8-10(188) 別れる③
まるでもうバイバイしたかのように一人で街の喧噪の中に消えてゆこうとする靖さんを、私とアオの名コンビで追跡する。靖さんの足音を聞き分けるのは難しいとアオは言ったけど、それを補って余りある視力をアオは備えている。それにアオは空を飛べるから、靖さんが建屋内に入らないかぎり簡単に見失うことはないのだッ。え? 私はなにをしてるのかですって? アオに指示を出してるんですが、なにか? アオという強力なパートナーを得た私は、もう以前と同じ轍は踏まぬッ。そして、靖さんがコソコソとなにを悪巧みしてるのか、この目で確かめてやるんだ。
追跡からものの三分と経たないうちに靖さんはパン屋に入っていった。もしかしてこっちで仕事を探す気かしら? それとも単にお昼にパンを買うだけとか?
靖さんは私と爺様の打ち合わせ内容を聞いていなかった。その場に靖さんがいなかったからってだけだが、私は爺様に一時間後に召喚してくれと頼んでいる。もちろん、靖さんも一緒にだ。異世界に行ったら、そのあとはこっちに戻るってのが常識じゃない? 靖さんも虎さんに仕事の斡旋がどうとか言ってたし。だから、私としてはなんの疑いもなく靖さんも召喚してくれるよう爺様に頼んだんだけど。ひょっとすると靖さん、自分は置いてけぼりにされるのだと思っているのかもしれない。
一言確認してくれればよかったのに、と思わないでもないが、いまの靖さんはみんなと離れて生きてくんだと意固地になってるから、これ以上私になにかお願いするのを快く思ってないのかもしれないしね。
とにかく、しばらく靖さんの様子を観察してみて、もしも途方に暮れているようなら手を差し伸べなければなるまい。
パン屋から漂う香ばしい匂い。温かい午後の日差しの中、ぐうとおなかが鳴る。「あ、おなかの虫が鳴いたよ」とアオがわざわざ指摘するから、「私たちもあとでなんか買って帰ろうね」と頭を撫でる。いや、頭とかどこか判んないけども、そこは感覚で……。そこでお金を持ってきていないことに思い至り、ちょっとガッカリ。そういえば、ダニーの新しい住所もポポロ市のなんちゃら町ってとこだったよね。ここら辺とは違うのかしら?
まもなく、靖さんがパンの頭が飛び出た紙袋を抱えて店を出てきた。
追跡再開ですッ。
と、思ったら今度は大きな公園の中へ。
公園のベンチでパンでも食べようって魂胆なのかな?
むむ、靖さん、花壇を囲む煉瓦に腰掛けた人になにやら話しかけている模様。その人はボロボロの衣服に身を包み、やや暑いって陽気なのにフードまで被っていて、いかにもふつうじゃない感じ。まるでセンスのない乞食の装いだ。そんな人に靖さんったらちょっかい出さなくってもいいのに……ときどき変な意地悪したりするからね。って、あれ? 今度は飲みモノとパンを差し出してるわ。憐れな乞食に施しのつもりかしら。じきに自分がそっちの仲間入りするとも知らずに、いい気なモンだわ。あらあら、靖さんったら乞食にわざわざ水を飲ませてあげてる。パンも千切って口に運んでって……あの人、一体なにやってんのッ?
「葵ちゃん、まだ気付いてないんだろうから言うけど、驚かないで聞いてね? 心の準備はいい?」
アオが私の横でヒラヒラと動く。
「うん、驚かないから言ってみて。」
「靖さんの隣にいる人、アレ、獣人の女だよ。しかも、虎さんたちが捕まえてた奴ね。」
!!!
「なに言ってるの? あの女なら、今朝方何者かによって連れ去られたって議会の人が言ってたじゃん。」
「それは知ってるけど、けど、どういうわけか、あそこにいる奴は間違いなく獣人の女なんだよ。なんなら、近寄って確かめてみればいいよ。」
ん~……。
目を細めて乞食を見るが、どうしても顔がよく見えない。かといって近づけば、靖さんにも気付かれるし、そのときに靖さんがどういう反応を示すか判らない。秘密を知られて、口封じに殺されることも考えられる。まさかあの靖さんが? とは思わない方がいいだろう。アオの言うことが確かなら、あそこにいる靖さんは昨晩から今朝にかけて、ニューリーグ城塞にてあの女を連れ去るという暴挙を成し遂げているんだから。私一人を消すくらい、それこそ朝飯前でやってのけれるはずだ。さっき私と別れた靖さんと、いまの靖さんは別人……そのくらいの認識でいた方がいいかもしれない。
くっそッ。それだけじゃない。あの獣人の女でさえ、私の手には負えないときてやがるッ。いやいや、あの女は小夜さんの術のおかげで、私には手を出せないはずだ。う~ん。
「どうするの?」
……。
「もう少し様子見る?」
……。
「葵ちゃん。」
「行くッ。」
三度目のアオの呼びかけに、私はきっぱりと言い放った。
物陰からサッと立ち上がると、私は靖さんたちのことなんて眼中にありませんってな具合で、靖さんたちに向かって歩く。公園を突っ切るつもりで。そこに、たまたま目端に靖さんの姿を捉えたんで、声を掛けるってイメージ。だけど、靖さんも私に気付いたのかあからさまに表情を変える。怒ってるのか、焦ってるのか、よく判らないけどね。
でも、その顔を見て思った。“あら、こんなところでお昼ですか?”みたいな演技なんて、到底私にはできやしない。
煉瓦に座っている二人。女が怖々と視線を外す。靖さんは私をキッと睨んでいる。私はそんな二人を上から睥睨する。
「その女はなんなんですか?」
私の頭ん中はまだ混乱で渦巻いている。
おそらく厭な会話になるだろうと予想されたが、それでも後に引くわけにはいかなかった。




