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9-3(211) 借金

 汽車の車窓には夜の街の明かりが流れている。街の黒い影は大海を思わせた。客車の電灯を背に、窓には街一番の馬鹿の姿も映っている。オレはこいつをどうにかしてやらないといけないんだ。



 アパートの部屋の鍵を大家さんに借りて部屋に入り、なけなしの三クーを確認してその日は眠った。



 翌朝、仕事場に出ると、「土曜の晩は大丈夫だったのか? ちゃんと帰れた?」と先輩のピーターが尋ねてきた。ほほう、そちらから話を振ってくれますか。



「いえ、それがあまり大丈夫じゃありませんでしたね。」



 このピーターというのがオレに博打を教えた男だ。土曜の晩はたまたま二人とも大勝したから居酒屋へ入ったわけ。盛大に飲もうとか言ってたくせに、ピーターときたら汽車の便がなくなるからと一人でそそくさと帰っちまったからな。オレとは違って、この男は酒の飲み方ってヤツを心得てるよ。

「大丈夫じゃなかったんか?」と目を輝かせるピーターを連れて、人の輪から外れる。昨日の話はみんなの前でするには間抜けにも程があるからな。

 オレは財布入りの鞄を失ったことを話し、とりあえず給金が貰えるまでの数日間の生活費として一〇〇クーを用立ててもらった。

「利息は一〇クープラスでいいわ。」

「はッ、まるでヤクザじゃないですか。酒を一杯奢りますよ。」

「いっぱい? 何杯? 次の給料日楽しみにしとくわ。」

「いや、ワンドリンクですよ?」

「冗談だよ。ま、オレが奢ってやるからまた飲みに行こうぜ?」

「おお、太っ腹ッ。その丸いおなかは伊達じゃなかったんですねぇ。」

「おう、伊達に腹出てねえよ? ってうっさいわ。」

 ピーターは勝ってるときは気前がいい。借りるなら早めにしないと、今晩もピーターの懐が温かいとはかぎらないからな。

「じゃあ、早速でアレなんですが、いいっスか?」

「おお。」

 そう言って財布から裸の一クラン紙幣を取り出すピーター。紙幣中央には歴史上の偉人であるミシェル・ブランセの肖像。

 おお、ミッシェ~ル。おかえり、昨日、別れてからはもう会えないと思ってたよ。お金を手にして、ようやく生きた心地を取り戻した。昨日から引き摺ってた惨めな思いも霧散して、不安もなくなる。お金は大事、お金が人を人たらしめる、お金は神様。これが真理。いまの、お金を借りた瞬間の安心感がすべてを物語ってんだ。



 とりあえず、受け取った紙幣を二つに折り、ポケットの中に突っ込んだ。いまは財布もないから、ホントに不自由するよ。犯人は財布は使ってくれてるだろうか? 使ってるわけないんだよなぁ。お金目当てでお金以外のなにもかも奪っていきやがるなんて、ふざけるのも大概にしろってんだ。

「煙草はあるん?」

 ピーターが煙草を口に含みながら尋ねてきた。

「いや、オレは煙草は呑みませんから。」

「あ、そうだっけ?」

 ピーターもそうだが、みんながみんな、誰もが煙草を呑むもんだと思ってるからな。参っちまうよ。



 そして、給料日。

 オレは神様をドブに捨てた。



 どうやらオレは女神ミシェルには嫌われてるらしい。軍神ピエールに至ってはオレの傍らに来た試しすらないんだから、オレはもうダメだ。

「ま、判ってたよ。」

 ピーターが無理に笑顔を作っている。

「オレも、知ってましたよ。大体、こういうのは胴元が勝つようにできてるんです。」

「うん、オレは三年前に気付いてたよ。」

「だったら行かないでくださいよ。」

「な? なんだろうな?」

「ええ、なんなんでしょうね?」

 肩を落として駅まで歩くオレとピーター。

 お察しのとおり、オレたちはいま負けて賭場から出てきたところだ。給料日だったから飲みに行こうって話をしてたんだが、ピーターが「増やしてから飲みに行けば元金が減らない」とか言い出したもんだから、その話に乗っかったんだよな。はあ、なんのために働いてんだか。



 勝てばまた勝負したくなるし、負ければ悔しいからまた勝負したくなるし……だから、抜け出せない。

 負けが込み始めると、今日は勝てるんじゃないかってさ、思うじゃん?

 そんな問題じゃないって頭では判ってんだけど、期待せずにはいられないんだよ。



 最初は余裕のあるお金で勝負してた。



 しばらくすると生活費にまで手を付けるようになった。

 これで負けたら残金ゼロ、明日の仕事にも行けない……真っ当な人生の終わり。

 そんな局面で勝ったときの嬉しさったらホントアホなんだから。嬉しいのは束の間だけ、嬉しいというより助かったっていう安堵感が癖になるのかな? 擬似的に沈んでおいて、そこからまた浮かび上がるっていう滑稽な遊びだよ。金のためにやってるっていうんなら、とっくにやめてなきゃ辻褄が合わないし。考えてみれば、お金のためじゃなかったのかもしれない。



 何度か“ もうダメだ ”ってとこからの復活劇を演じると、確実に金銭感覚とともにリスクに対する感覚も麻痺していった。別に破滅願望とかあったわけじゃないんだが。



 気づけば、借金を背負っていた。



 なんだか不思議だった。



 借金を背負っても、まだ大丈夫だと思っていた。



 負けが込むと、毎度まいど頭が焼けるようだった。そんなときは文無しになったときの行動の仕方を考えて、とにかく今日、とにかく明日一日を生きる算段をした。そして、算段が付くと、負けたって大丈夫じゃないかと自分に言い聞かせて、少ない有り金をすべてコインに交換してしまうんだ。実際、算段が付いたと言ったって、交換するときは九割の不安と一割の期待で頭は焼けっ放しなんだけどな。



 いままでは運良く最悪の事態は免れてきたものの、ある日、借金にさらに借金を重ねるという暴挙に打って出た挙句負けてしまうという失態を犯した。



 負ける三分前には覚悟を決めてたってのに、さすがに頭が真っ白になった。

 ま、すぐ落ち着きを取り戻したけれど。

 金貸しから聞いてた事前の話では、劣悪な環境下での労働を強いられるそうなんだが、体力には自信があるし、オレはどこでだって生きてけるんだ。オレがローン町から消えたって、たかだか仕事場の連中が少々困る程度。

 なにも困ることはない。

 さようなら、ピーター、親方……。

 これからよろしく、金貸しの兄さん。

 付き合う相手が変わるだけ。古い女に振られて、次の女が現われただけって感じよ。



「じゃ、付いて来い。」

 オレは金貸しの後ろに付いて黙って店を出た。

 往来を数分歩き、連れて来られたのは一軒の古民家だった。男が門を叩くと、門から男が顔を出し、オレたちは屋内に招き入れられた。

 部屋着姿の初老の男が金貸しにいろいろと確認しながら、ソファに腰を下ろす。ソファの前のテーブルには琥珀色の液体が入ったグラスと灰皿が置かれている。

「今日はもう遅い。明日の朝、連れてくよ。」

「よろしくお願いします。」

 まもなく男は使用人を呼び、彼になにかを持って来させると、それを金貸しに渡した。ああ、大方お金を渡してんだろうな。オレは、この初老の男に買われたわけだな。借金は一〇〇クラン。軍神ピエールが一〇人、か。

「兄さん、今日は休むがいい。明日、現場に連れてってやる。」

「はい。」

「そこでしばらく働いてな、借金はゆっくり返すがいいさ。住むところも飯も付いてるから、余計な出費はないし、早いもんさ。」

「ありがとうございます。」

 そこで気づいた。この男、いつかフール駅西口公園でオレを仕事に誘った爺さんだ。まだ仕事内容は知らされていないが、公園で大っぴらに仕事の募集をしてるくらいだから、そうそう酷いことにはならなくて済みそうだ。



 オレは根なし草。今日は見知らぬ爺さんチ、明日はどこぞの現場。公園でだってどこでだって、いびき掻いて寝てやらあ。

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