8-1(179) ボン城塞
唐突ですが八章になりました
虎さんの屋敷を出立してから二時間ほど霊獣を飛ばすと、三年前まで聖・ラルリーグとコマツナ連邦の国境を隔てていたボン城塞が見え始める。連邦視察を目前に控え、ここで連邦視察に臨む人たちの最後の調整が行なわれるらしい。
合戦直後は荒野と化していた城周辺の景色も、いまは草木に覆われ、合戦前の装いに戻りつつある。一方、掃討戦の主な舞台となった城塞自体はいまだに修繕中というか、すでに国境線が書き換えられたことを理由に、崩れた城壁などが当時のまま残されていたりする。焼け焦げた壁とその破壊された様子、まだ撤去されていない瓦礫などが聖・ラルリーグ側の仙道および兵士たちの攻撃の凄惨さを物語っているよう。こちら側に進撃してきた連邦軍も、まさかこの城塞が自分たちの退路を塞ぐことになろうとは夢にも思わなかっただろう。
その戦果の最大の功労者である天さんはもういない。
そして、連邦の不穏な動き。いま一番の気掛かりは、虎さんたちが一体どこまで考えて動いているのか、という点だ。虎さんたちが異世界と関わっているという事実が露呈することを怖れるのは判るけど、仮に議会の目を上手く欺きつつ、連邦が異世界で武器を調達していることを議会に伝えられたとして、そのあとに待っているのは聖・ラルリーグとコマツナ連邦との戦争だ。私や爺様はともかく、虎さんや伊左美さん、玲衣亜さんなんかは参戦することになろうから、もしかするとではなく、当たり前のように命を落とすことになるかもしれない。そんな具合なのに、当の本人たちより私の方が気を揉んでる感じだから、余計に心配になるのかもしれないけど。
連邦への使節団派遣を提案したのも虎さんなら、近々連邦の不穏な動きを議会に知らしめるのも虎さんで、もし虎さんが自分たちの行動への負い目とか正義感に駆られて動かなければ、衝突を先延ばしにはできるだろう。虎さんたちと異世界の関与が露呈する可能性もいまよりグンと減るに違いない。ま、先延ばししただけ連邦の態勢も整うだろうから、戦の被害はより大きくなるだろうけど。だからといって、誰が虎さんたちを責められるというのか。しろくま京は言うに及ばず、テイルラント市の人たちでさえほかの土地からの移住者が増えるに従い、三年前の合戦の犠牲の上に自分たちの命があるんだってことをすっかり忘れてしまっているのだから、ときには全員に痛い目を見させればいいんだ……とかって、時折り考えてしまうんだけど、その考えが正しくないことくらい判ってるから、自己嫌悪に陥っちゃうんだよね。私はときどき、厭な奴になるんだ。ときどき? しょっちゅう? どっちだろ?
ボン城塞の警備兵の案内で城の中に入ると、まず中庭に通された。中庭の一角には大きな慰霊碑が建てられていて、一同、そこで歩みを止めて黙祷を捧げる。木陰の下、枝葉がそよ風に揺れている。「ありがとうございます」という警備兵の柔らかで温かい感じの声。
「では、参りましょう」と踵を返して進む警備兵の背を追い、案内された城の中央に位置する一室にはすでに十数人が着席している。室内の梁に提げられた時計に目をやる。時刻は一〇時四〇分。打ち合せ開始時刻の二〇分前。案外、余裕をもって到着したんじゃない?
虎さんが見知った人たちに挨拶をしている間、私は伊左美さん、小夜さん、獣人の女とともに壁際に立って待っていた。すると兵士が椅子を持ってやってきて、壁際にその椅子を並べ始めたので、手持無沙汰な私たちもそれを手伝った。どうやらお供の人は壁際の席に着きなさいということらしい。
特に目立つこともなく大人しく座ったのだけれど、どうも落ち着かない。それはこれからどう転んだってマズイことになる……という不安からかもしれないけれど。いま目の前にいる面子に比べたら、ずっと前に爺様に召喚までされた挙句に出席した議会の席の方が余程凄い面子が揃っていたように思う。なにしろここには天さんも黄さんもいないんだもの。ま、私がほかの人をよく知らないだけっていうのもあるけどね。
虎さん、すでに着席して隣の男の人とお喋りしている。それから視線を巡らせて、ぐるりと室内を見回すともう部屋一杯に人がいる。中には見たことがある顔もちらほらあるけど、知り合いでもなければ名前も判らない。
ん? 虎さんとお喋りしてた男がこちらに歩いてくる。私たちに用かしら?
「ご無沙汰しております。」
向こうが声を発する前に、伊左美さんが起立して挨拶する。伊左美さんの知り合い?
「おう、伊左美。久しいな。その腕はどうした?」
「ちょっと階段ですっ転びまして。地味に骨が折れたみたいなんです。」
「へえ、なんか伊左美ってときどきおっちょこちょいなこと言うけど、運動神経は良いってイメージだったんだけどな。もう歳か。」
「まだそこまで歳じゃありませんけど、まあ、おっちょこちょいですわ。」
「ふ、これから連邦域内に入るんだ。連邦の人間の前では毅然としていてくれよ。」
「そりゃ、もちろんです。」
そこで男の視線がこちらに向く。ちょっとビクってなった。
「ところで、なんでお前がこんなところにいるんだ? 明日雪が降るかもしれないから冗談でもやめてほしいんだが。」
わ、私ッ?
「はん、もう夏になるんだ。冗談でも雪なんか降りゃしないから安心しなよ。」
背後から小夜さんの声。ってことは、いまのは小夜さんに言ったのね。よかったぁ……って、え?
「ふん、相変わらずだな。最近は大人しくしてるようだが、アレかい? 心変わりしてみんなの仲間に入る気にでもなったのかい?」
「なに寝言言ってんだよ? んなわけないだろ。」
「ふ、まあいいさ。神陽がいるから大目に見るが、万が一にも向こうで術を使ったりしたらいかんぜ。」
「ふん。」
勧告を鼻であしらう小夜さん。ま、向こうで術を使う可能性大だから、嘘を吐くわけにもいかないもんね。あ、今度は間違いなく目が合ったった。
「どうも。太汪軍黄泉と申します。いつも神陽がお世話になっているそうで。」
お世話になっているですと? いえいえ、あまりお世話もしてないしされてもないんですが。虎さんはこの人にどこまで私のことを話しているのだろうか?
「いえ、こちらこそ虎さんにはお世話していただいておりまして。あ、私、相楽葵と申します。」
「以前、何度かお会いしたことがあるんですが、お話したことはありませんでしたよね? あとでお茶でもしましょう。」
「は、はいッ。」
やば。この人は虎さんの師匠じゃないかッ。しかも何度か? 何度か……ですって? 異世界人拉致犯を捕まえるときにいたのは覚えてるけど、ほかはどこで会ってる? アレか? 天さんに転移の術を見られたときか? そんなぁ、私なんてただの爺様の孫娘ってだけで、全然目立ってなかったはずなのに。なんで私みたいな奴のことを一々覚えてるかなぁ。そりゃ、私が可愛いからに決まってんでしょぉ?って玲衣亜さんだったら言いそうだけど。
黄泉さんはアキちゃんに対しては一瞥するだけで特になにも言わずに席に戻っていった。虎さんも黄泉さんに付いてった。虎さん、アキちゃんのことは黄泉さんになんて紹介したんだろう? ただのお手伝いさんとかそんな感じに紹介したのかな?
「なんか凄いヤバい気がしてきました。」
黄泉さんが私たちから離れてから、伊左美さんに弱音を吐いた。
「ふふ、葵ちゃんに小夜さんに、ウチもヤバいのを抱えたもんだよ。」
まあッ? ヤバいのってなに? 酷くない?
「ま、いざとなったらオレは黄泉さんより葵ちゃんと小夜さんを取るから。」
え?
「それって、つまり……。」
「もし、二人がなんらかの理由で議会にやられそうになっても、そのときは死んでも二人を守る……心算で動く。実際に守れるかどうかは、知らないけど。」
クッソ惜しい。途中までカッコよかったのにぃ。
それからまもなく、議会とお偉いさんの打ち合わせが始まった。打ち合わせでは、今回の連邦視察の目的とルール、聖・ラルリーグのコマツナ連邦に対する立場の周知確認が行なわれた。今回は寝なかったからね。内容はほぼ聞き流したけど。だって結果は見えてるから。とりあえず、まずは黄泉さんが自力で連邦の不穏な動きに気付いてくれることに期待だわ。




