7-12(162) 気が抜けた
異世界の方で拷問を受けてたのに、気づいたら断崖にいて……ってアレは夢か。
ベッドから起き上がり、窓の外を見て、ここが仙人の里だと確信した。もう日は高い。アキちゃんが介抱してくれたのか指先には包帯が巻かれている。指先がまだズキズキ痛む。ああ、左手の小指と薬指はもうダメだな。
それにしても人の運命って不思議なもんだと思う。昨日の夕方までは、まさかこんなことになるとは思いもしなかったのに。不意に直希や遼のことを思い出す。三年前の行軍中に死んだ人らも、生き運がなかったんだろう。左手がポンコツになったけど、こんなの大したことじゃないさ。僕は生き運だけはいいみたい。爺さんにはお礼を言わなきゃね。
リビングには爺さんや虎さんたちがいた。葵ちゃんの姿はない。
みんな僕の手が負傷していることを知ってたようで、僕がリビングに顔を出すなり僕の容体や負傷までの経緯なんかを根掘り葉掘り聞かれる羽目になった。だけど、なにがあったかを話すには、アキちゃんたちのことを虎さんに話すか否かで揉めてた伊左美と玲衣亜の対立の結果を聞かなければならない。といっても、僕はとっくに話す気でいるから、事前に二人に話すことを断っておくといった感じだけど。
というわけで、僕は伊左美と玲衣亜を連れて戸外に出た。
家屋の裏手、やや草木の香りが匂う庭、壁の脇に積まれた薪の上に三人並んで腰をかける。。
「ちょっと煙草くれない?」
指先の痛みを麻痺させてくれないかと思い、煙草をねだってみた。
「悪い、いまオレの煙草も玲衣亜のもあっちにあるんだ。」
なるほど、召喚のタイミングが悪かったね。
「そっか。」
「ちょっとじいじに煙草余ってないか聞いてくるよ。」
ないなら別にいいと声をかけようと思ったときには、すでに玲衣亜は腰を上げて歩き出していたんで、なにも言えなかった。
しばらくして玲衣亜が煙草の葉と煙管を持ってきた。ふう、爺さんには迷惑ばかりかけてるな。
玲衣亜も最早虎さんにアキちゃんたちのことを話すことに異存はないらしい。偶然とはいえ、僕が今度のような仕打ちを受ける程に敵対してしまったからには、アキちゃんたちに情けは要らないと玲衣亜は言った。アキちゃんたちに配慮していた彼女だからこそ、僕の負傷に人一倍怒りを感じているんだろう。できるだけ迅速に情報を集めて連邦の動きを捕捉しなければならんと伊左美。
二人とも僕の負傷をきっかけに闘志を燃やし、かつ自分自身を責めた。自分を責める必要はないし、それにアキちゃんたちを恨む必要もないんだと、僕はそんな二人を宥めた。
僕たち三人とも、相手の立場って奴を考え抜いてなかったってだけだからね。
僕にはアキちゃんたちの昨晩の行為は当然のことのように思えた。正体が見透かされた翌々日に、怪しい三人組がしばらく家を空けますときたら、そりゃ、仲間に情報を伝えようとしてるとか思うだろう。仮にアキちゃんたちに疾しいことがなくたって、相手が聖・ラルリーグの人間となれば、アキちゃんたちにとっては即ち敵対勢力なのだから。敗戦の記憶もまだ新しいだろうし。僕たちはアキちゃんたちを警戒するあまり、知らぬ間に精神的に追い詰めてしまっていたんだ。
そんな話をすると、玲衣亜がいつのまに僕は聖人になったんだ? と呆れたように言う。一方の伊左美は、僕が伊左美と玲衣亜の二人に気を遣ってる部分もあるのだろうと深読みする。でも、言われてみれば確かにそういう意図もあったかもしれない。僕の負傷について、二人にはあまり気に病んでほしくないんだ。続けて玲衣亜が、「ケンちゃんがいるからでしょ?」と僕に尋ねた。なるほど、うん、それもあったかもしれない。あんな幼い子を巻き込むことになるのは、できれば避けたいからね。でも、僕がこんな御仏のようなことを言えるようになったのは、ただただ僕の気が抜けちまったからだろうと思う。
さて、二人の確認も取ったし、虎さんとついでに爺さんにもアキちゃんたちのことを話そうか。
「あ、そうそう。あと一つ。あとで話すけど、二人に悲しいお知らせがあるから。」
裏手の出入り口に向かいながら、僕は二人にそう告げた。仕事をクビになったことを話すのは、アキちゃんたちの一件を話すよりキツイかも。
虎さんと爺さんには、余計な憶測は交えず、事実のみを時系列に沿って話した。馬に蹴られて平気な男の子。語尾ににゃ。頭に耳。アキ、ナツミ、ケンという名前に三人の関係。アキちゃんに口止めされたこと、ナツミちゃんに拷問されたこと。アキちゃんがそれを止めてくれたこと。そして、聖・ラルリーグの名が彼女らの口から出たこと。
虎さんと爺さんはアキちゃんたちを連邦の獣人だと確信したみたい。問題は彼女たちの目的だと爺さんは言った。連邦が銃火器の入手をはじめとする戦力の強化を目論んでいるなら面倒だって。うん、もしそうだとすれば大変だ。国境を越えて、三年前の戦で奪った領土内に暮らす人たちにとってはたまらない情報だろうな。聖・ラルリーグ国内の人たちにとっても、他人事では済まないかもしれない。
さて、虎さんと爺さんはこの事態にどう対応するつもりなのか。
連邦の動きを探るといっても、現状、聖・ラルリーグと連邦の間に国交は戦前と同様、一部の物資を輸出入するだけに留まっている。聖・ラルリーグは領土を一部割譲されたのち、裁判にて戦を主導した人物たちを処刑し、それを潮に連邦への介入をやめた。これは蒼月さんの決定らしい。議会では今後も連邦を徹底的に管理しようとする勢力と、蒼月さんと同じように考える勢力とに二分されていたようだけど、その対立も蒼月さんの鶴の一声で幕となった。
つまり、連邦を探るのは困難を極めるだろうことが予想される。今回はさすがに虎さんたち単独で動くのはムリだろう。なにしろ一刻でも早く状況を把握し、異世界にいる獣人たちに対処しなければ意味がないからね。議会にアキちゃんたちのことを公表するほかない。今回は葵ちゃんの協力が得られるかどうかも判らないから、余計にね。ただ、その場合、虎さんたちがどうしてその事実を知り得たのかを追及されるとちょっと困るのだけど。
虎さんと爺さんもその辺りのことが気にかかるようで、対応を判断しかねているといった様子。
「ちょっと、全然関係ない話なんだけどいい?」
虎さんたちの話し合いは長くなりそうだったので、僕は言うべきことを言って外出してしまうことにした。虎さんたちの了承を得て、話す。
「前さ、僕の仕事の世話してくれるって言ってたじゃん。」
「あ、うん。」
「まあ、あれからまた異世界へ行くことになったから、たぶん、もう探してないとは思うんだけど……仕事の世話、もういいよ。一応ね。」
虎さん、ちょっとぽか~んって感じになってる。
「そしたら、ちょっと外の空気吸ってくるわ。」
「あ、うん。」
僕の唐突の申し出にもかかわらず、虎さんが了承してくれた。
今度はちょっと驚いてる感じ。
僕は虎さんに向けてニッと笑みを見せてから、外に出た。
街並みはしろくま京とかとそんなに変わらないけど、仙人の里ってくらいだから、周りの人たちはみんな仙道なんだろうな……とか考えながら、慣れない道をとりあえず山の方に向かって歩いた。感傷的になったときに、なんとはなしに高い所に登りたくなるのは馬鹿だからかな? ま、いいや。いまから僕は、今後の身の振り方を考えるんだ。ふう、なんか僕、いっつも身の振り方考えてる気がするな。
石段を上がって行くと、山の麓からも見えた大きなお屋敷まで辿り着いた。それを横目にさらに山道を登り、麓を一望できそうな開けた場所が見つかった。その場所には誰か先客がいて、やはり山の麓の様子を眺めているようだった。近づいていくと、その後ろ姿に見覚えがあるような気がした。葵ちゃん? 後ろ姿だけではよく判らない。まもなく、僕の足音に気づいたのか、その人がこちらを振り返る。
あ、やっぱ葵ちゃんだ。
こんなとこでなにしてんだろ? って、僕も人のこと言えないか。




