1-1 (14) 二人は幼馴染ッ
虎さんとロアさん、小夜さんの三人は夕食を済ませたあと、みんなに見送られて向こうの世界へ戻っていった。向こうの世界では僕の仕事関連の事後処理を済ませたのち、異世界に理解を示す人を探すのだとか。ただ、異世界と転移の術の存在を公にすることはできないため、仲間集めも難航することが予想される。さらに転移のカードの使用は必要最低限に抑えたいという事情もあり、近いうちにまた顔を見せるといったことはできないらしい。
三年後に向こうの世界で落ち合い、お互いに現状を報告し合おうと虎さんは言った。三年後といえば僕は二六歳か。三年という歳月を思う。長いのか、短いのか。父親四十八歳、母親が四十五歳だから、三年もすれば下手すりゃ死んでるかもしれないな。ちょっと感傷的になりながら、虎さんに両親への伝言をお願いした。しばらく会えないけど、元気でやってるから心配いらないってね。
三人が帰ってしまったあと、僕たちはあまり話をすることなく、旅の疲れを癒すために宿に戻り、それぞれの部屋に入った。
ランプを点けて、窓辺に移動する。窓を開けて、外を眺める。暗闇の中、大通りに沿うように青白い光が浮かぶ。余所の窓にも燈の灯ったのがいくつもある。空も気のせいか向こうの世界より若干明るく感じられる。夜も更けに更け切ったというのに、まだ人の活動しているのが判る。
うん、この窓から見える景色は、長屋から見える景色とは違う。遠くに来てしまったなぁ。異世界への感慨を新たにして、僕は窓辺を離れた。
そして、翌朝。
起きてすぐ覚える違和感。慣れ親しんだ長屋ではなく、異世界の宿。時刻は六時。今日はなにをするんだろう? しばらくベッドに横になって考える。まだ眠たいし、頭もやや重い。まだ待ち合せまで時間があったから、僕は眠気に誘われるまま、二度寝を決め込んだ。
八時前、集合場所である一階の食堂前にて伊左美と玲衣亜を待つ。食堂に入っていく人や身支度を終えて宿をあとにする人たちをぼんやりと眺めて時間を潰す。八時を少し回ったころ、伊左美と玲衣亜が口論をしながら階段を下りてきた。
「判ったらそれ、もう着ないでよねッ。」
「はあ? 厭ならそっちが着なけりゃいいだろッ。」
朝から険悪なムードの二人。二人は僕に気がつくと、明るく挨拶してきた。二人の喧嘩に巻き込まれたくないから、僕は口論の原因を追及しない。
「もう着替えたんだ? 早いね」と伊左美。
「まあ、慣れない世界だし一応、気を遣ってね。」
見れば、伊左美と玲衣亜は色違いでお揃いの恰好をしていた。
ワンピースの裾が膝下まである感じの、ボーダー柄の服装。ひょっとして寝巻きかな? 髪も寝癖がついたままのようで、二人の姿は強烈なインパクトを放っているッ。ちょっと距離をとっていいですかね?
一瞬、格好のことに触れようかと思ったけど、これこそが口論の原因かもしらんと思い留まる。
食堂に入り、朝食を摂っていると、周囲がチラチラとこちらのテーブルを見てはニヤニヤしている。中には盗み見たあと、新聞紙で顔を隠す者まである。
もしかして浮いてる?
うん、どう見ても浮いちゃってるよね?
なのに当の二人は気にしたふうでもなく黙々と食事をしてるんだからッ。二人とも少し不機嫌そうだしッ。これじゃ、僕が不機嫌になれないじゃん?
「靖。なんかオレたち、見られてないか?」
伊左美が視線をあえて周囲に向けずに言う。
「気づいた?」
自覚があるといえばあるのかな?
玲衣亜は話題に入るつもりはないようで、食事に没頭している。
「やっぱりか。なんか視線をビシビシ感じるんだよな。なんか珍しいのかな?」
あらら、視線には気づいても、原因までは特定できないか。
「例えば、周りの人をよく見てみると判るかもしれないね。」
遠回りな言い方だけど、気づいてくれるかな?
「周りの人?」
そう言いながら伊左美が首をぐるりとさせて店内を見渡すと、みんな一様に顔を背ける。
「ええ、マジでッ? オレ、この世界嫌いかも。」
「早ッ。」
今日は異世界を調査するうえでの拠点を決めるということで、荷物を宿に置いて街中へ繰り出す。
虎さんが質入れした金塊のおかげでお金は潤沢にあるとはいえ、無暗に浪費するわけにはいかない。この世界でのいまの僕たちの最大の武器はお金なのだから、というのが伊左美の考え。案外、伊左美もいろいろと考えてるよね。今日は玲衣亜も酒のボトルを持っていない。
昨日が特別であり、今日からは異世界の日常に馴染もうと二人も考えているんだろう。
長屋のように、気軽に借りられる場所があるといいんだけど。
建物に貼られている『 空き部屋あり 』、『廉価』といった張り紙を頼りに部屋を探す。いくつかの部屋を見させてもらい、街中のボロアパート三階の部屋に決めた。リビングに備え付けのテーブルと椅子四脚。さらに小さな部屋が二部屋あり、そこにはそれぞれベッドが設置されている。
三人の男女が暮らせる最低限の間取りで、かつ古ぼけているものの家賃が安いというのが決め手になった。
「じゃあ、明日の朝には掃除しておきますから、昼過ぎ以降に五〇三号室の方に来ていただけますか。そのときに鍵もお渡ししますから。」
同アパートの五階に住む家主である男が言った。
これで僕たちも明日からは一端の市民ですよ。
宿の食堂で夕食を摂る。
明日の夕飯からは自炊しようという算段だから、こうやって外で食べる回数もこれからは極端に減るだろうね。
「なるべく目立たないように。周りと同じように生活しなくちゃいけないからね。」
ワインを飲みながら、伊左美が言った。今朝のことを思うと、全然説得力に欠けるわけだけども。それに、飲酒の習慣はやめないようだ。なんでも酒は仙道の動力源であり、酒をやめるということは仙道をやめることと同義なのだとかなんとか。人が仙道について詳しくないことをいいことに、適当なことを吹き込まれている気がするんだけど。
対面に座っている玲衣亜もやはりウイスキーを飲んでいる。まだ今朝の口論のことがしこりになっているのか、伊左美と玲衣亜はお互いに必要以上に話をしようとしない。玲衣亜に子供っぽいところがあるのはなんとなく知ってたけど、伊左美が意地を張っているのは少し意外だね。
必然的に、隣り合っている僕と伊左美が会話をし、玲衣亜は黙って聞く恰好になる。
結構、伊左美は今後の方針についてとか、重要なことを話しているのに玲衣亜はうんともすんとも反応を示さないから、話を聞いてるんだかどうなんだか判りゃしない。ま、ちゃんと聞いてるよね?
「じゃ、そろそろ部屋へ戻ろうか。」
みんなのグラスが空いたのを機に、伊左美が言った。
「そうしようか。」
僕と伊左美が席を立ったところで、玲衣亜が喋った。
「伊左美、なんか言うことがあるんじゃない?」
「ん? 特にないけど。」
「あるでしょ?」
「いや、ないし。」
なんかまた始まった。僕、もう部屋へ戻っていいですかね?
「ごめんは?」
「はあ?」
「謝らなくちゃいけないことがあるでしょ?」
「なにをよ?」
「判ってるくせにッ。」
「意味が判らん。」
「じゃあ、春の憂鬱のカクテルを注文してから出てってッ。」
「じゃあ、がどこに掛かるのか判らないんだけど?」
「いいじゃん。とにかくッ、注文して。」
「するわけないじゃん。」
「もうッ。」
「なんでもいいけど、玲衣亜も早く上がって寝なよ。」
玲衣亜がテーブルに突っ伏したけど、伊左美は一言掛けて義務は果たしたとばかりに店を出る。僕も玲衣亜の小さく丸まった背を見ながら、店を出た。いまは、テーブルの上のあの塊に関わる勇気はない。傍目には伊左美が正常で、玲衣亜が無茶を言ってるように見えるんだけど。この判断は正しいよね? まあ、いいわ。難しいことは考えずに寝るに如くはない。
翌朝。
目覚めても初日のような感慨は最早ない。慣れるのは早いもんだ。前日と同じように、八時前に食堂前にスタンバイ。連泊している人たちも多いようで、昨日と同じ顔ぶれがエントランス前を行き交っている。そして、前日と同じような口論の声が階上から聞こえてくる。なに、このデジャブ?
「絶対ただの嫌がらせじゃんッ。」
「知るかッ。」
朝から相変わらずの二人。二人は僕に気がつくと、明るく挨拶してきた。二人の喧嘩に巻き込まれたくないから、僕は口論の原因を追及しない。
「もう着替えたんだ? 早いね。」
「まあ、慣れない世界だし一応、気を遣ってね。」
伊左美が昨日と同じように言うので、僕も昨日の言葉をなぞってみる。なんなの、これ? 見れば、伊左美と玲衣亜は色違いでお揃いの恰好をしていた。
ワンピースの裾が膝下まである感じの、水玉模様の服装。
ああ、またお揃いの寝巻きですね? 髪も寝癖がついたまま。
「付き合って3ヶ月目ってとこですかね?」
「ああッ?」
ちょ、二人にそう凄まれると泣きそうになるんですけどッ。
で、案の定、食堂では周りから注目されることになった。周りの視線が痛いやら恥ずかしいやら。もう、さっさとこの宿から出たいわッ。




