5-6(132) 何者?
「一瞬、本気で殺されるかと思ったわ。こっち振り返ったときの顔ったら、もう怖いってもんじゃなかったんだもん。」
ジト目で僕を睨むお姉さん。
街中でバッタリ遭遇した僕たちは、ゆっくりお話するために近場の喫茶店に来ている。どうやらお姉さんは僕の家に向かう途中だったようだ。いつもながらの手土産、仙人の里饅頭がテーブルの隅に置かれている。
「ごめんなさい。ちょっと苛々してたんだよ。」
「ふうん。ま、なんにせよ動けるようになってよかったよ。」
「ありがとう。」
「動けるようになって嬉しい?」
「そりゃあ、まあね。自分の思うように身体が動くってのは、素晴らしいことだよ。」
「にしては、早速苛々してたみたいだけど?」
お姉さんが紅茶を飲みながら尋ねる。
「ちょっといろいろあってさ。弟が非行に走ったり、家出したり、誘拐されたり……。」
「あらあら、って、ええッ? 最後のなんてった?」
「誘拐されたんだよ。弟がさ。」
「すごいね。大丈夫なん?」
す、すごいねって……。いや、確かにレアな展開だから、すごいといえばすごいのかもしれないが。
「大丈夫じゃないから、苛々してた。」
「なるほど。」
「ねえ、動けたら動けたで、いろいろ問題があるもんだね。ホント、最近つくづくそう思うよ。」
僕が元気になって仕事を手伝うようになったばかりに、弟はグレた。僕がちゃんと弟の話を聞かなかったばかりに、弟は家に居場所を見失った。なにも僕ばかりのせいじゃないかもしれないが……病に伏していたころはあらゆる事象が僕とは関係なかったのにな。
「業ばっかり背負ってるみたいだねぇ。」
誘拐の話を聞いても声のトーンが変わらないお姉さん。お姉さんにとってはやっぱり他人事に過ぎないようだ。あるいは僕が誘拐されたっていうなら、多少は慌ててくれるのかもしれないが。
「ちょっと相談していい?」
「うん、言ってごらん。」
「お姉さんって子供はいるの?」
「は?」
「いや、お子さんはいるのかなぁって。」
「ふん、どう見える?っていないよッ。もう、聞くだけ面倒臭いわ。」
やば、怒らせちゃった。ってか、もう大人なんだからいたらいたでなにもおかしくないのに。
「ごめんなさい。じゃあ、例えばの話なんだけどさ、お姉さんに子供がいるとしてさ、家出しちゃったらどう思う? 心配する?」
「さあ、家出の原因とそのときの私のムカつき具合によるんじゃないかしら。でも、なんで?」
「弟が家出したとき、ウチの両親はそんなに心配してないみたいだったから。」
「ふッ、ムカついてたのね。」
ちょ、真面目に聞いてくれてる?
「ほかにもさ……。」
カルロスの家でも昔、マトスが家出したときおじさんとおばさんは心配してないようだった。海坊主の家も海坊主がとっ捕まったってのに、そんな奴のことは知らないよって感じに暮らしている。誰も子供がちょっと家出したくらいじゃ心配なんてしない。僕が弟を心配するのは、ひょっとして僕の経験不足に原因があるのじゃないかと思ったり。動けるようになったって、三年前の事件のせいでこんなことにも人と違うってことに対して不安になるんだから、つくづく厭になるよ。
「その子たちもムカつく餓鬼だったってことね。」
僕の話にお姉さんはなんだか適当に返してる感じ。いや、これこそお姉さんらしいといえばお姉さんらしいのか。これまでお姉さんが真面目に話してる姿なんて見たことがない……気がする。
「そして、お兄ちゃんが弟くんの家出を心配するのはごく自然なことだよ。ただ、みんないろんな理由で優しくなれなかったりするからね、こればっかりはしようがない。」
「しようがないんだ?」
「そうだよ。あと、結局個人なんだから、他人と違うのは当たり前。人となにか違ってるからってクヨクヨしないッ。」
「そ、そんなもんかな。」
「そんなもんだよ。お兄ちゃん? 鏡見て映ってるのは誰よ? 自分でしょ? ほかの誰でもない、お兄ちゃんはお兄ちゃんなんだから、誰かの真似する必要なんてないんだよ。」
なんか判るような、判らないような。
「そうだ、ちょっと講釈垂れましょうか?」
「垂れてみて。」
「人という字は人と人が支え合って云々……。それぞれ足りない部分を補い合いながら支え合って生きてるの。だから、お兄ちゃんはオリジナリティ溢れるお兄ちゃんでいいんだよ。」
せ、先生ぇ。
それからお姉さんは誘拐事件の状況を尋ねてきた。僕は世間話の延長くらいの気持ちでケルンの街の夜道が危険なことや要求された法外な金額、取引日時などを話した。
「で、お金の受け渡し場所はどこ?」
半ば愚痴のつもりで話しただけなのに、厭に突っ込んでくるな。
「お姉さんでも、それは言えない。」
もしお姉さんが変な動きを見せたら、犯人が取引きを中止しかねない。とはいえ、ウチもいまのところ取引きする考えはないようだが、可能性はゼロじゃない。
「ああ、そうよね。弟くんの身を案じればこそ、教えるわけにはいかないよね。」
「うん、ごめんなさい。」
「気にしなくていいよ。」
「うん。」
「あ、お兄ちゃん、名前はなんていうの?」
「え? いまさら?」
この三年間、お姉さんは僕のことをずっとお兄ちゃんって呼んでいた。最初は知らない人だったし、違和感を覚えることなくいまのいままで名前を言わないままだった。三年前の事件に巻き込まれた可哀想な男の子くらいにお姉さんは僕のことを認識している。それが僕とお姉さんの間の距離。ずっと、そう思っていた。先日は名前を聞いたら偽名使われたし。
「まあ、いいじゃん。私は教えてあげたんだし。」
だからそれは偽名じゃないか。
「判ったよ、キャミーさん。それじゃあ、僕は……ダニーとでも名乗っておこうかな。」
ああ、咄嗟に適当な名前が浮かんでこなかったぁッ。おいおい、なにが名乗っておこうかな、だよ。
「おお、そう来ますか。ふん、まあいいわ。改めてよろしくね、ダニー。」
わお、お姉さんってば自分の言葉には鈍感なくせに、人の言葉には敏感なんだから。
それからまもなく喫茶店を出てお姉さんと別れた僕は、家に帰って今朝の暴言について、父に謝罪した。そしてその謝罪とセットで、今朝の父の言葉について問い質した。父は僕が家を出たあとに考えを改めたようだったが、実際はいまも決死の反抗をしてやりたい気持ちはあるんだと言った。だが、お金を払うという選択肢はないらしい。一人のために二人を犠牲にするわけにはいかないというのがその理由。家父長らしい立派な判断だと思わなくもない。ただ、それを受け入れるには少々心がモヤモヤする。
「ふふふふ、話はすべて聞かせてもらったよッ、ダニーくん。」
リビングの出入り口の方から唐突に声がしたので見てみると、そこにお姉さんが立っていた。って、ええッ? なにしてんの? 不法侵入じゃないですか。
「なんだッ、キミは。」
固まっている僕の背後から父の声が響く。
「名乗るほどの者じゃありませんが、私、そこのダニーくんの友達でして。勝手に家に上がってしまい申し訳ありませんでしたが、弟くんが誘拐されたと聞いて居ても立っても居られなくなりましてね。そうッ、私ッ、今夜は“弟くん救出大作戦”を立案しにやってきたんですッ。」
は? お姉さんって、いまさらながら一体何者なんだ?
人の字のところは金八先生ネタです(汗)




