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5-5(131) 誘拐

 長い闘病生活のせいか、考え事をするなら就寝前、ベッドに横になってからが最も捗るような気がする。海坊主の奴はちょっといい恰好し過ぎだな。人様に迷惑をかけるような生き方をしておいて、一丁前にこれも生き方の一つでございってか? 前々からなにかと問題のある奴だと思っていたが、この三年間で一人前の悪党になったみたいだ。ああ、とっ捕まったんだから、まだ半人前か。しかし、話し方といい態度といい妙に自信のある感じだから、おかしなことを言っていても聞いているそのときはなぜか納得させられてしまう。弟は以前から海坊主やマトスといった兄貴分と絡むのを喜んでいたからな。街中をフラフラしているときに、海坊主に声をかけられようものならすぐに陥落してしまったのではなかろうか。本当のところは弟に会ってみなけりゃ判らないが、最近の弟は多分に海坊主の影響を受けているものと思われる。



 大抵の奴は僕のことを変わったと言う。僕はみんなのことを変わったと思う。

 いまもそんなに問題なく友達と付き合っていけてる気がするが、どうしても事件前の感覚が残っていて、それがときどきコミュニケーションの邪魔をする感じ。以前の僕ってどんなだったか、もうあまり思い出せない。少なくともいまよりは元気だったし、活発に動いてたはずだが。

 かつての自分の行動を一々思い起こしていると、なんとなく眠気が増して、そのまま寝入ってしまったみたい。



 翌日、午後三時ころまでバターピーナッツ製造を手伝い、それからケルンの街に出た。目抜き通りの脇の路地を歩くと、何人かの子供たちと擦れ違うものの、浮浪児とそうでないのとの判別がつかない。子供なんてみんな走り回って遊んで、汚れた恰好をしてるんだから。顔なんかも砂埃や泥で汚しちゃってさ。

 オロオロしていてはすぐに日が暮れてしまうので、適当に出会う子供ごとに弟のことを尋ねてみる。「昨日、ここらじゃあまり見かけない十四歳くらいの男の子を見かけなかったかい?」という感じで。気がない子供は無視するか知らないの一言で終わってしまうが、答えてやろうという気のある奴はもっと具体的な情報を聞き出そうと、逆にこちらに質問してくる。

 今日の子供たちとの会話からは弟の足取りを掴むことはできなかった。だけど、不穏な話を聞いた。

 どうやらここの浮浪児たちのグループでさえ、夜道をフラフラ一人で歩くなんて危険なことはしないらしい。夜道では人攫いとか誘拐とか、人殺しまでなにをしても許されるらしい。そして、ここの住人はそうした犯罪者が何者なのかを特に気にしない。近場に暮らすグループが犯人である可能性があっても、お互いになにをして生計を立てているかを詮索しないのだという。

 おそらく、そうすることでお互いの暮らしを守っているのだろう。全員、脛に傷持つ身の上、叩けば埃が出る身体。そんな境遇であってもその瞳は子供らしく輝き、悲観している様子はない。自由奔放に見えてその実、日々の生活のために知恵を絞り逞しく生きているんだ。弟が海坊主やマトスに抱く憧れを、そのまま結晶させたのがこの場所なんだという気さえする。

 やれやれ、目抜き通りの路地は入り組んでいて、数時間程度では見て回れるもんじゃない。低く見積もっても一〇日間はかかりそう。今日明日にでもひょっこり帰ってきてくれればいいのだが。



 結局、その日も翌日も弟は家に帰ってこなかった。父も母も弟の友人関係などを頼りに探したものの、弟の足取りは掴めないまま、家出から五日間が経った。そして六日目、事態はあまりよくない形で進展を迎える。家に身代金要求の通知が届いたんだ。弟の身柄を返してほしければ一〇万クランを寄越せっていう。取引日時は一週間後で、その間に金を工面しろと。犯人グループの中には警察と繋がっている者もいるから、警察に誘拐のことを話せば即刻取引を中止にするとも書かれていた。通知とともに送られてきた弟の着ていた上着。継ぎはぎの布や位置から弟のモノだと母は言う。犯人が弟と接触を持っていることは疑いようがないわけだ。

 さすがにこれには父も参ってしまったようで、通知に向けて「この馬鹿がッ」と幾度となく唸っていた。母は父の決断を待っているのか、沈黙したままだ。僕も大金の絡むことであれば気軽にああしよう、こうしようと提案できる身でもないので、母同様父が口を開くのを待った。その間、ただぼんやりとお金を払った場合と払わなかった場合の未来をそれぞれ想像したりしていた。

「母さん、ダニー……よく聞いてくれ。」

 しばらくして、父が重々しい口調で言った。

「スティーブは家族だ。できることなら、助けてやりたい。」

 ゆっくりと喋る父。母は次はどんな言葉が出るのかと、眉間に皺を寄せて聞いている。

「そう思って、いろいろと考えを巡らせてみたんだが、無理だった。」

「ええッ?」

 母が驚きの声を上げる。僕も一瞬、耳を疑った。

「無理なんだよ。この一〇万クランって金額、どう算出したのか知らないが、ウチの家や工場、なにもかも処分してようやく拵えることができる額なんだ。……つまり、一〇万クラン払ってしまうと、一家が路頭に迷うことになるってわけさ。」

 季節は春だが、一家総出で乞食するなんて考えただけでも怖気が走る。

「仮に、一〇万クラン払ってスティーブが帰ってきたとしようか。でも、そのときにウチはないんだぜ? あいつのことだから、どうせまたすぐに出ていくさッ。はッ、今度はヘマをするなよって笑って見送るか? 結局は三人になっちまうんだ。それに、オレだってどうなるか判らない。一銭も持たずに乞食して、いまと同じ父親をやれるかどうかなんて、想像もつかないね。ひょっとすると恵んでもらった金を端から酒に変えてっちまうかもしれない。母さんは余所にいい男でも見つけろ、ダニーはさっさと出ていきやがれッ、てなるかもしれない。いや、そうなる気がするんだ。」

 なにも言えない。母もあらぬ方を見つめて黙っている。父も母も目にうっすらと涙を溜めている。

「はッ、犯人も馬鹿な奴だッ。ウチの財産のたかを正確に見積もって要求してみせて、してやったりとでも思ってるのか? 余裕をもって払える額面でなけりゃ、取引なんか成立しねえんだッ。せいぜい、アテを外して悔しがりゃあいいッ。クソったれがッ。」

 父が吠える。母がその傍らで啜り泣いている。僕がしっかりしなきゃ、父と母の心の支えにならなくてはと思うが、なんて言葉をかければいいのか。

 その日は夜遅くまで、父と母の言い争う声が僕の部屋まで聴こえていた。



 翌朝、父は工場に姿を見せなかった。母は二日酔いかなにかでしょ? とあまり関心を示さない。早朝の一仕事を終えて、朝飯の用意ができたところで父を呼びに部屋に入ると、そこには拳銃を見つめている父の姿があった。

「父さん、そんなの持ってたんだ?」

 声をかけると、初めて父は振り返り、僕がいることに気づいたよう。

「ああ、護衛目的でね。昔、買ったんだよ。」

 父の目が怪しく光っているように見えた。

「父さん、顔が怖いよ。」

「そうか?」

 そう言うと、父は眉を吊り上げておどけた顔を作るが、顔に滲み出た疲れの方が勝っているせいか見ていて痛々しい。

「警察には?」

「警察と繋がっているって話が本当かどうか判らないが、万が一ってこともあるから警察には知らせるつもりはない。」

「スティーブを諦めるなら、万が一警察と繋がりがないって方に賭けて、警察に届けてもいいんじゃない? 僕たちが取引現場に姿を見せなきゃ、結局のとこスティーブはやられちゃうんだろうし。」

「姿を見せなければ……か。」

 父が意味ありげに復唱してみせる。なんとなくここまでの会話で察することができた。父は犯人グループと刺し違えるつもりなんだと。

「もしかして、だけど。父さん、取引現場に行って犯人グループの一人でも二人でも殺そうって考えてない?」

「少しな。」

 口元をニヤッと吊り上げる父。

「あんた昨日まではちったぁ頭回ってたみたいだけど、酒の飲み過ぎでイカレちまったみてぇだなぁッ。」

「あんただぁ?」

 バタンッ。

 言うだけ言って、咄嗟に部屋を飛び出してしまった。ついでに家も飛び出した。父の目論みこそ本末転倒もいいところだ。父の行動を許せば、弟だけでなく父もいなくなって、残るのは僕と母の二人になるじゃないか。まったく、馬鹿げてやがるッ。



 気がつけばケルンの街まで来てしまっていた。なぜ街の方へ足が向いてしまったのか、考え事に夢中になっていたため判然としないが、きっと弟を探していた習慣のせいだろう。通りはふだんと同じに、特に賑わっていもいなければ寂れてもいない。この通りのどこをどう見れば居場所があるっていうんだ? 新天地を探す心持ちで臨めば、汚らしい路地裏の廂の下にでも天国が現われるってのかい? つくづく弟は大した奴だよ。あいつは大物だ。間違いない。

 苛々しながら通りを歩いてると、不意に後ろから肩を叩かれた。振り返ると、そこには笑顔のお姉さんが立っていた。

「ヘーイ。もう歩けるようになったんだ?」

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