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5-10(136) なにも起こらず

 翌朝、弟は学校に行くかどうか迷っていた。

 アホォ、なに悩んでんだ? らしくもないったらありゃしないったらないんだから。

「ほら、グズグズしてないで、さっさと着替なさいよッ。別に取って喰われるようなことはないんだから。」

 母が弟を急き立てる。こういうとき、母の気楽な性格は羨ましい。子供には子供の悩みがあるというのに。弟が学校に行きたがらない理由なんて知らないが、どうせ、久しぶりに登校するのが気不味いとかそんなしようもないことに決まっている。ま、しようもないことで悩むのも、また子供の特権だが……と大人な僕は考える。

 部屋のベッドに腰掛けてウジウジしている弟に声をかける。

「スティーブ、きっと学校で友達が待ってるから、なにも考えずに行くぞ。」

「行くぞって……。」

「僕が途中までついてってやるからさ。そしてそのあと、街まで出ようっていう。」

「なんだ? オレを出汁にして仕事をさぼろうってだけかよ。」

「ヘイッ、無駄話してる時間はないぜ。さっさと支度しな。あと五分したら手足縛ってでも外に連れ出すからな。」

 行く覚悟を決めたのか、ブー垂れながらもそそくさと支度を始める弟。まだ性根まで腐っていないようで一安心。



 学校へ向かう途中、僕も知っている弟の友達と遭遇したので、僕は弟をそいつに譲って一人で街の方へ向かう。特に街に用があるわけじゃないんだが、仕事を手伝わされるよりはマシだし、この辺をうろついてたんじゃ、すぐ誰かに見咎められてしまうからな。

 バターピーナッツ製造の手間賃をいくらか貰っているから、小銭は持っている。だからといって大それたことはできないけれど、いろいろなモノを物色して回る愉しみは増える。マビ町とは異なり、ケルンの街はこの三年間で結構変わったところも多いように思う。街灯の数も増えたし、ゴミステーションも散見されるようになった。おかげで街も小奇麗になった感じ。

 街中まで出たところで、とりあえず新聞を買ってみる。ときには世相も気になるからな。といっても、以前は新聞になんて見向きもしなかったんだが。どうせカルロスやマトスだって、新聞なんて読まないんだろうが。うん、周りに背広姿の奴らが行き来してるから、それに倣って気紛れに背伸びしてみただけさ。



 新聞紙片手に街を歩いていると、同レベルの者同士は引かれ合うのか知らないが、カルロスほかタメの奴ら数人、そして年上のヨハンが大通りの木陰でたむろしているのを発見した。なんか僕の友達って柄の悪いのが多い気がしてきた。いや、気のせいかも。

「おお、なにしてんの?」

 開口一番ご挨拶なことだ。

「おう、そっちこそなにしてんだよ?」

 一々答えたくないから、とりあえず質問で返す。

「オレらはヨハンとこに買い物に来たんだよ。」

「へ~。」

 カルロスたちだけならいざ知らず、僕はヨハンとは前からそんなに仲良かったわけじゃないから、正直ここで立ち止まって愉快に話をしようという気にはなれない。

「おい、すっげえ興味ねえだろ? ってか、そっちは?」

「僕は暇してて忙しいんだよ。」

「え?」

「だから、僕は暇してるんだって。」

「暇してんのに忙しいってなんだよ?」

「つまり暇だから忙しいってことだよぉッ。」

 もう自棄っぱちで腕を広げて大袈裟に訴える。

「変なの。それよりさ、暇ならこれからヨハンチ行こうぜ。」

 やっぱりッ? だから暇だとか言いたくないんだ。で、ヨハンの顔を窺う。

「ハ~イ、ヨハン。久しぶりだな。」

 果たしてヨハンがいい顔をするかどうか。僕はカルロスの提案に厭な顔をしたいところをぐっと堪えるわけだが。

「ハーイ……、ごめん、彼、誰だっけ?」

 ヨハンは僕を一瞥したのち、カルロスに尋ねる。OK、OK。忘れられてても大丈夫。記憶力の問題だし、僕にとっては空白だった三年間だったが、ヨハンにとっては様々なことがあった三年間なんだ。それこそ些細なことなど忘れちまってても当然さ。

「バタピー工場のダニーだよ。判るだろ?」

「おおッ、ダニーか。いや、大きくなってたから判らなかったよ。悪かったな。」

「いいさ。最近、似たようなことはよく言われるから。」

「カルロスとタメだったか?」

「ふ、もうボケてきてんじゃん。」

「はは、そうだな。最近は昨日の晩になに食べたかも思い出せないし。」

「いや、むしろそんなの誰も思い出そうとしないから、大丈夫。」

「ダニー、今日帰ったらおばさんに謝れや。」

「いや、話は判るけど作るのと食べるのはまた違う話だろぉ?」

 結局、雰囲気に流されてというか、誘いを断り切れずに僕はヨハンの家にお邪魔することになった。



 ヨハンの家で行なわれていたのは煙草の売買だった。銘柄は流行りの“アナザーワールド”で、ヨハンはこの煙草の仲買業者の真似事をしているらしかった。コネでそうした仕事にありついたらしいが、ヨハンのコネといえば連想されるのはヤクザ者くらいだ。これはなんだかきな臭いぜッ。というかヤニ臭いし。弟もヨハンルートで煙草を手に入れたのかもしれない。まったく、余計な物を流行らせやがって。

 カルロスたちがすることといえば紫煙を燻らせながら仕事の話をしたり女の話をするばかり。まだヨハンやカルロスたち自身の話を聞いている分にはそこまで苦痛じゃないが、友達の噂話までやられると部屋の煙たさと相まって気が滅入りそうになる。話の中には様々な人物の名前が挙がるが、知っている名前であってもすでに僕との付き合いがない奴らのことであれば、最早他人の話でしかなく。こんな退屈な話で時間を潰せるなんて、カルロスたちも立派になったもんだと虚ろな頭で考えたりしていた・



 延々と駄弁り続け、酒も入り、日も傾きかけたところで誰とはなしに酒場に行こうぜと言い出したので、資金不足を理由に僕は今度こそ逃げ出した。みんなと別れて感じる解放感。ああ、肩が凝るな。



「ただいま~。」

 家に入ると、リビングの方から父と母と、ほかの誰かを交えての会話の声が漏れ聞こえてきた。お客さんかな……と思いながらリビングに顔を出すと、そこにはジークさんがいた。

「あ、ダニー、おかえり。ジークさんがね、あんたに話があるって待ってたんだよ。」

「僕に?」

「そう、オレとダニーの、男同士の内緒話だ。」

 話の内容はともかく、内緒話をしますっていうのは公言するんだ?

 いや、ま、いいんだけどさ。

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