8-4(182) 突撃させた
翌朝、私たち使節団一行は連邦側の人たちの案内でブロッコ国に入った。一行が出発する前に獣人の女を連邦領側に放してある。彼女は一行を追跡し、小夜さんが合図すれば一行の前に姿を現わし、ブロッコ国の現状を涙ながらに直訴するという趣向だ。だから彼女にはわざとボロの服に着替えてもらっている。見渡すかぎりに田園が広がる風景の中、彼女はきっといまも私たちを見失わない程度に距離を置いて、追跡を続けているんだろう。もし彼女の体力に限界がくるようであれば、形振り構わなくていいから一行の行列に突っ込めと、小夜さんは彼女に命じてある。小夜さんの術も完璧なわけではない。被施術者ができないことは、命じてもできないんだ。それに、いくつもいくつも術を重ねてゆくのも被施術者の心身にあまり良くないらしい。特に彼女のように無暗に重ね掛けするのは初めてとのこと。だから、用が済んだあとに術の縛りを解いたとしても、果たして元どおりの彼女でいられるかどうか判らない、と。
「並の奴ならもっと早い段階で参ってるところさ。たぶん、獣人の頑丈さがあればこそ、いまも黙って術の縛りを受け入れられるんだろう。」
そんなことを言ったあと、小夜さんは「ちょっと喋り過ぎたな」と舌打ちした。
行列の前後には連邦の兵士と幾人かの仙道が控え、万一の急襲に備えている。一日目はブロッコ国の首都であるブロッコ市を訪れる予定だ。道々、いくつかの町を経由するが、どの町も落ち着いていて治安が悪いようには見えない。誰もが怯えることなく外に出ている。治安が悪いときってのは、もっと人は絶えず足早になったり、周りを警戒していたりするものだし、外出も極力控えるものだ。ケルン市街でリヴィエ一家とマロン一家が衝突を始めた直後の街の様子はそんな感じだった。それと比べて、少なくともいま見てきた町には治安の悪さの片鱗すら見られないし、連邦軍が威圧的に町中を闊歩してるでもない。この調子では、黄泉さんたちが自分たちでブロッコ国の異変を察知するのは難しいかも。
夕刻、ブロッコ市街へ入る。
まだ日はあるのに目抜き通りにさえ人もまばらで、周囲の建物も雨戸のないのや窓ガラスが割れたままになったもの、空き家なのか玄関前に背丈ほどもある草が生い茂っているのもある。獣人の女の話にあった連邦軍と野党との衝突の痕かもしれない。こんな有様では、これまで通過してきた町の方がまだまともだ。
「ずいぶん荒廃してるように見えるな。」
虎さんが辺りを見渡しながら言う。
「どっから見てもまともな町には見えないねぇ。」
小夜さんが虎さんの言葉に応じるように感嘆を漏らす。
「これはさすがに連邦への追及が期待できますかね?」
これが連邦を追及する切り口になるのではと期待を膨らませる私。
「それはどうかな? おそらくいま、使節団の誰もがブロッコ市の様子に驚いているだろうと思う。だけど、たぶん、誰もなにも言わないだろう。」
「え、なんでですか?」
町の荒れた惨状をまのあたりにすれば、連邦内でなにかが起こっていると考えて、そこを尋ねてみるのがふつうじゃない? 私たちって連邦の視察に来てるわけだし。
「連邦領内にかぎったことなら、私たちが口を出すことじゃないからね。聖・ラルリーグへの侵攻とか、異世界への行き来とかの動きがあれば議会も動くけど、そうでなければ基本的には知らん顔さ。それが両国間の取り決めだからね。」
状況がどうであろうと、その前提条件は覆らないんだ?
「それに、相互不干渉が蒼月さんの意志だし、黄泉さんも間違いなくその意志を踏襲するだろうし。」
虎さんの予想どおり、黄泉さんはブロッコ市の様子を目にしても連邦の人たちとの世間話の話題の一つとして片付けてしまって、特にこれを切り口に連邦領内視察の地域拡大とか期間延長とかを迫ることはなかった。
市内のブロッコ王国城跡地に改築された庁舎にて使節団一行は歓待され、獣人の市長の挨拶も受けた。ブロッコ国を挙げて使節団をもてなしてるって感じ。黄泉さんの方も連邦政府の中枢であるコマツナ市に辿り着くまでは波風立てぬようにと考えているらしい。
現時点で連邦は聖・ラルリーグにとっての仮想敵国であって敵国であるわけではないんだ。
このままでは明日にもブロッコ市を出立してしまう。ここでブロッコ国に対してなにも追及しないのであれば、黄泉さんが自力で連邦の不穏な動きを察知する見込みは薄い。だから虎さんは翌朝、ブロッコ市を離れる前に獣人の女を使節団一行の前に飛び込ませることにした。
その日は重くて黒い雲が空に垂れ下がり、いまにも雨が降ってきそうな天気だった。使節団一行は庁舎を出て、連邦の使者を先頭に街道を進む。
一行の進行方向、少し先に一人の女が立っている。
往来を行く人たちは誰もが使節団一行の列を物珍しげに眺めながらもそそくさと道を開けているのに、その女は微動だにせずに一行の前に立ち塞がっている。
細くて長くスラッと伸びた手足、ボロボロの衣服、身体も泥や埃にまみれ、髪もボサボサ。見るからに無宿者といった風体。
先頭をゆく使者の一人が先行して女の下に駆け寄る。おそらく女に道を開けるように注意するんだろう。
だが、使者が女の下に駆け寄ったと同時に女が一行に向けて走り出した。その場に置き去りにされる使者。一行の前方を固める警備兵が槍を構える。そのとき、女が跳躍した。女は一気に警備兵たちの頭を飛び越える。だが、警備兵も落下する女に向かい飛びかかった。女も獣人なら警備兵も獣人だ。双方とも身体能力が図抜けている。
警備兵の槍が女の背に届くかと思われた瞬間、女の身体に鎖が巻き付き、槍の穂先が鎖に弾かれる。体勢を崩した警備兵が行列の中に墜落する。女は虎さんの足元に投げ出される。
警備兵の墜落した辺りにいた人たちが巻き添えを喰らっていないか確認する声、この騒ぎになにごとかと喚き散らす声……辺りは一時、獣人の急襲に混乱したが女が捕縛されている姿を見てようやく落ち着きを取り戻す。
「その女を連行しろぉッ。」
使者が荒々しく警備兵に指示を飛ばすと、それに従い警備兵が女を抱えようとする。が、それを虎さんが制止する。
「待てッ。この女の目的を聞きたい。」
そう言って警備兵を一睨みすると、睨まれた獣人たちは使者の方に目をやり、それを受けてしゃしゃり出てきた使者が頭を下げて謝罪をして「こちらの不手際でお手を煩わせてしまい、申し訳ありません。この女については当方で処断しておきますゆえ」などと勝手なことを言い出す始末。虎さんの言葉なんか聞いちゃいないんだ。
「なにを言ってるんだ? 私はこの女の目的を聞きたいと言ったんだ。」
虎さんが凄みを利かせて言う。うろたえる使者。
「状況として、この女は聖・ラルリーグの使節団の行列に向けて突っ込んで来たわけだ。ふつうに考えて、この女の目的は私たちの暗殺なわけだが、であれば、この女に仲間がいないかだとか、誰の指示で動いただとか、この女に確認しなければならないことがたくさんあるわけ。判るかい? それを連行しろとか勝手に言ってたけどさ、あまりふざけんなよ。それともあんたがこの女の目的を代弁できるってのかい?」
激昂している虎さんを見兼ねたのか、黄泉さんが虎さんの肩を叩き、「神陽、もういい」と声をかける。
そして、黄泉さんの号礼により、私たちは街道から外れた空き地で女の聴取を行なうことになった。パラパラと雨が落ち出し、生温かい風が吹いた。
空き地にて、獣人の女が虎さんの屋敷で話したのと同じ内容を繰り返す。黄泉さんたち仙道を始め、聖・ラルリーグのお偉方もこの話に息を飲む。一方、連邦の連中は顔を青くしていた。
しばらくして獣人の女の話が終わる。
さて、議会はこの話を聞いてどう対応するのか……と答えを待っていると、まるで目眩を起こしたときのように視界が端から中心に向かって暗転していった。




