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8-11(189) 別れる④

 公園に憩う人たちの話声や笑い声、足音。眩しい陽に影を揺らす色鮮やかな草花。水辺に集まる小鳥たち、餌をやる爺さん、水に怖々と足を付けて面白がる小さな子供、その様子を見守る母親。ポポロ市ルノア町の中でも一際大きなルノア中央公園の、おそらく日常的なそんな光景にそぐわない一組のカップル。そして、それに対峙する私。



“なんなんですかその女?”という私の質問に対し、花壇の前に座るやすしさんは笑みを浮かべて「え? もしかしてヤキモチですか?」といつもと同じ調子で返してきた。ホントにこいつは……。表情を変えずに見下していると、「冗談だけど」と靖さんが肩を竦めた。



「で、なんでこの女がここにいるんですか?」



 極めて低いトーンで尋ねる。冗談はもういい。



「彼女の弟が、こっちにいるからさ。」

「弟?」

「うん、その弟が、いまの彼女にとって唯一の家族なんだ。」

「そしたら、会わせてあげればいいですよ。警察にチクったあとで、ですけど。」

「ふッ、だよね。」

「靖さん、一体なにをしてるんですか? その女はまだ虎さんたちには必要なんですよ。まさかとは思うけど、別にいまから靖さんが一人でその女を警察署まで連行してって、こっちの世界にこの女みたいな獣人が紛れ込んでますよって言いに行くわけじゃないですよね?」

「うん、そんなことをする心算つもりはないね。」

「じゃあ、なんなんですか? どういう心算なんですか?」

「……。じゃあ、ちょっと場所を移そうか。」

 靖さんはそう言うと花壇から腰を上げ、「ちょっと待ってて」と獣人の女に声を掛けた。それから辺りを見回し、指で“あっち”と、木陰の下にあるベンチを示して、そこまで歩いた。

「ふあああ。」

 ベンチに腰をかけるなり、大欠伸をする靖さん。

「で、どういう心算なんですか? 正直に話してください。」

「ん~。……。ちょっと、彼女のことを見てられなくなってね。」

「は? どういうことですか?」



 獣人の女が日々衰えてゆく様子に、靖さんはずっと胸を痛めていたのだという。



 そうした状況に陥る原因が彼女たちにあったとしても、もう彼女は十分に傷付いたじゃないか。

 仲間の男が目の前で死に、仲間を裏切るような話を二度もさせられ、その話を基にして、事態が彼女たちにとって都合の悪い方悪い方へと進展してゆく様子も、彼女は目の前で見せられていた。

 獣人とはいえ彼女も自分たちと同じ人間であれば、同じように心がある。自責の念に駆られて、彼女は自殺に及んでもおかしくなかったわけだ。だけど、小夜さよさんの術によって自殺もできず、彼女は虎さんたちの用を為すためだけに生かされていた。

 もし次回、異世界にて警察にまで仲間を売る供述を強要されれば、彼女は確実に気を狂わせるに違いない。小夜さんの術ってのは、抗えば抗うほど、精神を削られるらしい。ふつうは本能的にそうなるのを避けるべく、限界が訪れる前に術が促す方へ向けて行動するんだと小夜さんは言った。だけど、異世界の警察に対して獣人の話をすると、彼女の仲間、それに唯一の肉親を直接的に危険に晒すことになる。そんな行為に際して、小夜さんの言うように本能がきちんと作動して、彼女の精神が守られるのかどうかが疑問だった。

 元をただせば連邦全体に責任があるのに、なぜ彼女一人がそのような責め苦を受けなければならないのか。

 そう遠くない以前、三〇二号室の住人だったころの彼女はもっとふつうのお姉ちゃんだった。それがいまや、表情は色を、瞳は光を、唇は潤いを失い、頬はこけて頭髪もボサボサ、まるっきり別人じゃないか。

 もうここらでよかろう。彼女がこのまま廃人になるのを見るのは耐えられない。



 だから、彼女を奪ってきた。



 と、靖さんは語った。



「では、別にニューリーグ城塞から奪ってくる必要はないですよね? 見てられないなら、どっか別の方を見てりゃいいじゃないですか? とらさんたちと一緒にいたら厭でも目に着くってんなら、それこそ今朝言ったような理由でどこへなりと出て行きゃよかったんです。」



 靖さんの話す内容も理解はできるが承服はできない。なにしろ相手はセント・ラルリーグ侵攻を目論む極悪人の仲間なんだよ? なにをされたって文句を言える立場でもあるまい。しかもこの事態を放っぽいた挙句に起こる出来事こそ、目を背けたくなるような内容だってこと、判ってるの? 連邦とはなんの関係もない異世界に、人間離れした身体能力を持つ獣人が紛れ込んでるんだ。その事実の方が余程怖いわッ。



 そうしたことも改めて靖さんに問い掛けてみたけれど、まるでダメね。歯切れの悪い返事ばかりで、獣人の女をこちらに引き渡すって発想がないことがすぐに判った。

 もう靖さんはあの女に骨抜きにされてしまってるんだ。あの幸薄そうな顔に、“にゃ”とかいう語尾、死を渇望する眼差しに、すっかり参ってしまってるんだ。男ってのは、弱々しくて大人しくって、たどたどしい言葉遣いをする女を好きになったりするからね。そんな女を好きになる男も馬鹿丸出しだけど。



「それが虎さんたちを裏切る理由なんですか?」



 もう、これが最後の殺し文句だった。これが通じなきゃ、もう終わりだ。



「裏切るつもりはないんだけど、ね。」



 だけどだけどだけどってッ。



「靖さんを仙道にしてしまったの、本当に後悔してます。いままで、こんなに後悔したことないですわ。」



 仙道にさえなってなければ、靖さんはきっとなにもしなかったんだ。なにしろ、できないんだから。くっそ、半分は私のせいじゃないかッ。



「ごめん。」



「なんでこれまで一緒にがんばってきた人たちをッ、昨日今日会ったばかりの女のために、こうも簡単に裏切られるのか、すっごい謎ですね。」



「ごめん。」



 ホンットこの男はッ。俯いてごめんごめん言ってりゃ済むと思いやがってッ。腹ん中でなんて思ってるのか判ったもんじゃないんだからッ。早く私がどっか行ってくれればいいのにとかどうせ思ってんでしょうよッ。こっちは悔しくて悔しくて、情けなくってどうにかなっちまいそうだってのにッ。ああッ。



「で、あの女を弟に会わせたあとは、どうする心算なんですか?」

「特に、なにも考えてない。でも、とりあえずこっちで暮らすかな。」

「こっちの方が安全ですもんね?」

「ん、敢えてこっちからノコノコ出向くことはないけど、そうね、虎さんに言えば、たぶん、僕を殺しにくると思う。伊左美いさみ玲衣亜れいあは……どうだろ?」

「虎さんだって殺しゃしないでしょ? 靖さんじゃあるまいし。」

「虎さんならやるよ。虎さんはそういう人だ。だからって、嫌いなわけじゃないけど。」



 くっそぉぉッ。こんな悲しい情報、虎さんたちにお届けできるわけないでしょぉ? それに伝えたりしたら、また玲衣亜さんたちが責任感じちゃうじゃんッ。またお菓子屋じゃない方面に時間を割かなきゃならなくなるじゃんッ。仮に万一虎さんが靖さんとこっちの世界で対峙したって、お前、絶対返り討ちにするだろぉ? 自分はこっちでも仙道の力が発揮できるもんだからって、下手にカマかけてんじゃねえよッ。



 悔しい、悔しい、いますぐここで殺してやりたいわッ。



 悶々としてると、次の瞬間には爺様の家にいた。

 目の前には靖さんもいて、頭の上に疑問符が浮かんでいるようだった。

 その間抜け面が余計に腹立つわッ。

 やっぱり自分も召喚されるって頭がなかったのねッ。


「おじいちゃんッ、一〇秒後にまた私だけ召喚してッ。」



 間髪入れずにそう言い捨てて、私は靖さんを異世界に放り出した。

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