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1-2 (15) 仙道が羨ましいッ

 引っ越し先のアパートは『希望の港館』という名称だけど、別に港が近くにあるわけじゃない。建物自体は古ぼけているものの、割と大きな通りに面していて窓からの見晴らしも良く、商店なども近いとあって立地も良い。住人層は既婚者が多く、夕方近くになるとアパートの下では何人かの子供たちが遊んでいるといった感じ。



 今日、入居して荷物をそれぞれの部屋へ下ろした。生活必需品を揃えに買い出しもした。あっという間に一日が終わる。当然かもしれないが、異世界に来てから毎日が新鮮だ。まるで、大自然の中でキャンプをしている気分ッ。



 その夜、が奇声を上げた。

 なんだなんだ? ゴキちゃんでも出たかね? 尋ねてみると、久々に吸った煙草がうまいのだという。 ああ? そんなことで驚かせないでほしいな、まったくッ。

「いままで我慢してたの?」

「んあ、だって、異世界に煙草がない可能性もあったから、こっちに来るときにもう煙草はやめてやろうと思って。」

「ずっとやめてりゃよかったのに。」

 僕は煙草をやらないからね。

「いや、こりゃ、やめられないね。今回、改めて煙草の旨さを知ったわ。」

「知っちゃいましたか?」

しびれるわぁ。」

 うざいわぁ。でも、伊左美の顔がホントに幸せそうだから、無暗に責められない。

 そのとき、部屋のドアを叩く音が響いた。ノックって感じじゃないッ。

「ちょっとぉ? なんだか煙たいんですが、火事ですかぁ?」

 ドアの奥からの声。

「ちょっと、玲衣亜が怒ってんじゃない?」

「まさか、アレが煙草で怒るもんかッ。」

 おお、ついにアレ呼ばわりですか?

 この数日で伊左美と玲衣亜の関係がなんとなく判ってきたけど、仲がいいんだか悪いんだか、どうなんだろうね?

「ちょっとぉ? 入るよ~?」

 ドアが開き、玲衣亜が部屋を覗く。いや、そこは許可を得てから開けようよ?

「ああッ。煙草吸ってるッ。」

 玲衣亜が目を丸くして頬を膨らませる。気のせいかとても瞳が輝いている。

「買い物してるときに見つけたんだ。」

 そう言って玲衣亜に一本差し出す伊左美。

「どこに売ってたの?」

「なんとかって通りの、夕食の材料買った精肉店の隣。」

 煙草を咥える玲衣亜にマッチを渡す伊左美。玲衣亜がふうううッと大きく息を吐く。排煙量が二人分になり、僕は思わず咳き込んでしまった。僕、この二人といて大丈夫かな?

「見て見て玲衣亜ッ。」

 今度はなんだよ?

「ほらッ。」

 そう言いながら、伊左美が何度も煙草を吸っては吐いて吸っては吐いてを素早く繰り返す。

「一本で何回も吸えるぜ、これ。凄くない?」

「あら、ホントに。煙管きせるよりいいみたいね?」

「ね、ホントッ。」

「うん、これはいいわッ。」

「ふい~。」

「ふふふふふ。」

 ついに、ここに異空間が誕生してしまいましたよ。僕は黙って立ち上がると、ドアを全開にしたまま部屋を出た。そして、リビングの窓辺に肘を付き、頭を抱えた。

 あの二人、結局似た者同士じゃねーかッ。



 伊左美が働こうと言い出したのは、アパートに移ってから間もなくのことだった。技術の習得には仕事に従事するのが手っ取り早い。それに、いつまでもとらさんの遺したお金で生活してゆくわけにもいかん。異世界に馴染むためにも、働いた方がいい。

 というのが、伊左美が労働を推奨する理由。

「私はもう働き方なんて忘れたわッ。」

 伊左美の意見に対し、冗談なのか本気なのか、玲衣亜が言った。聞けば、玲衣亜は向こうの世界では仙人の里があるという蓬莱山ほうらいざんに籠って、日々グータラして過ごしていたらしい。旦那に養われているわけでも、家族に面倒を見てもらっているわけでもないというから、仙道というのは随分気楽なものだ。なんでも、蓬莱山ではその日の衣食住はなんとなく手に入るようになっているのだとか。だから、毎日気の向くまま風の向くまま過ごしても、生活に困ることはないってさ。

 それが退屈だといって人の生活圏に降りてきたのが伊左美で、前にも聞いたことがあるように、仙人の里を離れて人の世に紛れている仙道も多いのだとか。

独り暮らしの気安さと引き換えに生活の苦労を双肩に背負い込んだ身の上としては、二人が話す仙道の暮らし振りが暢気なものに思えて、羨ましくて、ねたましくて堪らない。

「キミらなにを思って生きてるわけ?」

 人生舐めてるよね、絶対。

「ん、なんか面白いことないかなって。」

 面白いことってなんですかね?

「私はワクワク、ドキドキを探してるのッ。」

 どうぞ、水平線の彼方まで探しに行ってください。

 ああ、それで二人とも異世界に来てるのね?

 合点がいきましたよ。でもダメだ、感覚がずれてる。いや、伊左美はまだ大丈夫だ。図書館で司書をしていただけあって、さすがにまだまともだッ。

「そういうやすしはなに考えて生きてるの?」

 玲衣亜が尋ねてきた。特に、なにも考えてないな。

「別に、なにも。」

「ええ~、なにそれ? 正直に答えるか、なんか面白いこと言うかどっちかにしてよッ。」

「うん、いまのはないわ。」

 いや、正直に答えているんですが、どうしろと? ん、でもよくよく考えると、うん、絶対二人には面白くない返事しかできないな。よし、いたずらに切なくなるだけだから考えるのはやめようッ。

 それから趣味や向こうの世界での仕事のことなど、とりとめのない会話をして、夜が更けていった。 



 その店の前を歩くと、焼き立てのお菓子のいい匂いが漂ってくる。

「ここで働こうッ。」

 そう言い出したのは玲衣亜だ。店の名前は『牡牛のすい』で、玲衣亜はこの店のお菓子のファン。アパートの近所にあるものだから、帰宅時にちょくちょく買うようになったんだけど、店の壁に店員募集の張り紙を見つけて、これぞ運命の引き合せだと思ったらしい。この店のお菓子作りの技術を盗み、向こうの世界でも流行らせようというのが玲衣亜の狙い。

 うん、こういうのはいいよね。僕も向こうの世界でこっちのお菓子が売られていたら食べたいと思うし。

「じゃあ、玲衣亜はここで働かせてもらえないか聞いてみなよ。」

 と伊左美。

「ええ~、みんな一緒じゃないの?」

 玲衣亜が唇を尖らせる。

「三人がお菓子職人になってどうすんだよ? ほかにもいろいろ学ぶべきことがたくさんあるってのに。」

 伊左美が正論を振りかざす。

「それは一理あるね。」

 僕は同意しておく。

「ふつう、そう考えるよね。」

 伊左美がさらに玲衣亜をへこませるべく相槌を打つ。

「まあ、それは正しい意見だと思うわ。」

 意外にも早々と玲衣亜も同意を示す。

「だろ?」

 伊左美が鼻を鳴らす。

「でも、異世界での初就職を別々にするのって怖いじゃない? 労働環境だって、どんなものなのか判らないんだし。」

「つっても、周りを見ているかぎりじゃ、馬車馬のように働かされて死にそうですって感じの人なんていない感じだぜ?」

「そんなの見ただけで判るわけないじゃないッ。大抵、笑顔の裏でみんな泣くんだから。世間に自分の苦しさを見せて歩く奴なんているわけないじゃん。」

「なんか身に覚えがあるって感じの言い方だけど、玲衣亜とは無縁の感覚じゃない?」

「まあ? 失礼ね。私だって表に出すに出せない感情をぐっと抑えて生きてんだからッ。」

「おお、いままで全然気づかんかったわ。」

「まあ、伊左美に対しては遠慮する必要ないから、気づかなくても当然ですけどね?」

「ちったあ遠慮しろや。」

「する必要性を感じないし。」

「親しき仲にも礼儀ありっていうじゃん。」

「そうだけど、伊左美には関係ないもん。」

「うざッ。」

「ってことだから、三人で申し込みに行こ?」

 僕は引き続き伊左美の返答を待つ。この二人の会話にはなかなか入っていけないよ。

「だからッ、そのだからって……。」

 伊左美が両手で顔を覆い、苦悶している。可哀想な伊左美。

「ボスとしてはどう思う?」

 唐突に伊左美が僕に聞いてくる。

「ええ~、僕に振るの?」

「ボォス、どうよ?」

 なんでドス効かせてんの? 玲衣亜。

「知らないけど、とりあえず、三人で申し込んでみる? でも、玲衣亜には悪いけど、ぶっちゃけ三人とも採用されるってことはないと思うよ?」

「なんでぇ?」

「だって、三人も不足してるなんてことないでしょ。せいぜい、一人か二人欠員が出たから、それを補うのに募集してるだけじゃない?」

 玲衣亜が顔を歪めて僕を睨む。

 それ、なんのアピール?

「わかった。じゃあ、三人で申し込んでみようか? そんで、どんな結果になっても文句言いっこなしよ。」

 伊左美が嫌味たっぷりに言う。玲衣亜の歪んだ顔の目が、一際大きく見開かれる。怒ってる、怒ってるぅ。

「じゃあ、三人で申し込む、ってことで。」

 玲衣亜がゆっくりと言った。

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