが、まさかあれだけではあるまい。



 う……。

 一瞬、気が遠くなりそうになる。



 なにもない。

 それが第一印象だった。



 あるのは掘っ立て小屋ばかり。なにを楽しみにここの連中は過ごしてるんだ? 酒くらいはあるのか? 麓の街からわざわざ仕入れてるのか? といっても、ボロ馬車で数時間で来れるのだから、そう僻地というわけでもないのか。



 辺りを見回していると、男が来いと合図して、そのままオレを見向きもせずに小屋へ入っていった。

「おうッ、サンタナッ。新入りを連れてきたぞ。」

 男は部屋に入るなり大声を出す。

「ああ、ニック。いつも悪いな。それで、新入りは?」

 サンタナとよばれた男が席を立ってこちらに来た。

「ほら、この坊やさ。まだ採れたてピチピチだぜぇ?」

「まだ青いな。」

 サンタナが値踏みするようにオレを見る。

 それからサンタナは金を男に支払うと、オレを別の小屋へ連れて行った。



 オレはあの男に買われたあと、今度はサンタナに買われたわけだ。



「アッガス、新入りだ。お前のとこで面倒見てやってくれ。」

 サンタナがまた誰かにオレのことを押しつける。

 オレはサンタナに借金を返さなくちゃならない立場であることに変わりないが、アッガスはそんなことを知らない。アッガスにとってのオレは、精々、サンタナが押しつけてきた小僧くらいなもんだろう。



 アッガスによれば、ここは石炭を採掘する鉱山で、明日からオレにも鉱山に入ってもらうとのこと。給与形態はどうなってるのか尋ねてみると、「まともな奴なら一週間ごとに働いた日数分の金を貰えるが、そうでない奴らには雀の涙ほどの金しか出ねえよ」とのこと。おそらく給金のほとんどが借金返済に充てられるんだろう。では、日当はいくらなのかと尋ねてれば、



「ダニー……お前はまともな奴なのか?」



 と、意味深な低い声でアッガスは答えた。

「たぶん、いや、十中八九、まともじゃない方だろうな。」

 オレがそう言うと、

「じゃあ、日当を知る必要はねえよ。」

 と薄汚い笑みを浮かべた。



 それから案内された木建てのボロ小屋を見て、オレは早くもウンザリした。

 一部屋の左右に三段ベッドが置かれ、床面積をほとんどベッドが占領している。しかも三段ベッドの三段目はほとんど天井とくっついてるような有様。とにかく狭苦しい。



 日が落ち、ぼちぼち炭坑夫たちが戻ってきた。

 一階の大食堂にてみんなで晩飯を食い、濡れタオルで身体を拭き、思い思い適当に過ごしてベッドに入った。オレにあてがわれたのは三段目だった。夜も更けてくると、周りから大きな鼾が聴こえ始めたり、誰かの寝がえりに幾度となくベッドが軋んだ。



 外の空気を吸いたいと思っても、不用意に外出すればみんなを起こしかねないし。

 早くもローン町が恋しくなった。

 親父がやってたバタピー工場を思い出した。

 どこででも生きていけると思ったが、ここは来てはダメな場所だったかもしれない。

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