1‐7(20) ダンスパーチー①
寝耳に水みたいな感じで三日前に知らされたダンスパーチーの会場への道すがら。
「せっかく着替えたのにさぁ、こう遠いんじゃまた汗掻くね。」
てくてく歩きながら、伊左美がぼやく。
「この寒いのに汗? 冗談でしょ?」
玲衣亜はなんだか不機嫌そう。ま、伊左美がねちねちと嫌味を言ってるからね。
「でも、こんなに遠出するの初めてだけど、散歩気分で歩くのもいいもんじゃない?」
頼む、伊左美。肯定しとけッ。
「そお?」
おいッ、伊左美ッ。
「そうッ。靖くん、正解ッ。物事は前向きに捉えないとねッ。なんでも厭だ厭だじゃ、楽しいこともなにもあったもんじゃないよ。」
いや、正解かどうかは知らないけど。
「へえへえ、そうでございますねえ。玲衣亜殿のおっしゃるとおりでさあ。」
「おっしゃるとおりなんだから、もう余計なことは言わないでね。」
やっぱち腑に落ちないといった様子の伊左美に玲衣亜が釘を刺す。
「今宵は楽しい楽しいパーチーなんだから。」
パーチー会場である『牡牛の午睡』オーナー宅は遠い。職場から徒歩一時間三〇分ほどの距離で、ほかのみんなは馬車に乗り合わせて行ったのだけど、僕たちは準備不足のせいで乗り合わせることができず、こうして大通りをひた歩いている。
準備不足ってのは着替えのことだ。みんなは着替えを職場に持ってきていて、終業とともにパーチー用の服装に着替えたのだけど、僕たちはそんなの用意していなかったから、アパートに帰る羽目になったんだよね。
伊左美は着替えなんてどうでもいいとゴネたんだけど、玲衣亜が譲らず、じゃあ、部屋から替えの服を取ってきてやるという伊左美の申し出も却下した挙句、僕たちに待っててと言ったもんだから、伊左美は不貞腐れているわけ。
でも、玲衣亜もアレで女の子だからね。僕は玲衣亜の言うこともある程度は判るよ。
ただ、オーナー宅はホントに街外れにあるもんだから、まるで向こうの世界の夜のように辺りは暗く、明かりといえば月明かりと街道沿いに点々と建つ民家の窓明かりくらい。舗装が行き届いていないところもあり歩くのも大変とあって、伊左美が不貞腐れるのも理解できる。とはいえ、こっちの世界にもこんな淋しい場所があるってのが判って、僕としては少し安心したけどね。どこもかしこもあんな喧噪で覆い尽くされてたら、さすがにウンザリするからさ。
どこぞの領主様のお屋敷かと見紛うようなオーナー宅に到着して、使用人に案内されて邸内に入る。長い廊下を進み、広間が近づいてくると、続く部屋のドアから微かに楽隊の演奏が漏れ聞こえてきた。
おお、もうやってるね、こりゃ。
緊張感を漂わせながら、僕たちは音楽に誘われるようにドアへ向かい、使用人が広間のドアを開けると、目の前に広間の人だかりが現われた。
そして、第一印象はといえば、むわっとしてるし、香水の臭いがキツイッ。だったのだけど、頭上で輝くシャンデリアやダンスホールで踊る人たちの群れ、おなかに響く楽隊の演奏に、無暗に感心させられた。まるで一枚の絵画のように、芸術的な一場面だと思った。艶やかなドレスの女性に、パリッとした制服姿の紳士ッ。その中に見慣れた庶民然とした人たちも交じっている。
一体、どんな集まりなんだ? そういえば、玲衣亜にそこのところは聞いてなかったな。
「そういえば、あまり気にしてなかったから覚えてないや。ただ、私たちでも問題なく参加できるってことだけは確かよ。そこが一番重要なんだから。」
細かいところを気にしないあたり、さすがは玲衣亜だと、僕は肩を竦めた。
僕たちが知り合いの姿を探してキョロキョロしていると、『牡牛の午睡』の支配人が声をかけてくれた。
「遠くから大変だったろう。パーティーはもう始まってるけど、まだ料理も酒もたくさんあるから、しっかりと楽しんでいくといいよ。」
「ありがとうございます。支配人に声をかけてもらえて助かりましたわ。なにせこう広くって人もたくさんいて、勝手が判らなかったものですから。」
玲衣亜が特訓の成果を発揮して猫っかぶりしている。
「はは、まあ、パーティーといっても今回のは身内だけのお祝いだから、堅苦しくする必要はない。ま、始めはエスコートさせていただきますよ、お嬢さん。」
支配人に重ねてお礼を言う玲衣亜。その背後で、「お嬢さんだとよ」と伊左美が僕に囁きニヤッとする。
「上着を預かりましょう」と支配人。なのに玲衣亜ときたらキョトンとして動かないものだから、伊左美が先んじてボロの外套を脱ぐと支配人に手渡した。僕もそれに倣って外套を脱いでいると、支配人が不自然に笑う。
「ははは、伊左美くん。私は男性のコートを預かるのは生まれて初めてだよ。このことは永遠に覚えておこう。」
直立不動でボロの外套を抱える支配人。目がまったく笑ってないのが怖い。「え?」と伊左美は目を丸くして肩をすぼめる。僕はなんとなく、玲衣亜がこないだ言ったレデーファーストという言葉を思い出した。間違いないッ、ここがレデーファーストの使いどころなんじゃないッ? と気づくも遅かりし。
「早くこの薄汚い外套を持って引っ込めと言ってるんだッ。」
支配人、ついに平坦な口調ながら厳しく伊左美に言い放つ。
「あ、どーも。」
顔を赤らめ、首を傾げながら玲衣亜の後ろに引っ込む伊左美。物知り顔で出しゃばった伊左美がやられて、玲衣亜はちょっと嬉しそう。
「すいません、あの男はマナーを知りませんので。」
玲衣亜が外套を渡しながら言う。ん、僕たちがボロの服を着回しているというのに、玲衣亜ったらずいぶんいい服を着ていらっしゃる。
「大丈夫、こういったことは徐々に慣れていけばいいんだ。玲衣亜くんもね。」
「ん、私も?」
支配人が足元を指差したが、玲衣亜はおかしなところに思い至らない様子。さらに支配人が玲衣亜の靴が洋服に相応しくないことを言葉にする。
「あららららら、この靴はダメなん?」
「周りを見てごらんよ。」
見れば、みんなヒールのお高い靴を履いているのに、玲衣亜ばかりはいつもどおりのボロのブーツを履いている。
「あららららら、ホント。私の履いてるのと違うじゃないッ?」
「ね。」
「私ったら、急いでたもんだから靴を間違えちゃったみたい。ホント、そそっかしくて厭になるわ。」
玲衣亜が照れ笑いする。あら、もうエセ淑女はどこかに退散したみたい。化けの皮が剥がれるのが少々早過ぎませんかね?
「まあ、いいんだ。さっきも言ったが、今日は堅苦しい集まりじゃない。みんな、いろんな立場の人が来るってことを了解しているし、多少、頓珍漢なコーディネートをしている人がいたって、かえってそれが話のタネになるってもんだよ。キミは胸を張ってパーティーを楽しめばいいんだ。」
顔を赤らめた玲衣亜に支配人がフォローを入れる。
「さすが支配人、言うことが違うねえ。」
そんな支配人を伊左美がヨイショする。
「玲衣亜、誰も初めてで上手くやれる奴なんていやしないんだから、あまり気にすることはないよ。」
僕はそう言って玲衣亜の肩を叩く。力なく頷く玲衣亜。
「大体、豪快に恥をかけるのは初心者の特権でしょ? 僕たちはいまのうちにしっかりと恥をかいておけばいいんだよ。」
「お気遣いありがとう。お礼に一つアドバイスしてあげるわ。」
「なんだい?」
「一言多い。」
ガーン……ッ。
「う、ときどき言われますわ。」
僕はおっかなびっくり、玲衣亜の肩に載せた手をどける。人を励ますのも難しいね。伊左美が今度はオレの番だという顔をしていたので、タッチして攻守交代。
「玲衣亜。」
「ん?」
やや眉間に皺を寄せて目を見開き、それでいて口元には微笑を湛えて伊左美を見やる玲衣亜。なんですでに半分怒っているんですかね?
「もっと自信をもって。いま、この広間の女の中で、玲衣亜が一番機動力がある。」
「それって……。」
「ん?」
「慰めてんの? 馬鹿にしてんの?」
「え、もちろん、慰めてるつもりなんですけど。」
来るべき罵倒に備え、構える伊左美。うん、伊左美も玲衣亜の返答を受けて、さすがにまずいと感じたみたいね。
「はいはい、二人ともありがとう。大丈夫、こんなことでそんなにダメージ喰らっちゃいないよ。さあ、早く挨拶とか済ませて、飲めや歌えの大騒ぎといきましょう。」
「お、おう。」
おお、すごいッ。今日の玲衣亜は怒らないね。ん、これは帰ってからが怖いパターンとかかな? あッ。そういや目の前に支配人がいたッ。すっごい優しい眼差しで僕らを見てんだけどッ。伊左美も玲衣亜も気づいてないッ? やめてッ。そんな目で見ないでッ。きゃああッ、目が合ったったッ。恥ずかしいッ。
「じゃあ、そろそろ行こうか?」
支配人、温かな笑みを浮かべて僕たちを促す。この二人と一緒で不安しかないけど、薄暗い会場の端っこから、光の降り注ぐ会場のメインステージへ、いざッ。




