7-21(171) アキちゃん暴れる
爺さんチに戻ってくると同時にザザーッと床を擦る音が響き、直後、ダンッ、と床を叩く音がした。アキちゃんに吹っ飛ばされた伊左美はそのときの勢いをそのままこっちの世界に引き継いできたみたい。ただ、身体が宙ではなく地面ってか床に接地してたのが幸いして、自分の腕でブレーキをかけられたんで、大事には至らなかったみたい。けど、痛そう。慣性の法則があるから、仕方ないね。これってもし落下方向に力が作用した状態だったら召喚されたときにどうなるんだろ? ふ、たぶん爺さんチの床が抜けんだろうな。
玲衣亜はいるかと辺りを見回せば、玲衣亜ともう一人、三〇一号室に侵入してきた獣人の男もいるじゃないかッ。
「おおぅ、ゴォッド。」
爺さんがこの世の終わりとばかりに呻いている。
葵ちゃんが玲衣亜の方を見て、目を見開いたまま首を横に振ってる。信じられない……って感じなのかな?
そんな僕たちの反応を尻目に、玲衣亜は男の背後から彼の首を締め上げ、そのまま落とした。伊左美が男の腿などを縛り止血する。出血で死んでしまわないための配慮らしい。そうして玲衣亜は卒倒しそうになっている爺さんに頭を下げ、事情の説明を始めた。まず、男の頭に巻かれたバンダナを剥ぎ、獣人特有の獣耳を確認する。で、この男にいろいろと尋ねたいことがあるから、召喚されるときに足を掴んできたと玲衣亜は言った。確信があったわけじゃないけれど、転移の術と同じで誰かに触れていれば、その触れられた人物も一緒に召喚されるんじゃないかと考えたらしい。爺さんが外交問題だなと唸れば、伊左美が「これから外交問題になるんでさぁ」と返す。玲衣亜が「汚れは落ち着いたらすぐに掃除にきます」と断ると、それから虎さんの屋敷へ移動することになったんだが、これに爺さんも付いてきた。
虎さんの屋敷へ着き、庭先に男を転がしてから虎さんを呼んだ。
事情を説明する前に虎さんにも庭先に来てもらい、男を起こす。
僕は虎さんにことの経緯を説明する。一方で、玲衣亜は男に家探しの件について尋ねている。
男はなにも盗っていないと言う。
なにか探していたのかと尋ねても、特定のなにかではなく、僕たちが何者なのかを知るためのなにかがあればと思い家探ししたとのことで、この言葉に偽りはなさそうだった。
玲衣亜が金を出せと要求する。洋服代に窓の修理代、その他いろいろ、家探しされたことに加え男に荒らされたのが原因でお金がたくさんいるんだと男に説明。男は無い袖は振れないと言い、さらには自らの足を示してここまでしたんだからもういいだろうと訴える。足に関しては自己防衛の結果だから、家探しと窓破壊の両賠償問題の件とは関係ないと玲衣亜。いずれにせよ一銭も出せないと言い張る男に、葵ちゃんが「玲衣亜さん、彼のことは無視して、彼の仲間に払ってもらうからいいですよ」と不穏な一言を漏らす。それに対する玲衣亜の言葉を待たずに男が無駄さと言う。あの騒動のあとで、仲間は逃げてるはずだと。ま、隣の部屋で仲間が足を負傷しているのをアキちゃんは見ているし、さらにその負傷した仲間は消えてるわけだし……警察も絡んでたしね。そりゃスタコラサッサと逃げるよね。「葵ちゃん、残念だけどあっちじゃ獣人よりこっちの方が弱いんだ」と玲衣亜が遅れて葵ちゃんに教える。「あ、ああ……ええ」と葵ちゃんも玲衣亜の言葉に反論まではしない模様。あくまで仙道の力を向こうで発揮できる人物がいるという事実は玲衣亜たちに公表しないわけだね。僕はこうしたやり取りの間も、虎さんに状況説明を続ける。「勘違いしてるようだけど、こっちがお前の仲間のとこまで行って取り立てるんじゃないんだぜ?」と伊左美が男に伝えている。どういう意味だろ? 虎さんが伊左美に「どういうこと?」と尋ねると、伊左美が長くて赤味がかった髪の毛を一本摘み上げてみせたんで、アキちゃんの髪の毛をくすねてたんだなと判った。僕が察したのと同じことを伊左美が虎さんに話す。その話に感心した虎さんだったけど、アキちゃんを呼ぶのは男の出方次第だねと言った。だがその直後、男の話が嘘か真かを確認する意味で結局呼ぶことになるだろうけど、と虎さん訂正してた。うん、そういう意味でも伊左美さんファインプレイだわ。
さて、本題へ移ります。
虎さんも状況を把握したところで、男への本格的な聴取が始まる。
名前、出自、住所、連邦内における仕事、立場、異世界でなにをしていたか、目的、誰かの指示で動いていたのか等を尋ねる。男自身の話ではないが、連邦の思惑、近年の連邦で変わった点など尋ねてみるものの、男は名前のほかはなにも語らない。知らないと惚けたり、ときに悪態を吐いて、男は僕たちを挑発したりした。これには困ったねと虎さんも呆れていた。そして最後に、現在の聖・ラルリーグの状況を知っているのかと尋ねると、やはり知らないという返事。ふう、この男はまったくアテにならないな。
そこで伊左美がアキちゃんを召喚するように爺さんにお願いした。
虎さんとも打ち合わせをして、爺さんがアキちゃんを召喚することに同意。まもなく、虎さんの屋敷にアキちゃんが現われた。背に大きな布袋を背負っている。さては遠出の最中だったなと、なんとなく思う。
「うっす。さっきはどうも。」
呆然としているアキちゃんに伊左美が話しかける。アキちゃん、可哀想に伊左美が眼前にいることに対して怖れ慄いてしまって、次に自身の身の回りを調べ始めた。なにをされたかてんで見当が付かないんだろう。それに、足を斬られた仲間の姿も目の前にある。気が気ではなかろう。
「部屋でぶっつけられたのは水に流すからさぁ、これから聞くことに正直に答えてもらえる?」
伊左美の問いに、アキちゃんの視線が獣人の男の方へ向く。伊左美もアキちゃんの視線の先の方へ顔を向けながら言う。
「大体はもうあの男から聞いてるんだ。ただ、それが嘘かホントかオレらじゃ判断できないもんでね。」
ブウウン……。
伊左美のなんだって斬れる剣、光一文字が抜かれる。伊左美がその切っ先をアキちゃんの胸の辺りに向ければ、アキちゃんの目は見開かれ、その額に汗が滲んだ。
「ご、ごめんなさい。」
アキちゃんから謝罪の言葉が漏れる。
「あ、そうそう。忘れてた。そうだ、部屋を荒らした件については金出してもらうから、それも含めてちょっと向こうで話そうか。」
ゆっくり頷くアキちゃん。玲衣亜が虎さんに目配せして、アキちゃんの方へ駆け寄り、玲衣亜が先導する形で三人が屋敷の中へ入ってゆく。一方、虎さんは鎖を抜いて男の身体を拘束すると、手元の方で鎖を二分した。いままで知らなかったけど、虎さんの鎖は手元を離れても存在し続けるみたい。しかも鎖の輪を外すのも意のままっていうから、結構使い出がありそう。物を吊り下げたりとか……ってそんなことを考えてるときじゃないね。
男に猿轡を噛ませて拘束が終わると、僕と虎さん、爺さん、葵ちゃんの四人で伊左美たちのあとを追った。
伊左美たちが部屋へ入ってゆくのが見えたので、僕たちもその部屋へ入ると、なぜか三人の姿がなかった。シンとした部屋。あれ? 部屋を間違ったかな? そのとき、「マジかよッ?」と背後で爺さんの声。ん?
「爺さん、なに?」
尋ねてみるも、爺さんはウンともスンとも言わず、そればかりか僕を見てもくれやしない。爺さん、難しそうな顔をしてるから、そのただならぬ雰囲気に僕も口をつぐむ。虎さんの方を見ると、「もしかするとだけど、あの女性、伊左美と玲衣亜を連れて転移したのかもしれない」と言う。あッ、転移の術のカードかッ? 異世界に出没していたのだから、確かにアキちゃんが所持していたとしても不思議はない。もし虎さんの推測が正しいとするなら、かなりヤバい状況になっているかもしれない。いま、伊左美と玲衣亜は丸腰のはずだ。
まもなく、三人が僕たちの目の前に姿を現わした。
玲衣亜がアキちゃんと肉薄しているが、玲衣亜の片腕はダランとしていて、明らかに使い物になっていない。次の瞬間、アキちゃんの腕に鎖が巻き付き、アキちゃんの片腕がバキッと音を立てる。続け様にもう片方の腕も音を立てたかと思うと、「カハッ」とアキちゃんの苦しそうな吐息が漏れる。アキちゃんはそのまま鎖に拘束され、玲衣亜が廊下に崩れ落ちる。
「大丈夫かッ?」
「はッ、どっから見ても大丈夫じゃないでしょ? ケホッ、ケホッ。」
「どこをやられたん?」
腕はパッと見で判るが、ほかに目立った外傷は見当たらない。
「ちょっと首をやられそうになったけど、途中でこっちに来たからギリギリ助かったって感じ。」
強がりなのか笑みを浮かべる玲衣亜。よく見ると唇も切れて腫れてやがる。もうッ、こんなときに恰好着けんなよ。
「腕は?」
「ん? 肩が外されてるのと、あともしかしたら骨にヒビ入ってるかもしれない。」
一方の伊左美はやはり肩が外されていた。なんでも転移したと同時にアキちゃんに腕を思い切り掴まれ、投げられたのだとか。しかも片腕で、二人同時に投げ飛ばしたというから、改めて獣人の力強さを思い知らされる。
虎さんと葵ちゃんが二人の治療のために動く。僕は手がまだ十分に利かないということもあり、爺さんと一緒にアキちゃんを見張る役を仰せつかった。
「おう、姉ちゃん。世界の果てまで逃げてみろや。あと何度転移できるのか知らねえが、なにがあってもオレは絶対お前だけは逃がさねえぜ。」
爺さんはアキちゃんにそう言って聞かせてから、獣人の男にしたのと同じく猿轡をアキちゃんに噛ませた。いまの出来事に爺さんも少し苛立ってる様子。
静かになった廊下に、庭の方からウ~ウ~と呻く男の声が聞こえてくる。アキちゃんは諦めたのか、抵抗する気配は微塵もない。爺さんが大きく溜め息を吐いて、廊下にあぐらをかく。僕は突っ立ったまま、そんな周りの様子をただ見ていた。僕はこの事態にあって、なにをすればいい? 自身の不完全な手を見つめて、いろいろと判らなくなった。結局、なにもできやしないじゃないかッ。




