5-4(130) 家出した
評価ありがとうございます!
5章からなんだか文字ばかりで余白がなくなってきたので、少し行数を減らしました。
酒の臭いだけなら、まだ外で飲んできたとか言い訳ができたが、さすがに部屋の中で煙草はマズかった。弟の部屋はいうまでもなく、その周辺にまで煙草臭さが漂っていたから、朝一で両親が気づき、父がついに怒りを露わにして弟に説教を喰らわせたんだ。父からしてみれば、つい先日注意したばかりだから怒るのも無理はない。でも、いまの弟を感情的に叱るのは逆効果だったようだ。弟は弟で父に反発するもんだから、父もさらにヒートアップして、それがさらに弟を頑なにさせてといった感じで、弟はついに家を出て行ってしまった。父は憤慨していて、母はこの状況に呆れている。やれやれ、我が家も大変だな。ここは兄として弟を救わなくてはなるまい。父と母には仕事があるし、僕の病気が治ったのと弟の素行が悪くなったのが同じ時期だというのも、ただの偶然ではなさそうだからな。
我が家唯一の暇人である僕がまず向かったのはカルロスの家だった。カルロスは多方面に付き合いがあるイメージなので、なにか有益な情報を聞き出せないかと思ったわけ。ちなみにもう学校は卒業していて、いまは家業の農作業に精を出しているらしい。マビ町郊外の田園地帯へ行くと、カルロス一家が畦道で休憩しているところだった。へへ、ちょうどいいや。
カルロスたちに弟の行き先に心当りがないか尋ねてみたところ、ケルンの街に出たのではないかとのこと。街には結構な数の浮浪児がいて、件の窃盗団もそうだが、浮浪児同士が徒党を組んで集団生活しているらしく、その中に紛れ込もうとしているのかもしれない。楽天的に考えれば、友人とか知り合いの家に泊めてもらおうと算段してる可能性だってある。
窃盗団について話をすると、海坊主がいま監獄署に収容されているという情報が得られた。彼と面会して話してみるのも弟の足取りを掴むのには有効かもしれない。
弟が吸っていた煙草についてはどの煙草屋にも置いてあるものだそうで、入手経路から弟の付き合いを探るのは難しそうだ。ちなみに煙草の名前は“アナザー・ワールド”というらしい。名前からしてぶっ飛びそうなんだが、カルロスに聞けば確かに味は違うが、それ以外はそこまでほかの煙草と違わないという。
そんなわけで、ケルンの街にある監獄署にやってきた。
古めかしい塀に囲われた区画の周りには鬱蒼とした森のように木々が植わっており、間近まで近寄らなければ、街中に残るこの森の中になにがあるのか判らないようになっている。守衛に取り次ぎをお願いして、海坊主と面会する。監獄に入るとみんな頭髪を剃るらしいが、海坊主は以前から坊主頭だったからいざ相対しても頭には驚かない。ただ、三年前と比べると少しやつれたように思う。マトスの友人であり、窃盗団の一員。まだ十八歳ながら窃盗団の中では年長だったから、団員を率いた罪を問われて懲役一年が早々に決定しているという。
そんな話を聞きながらも、面会時間は二〇分制限。世間話を交わしたところで、まず、弟の現状を説明した。そこからまたいくつか質疑応答を繰り返して、海坊主は弟のことについて話し始めた。
「スティーブはオレたちとつるんではいたが、窃盗団の一味に加わったわけじゃない。それはオレが認めなかった。そのせいか、スティーブは仲間たちと馬鹿話をして笑っていても、どこか寂し気だった。スティーブがなぜオレたちに寄ってきたか、それは判らない。ただ、ダニーが元気になったことや親父さんたちがダニーに仕事を教え始めたって話は聞いている。たぶん、ダニーが回復するまでスティーブは自分が家業を継ごうと考えていたんだろう。なのに、ダニーが元気になって、その後の家族の様子からダニーが家業を継ぐ公算が高くなった。親に構ってもらえなくなって、だからオレたちに共感を覚えたか、独りでもやってけんだと足掻いてみたのか、ただ親に反発してみたくなったのか、ホントのところは判らないが、スティーブはスティーブで必死だったんだろう。ダニーにはいまのスティーブがどう見えた? 酒も煙草もやり始めて、人生を投げた馬鹿にでも映ったか? あいつは馬鹿じゃない。ただ、考え過ぎただけさ。考えても考えても答えが見つからないから、自分なりに動いて答えを見つけようとした。それだけのことさ。そして、今回の家出はスティーブにとってのいわば背水の陣。もう家には戻らず、どこぞで答えを見つけて、独りで生きていこうという覚悟の表われさ。答えを求めて動いていたら、結局はその動いてた結果が答えになっちまってて、そうしてスティーブの人生は終わった。なんてな。」
要は僕が家業を継ぐと勘違いした弟が道を見失って非行に走り、このまま放っておけば身を滅ぼすと言いたいわけか。幼いころから弟の前を歩いていた僕が消えて、その後の弟を導いていた家業を継ぐ道も途中で行き止まりとか、当人からしてみれば“なんだこりゃ”な出来事だったかもな。無邪気に酒だ煙草だとニヤついていたのかと思ったが、まさか心の底では悩んでいたなんて。僕は弟の話もろくすっぽ聞かず、酒や煙草を勧めるという導入部分で以って否定してしまうんだから、僕の方こそ大馬鹿者だったわけだ。
「ケルン市中町の目抜き通り周辺の路地には浮浪児や乞食の集まっている。家出で行方不明となれば、おそらくそこにいるだろう。そこで見つからなけりゃ、船着き通りの方に行ってみるといい。そこには“本格派”がわんさかいる。町の雰囲気からして、余所とは全然違うからな。」
船着き通りはこのへん一帯のゴミを集積する船着き場からケルンの街まで延びる通りのことだ。この十数年の街の美化計画によってゴミ処理施設に各都市から処理場までの経路も発展してきたらしいが、船着き場周辺は町を含めてその一帯がすべてゴミ箱かといった具合に荒れていると噂されている。塵芥馬車を牽く業者には悪いが、そんな場所にはできれば足を踏み入れたくはないものだ。
面会時間が終了を迎えると、僕は海坊主に礼を言って監獄署をあとにした。
家に帰ると父も母も新聞を広げていたり夕食の支度をしたりと、ふだんどおりに過ごしていた。僕は父に今日聞き取りした情報を話す。父はまた憤慨して、僕にまで「お前はそんなふうになるなよ」と当り散らす。そして「明後日出荷分の製品が仕上がったら、時間をとって父さんたちも方々当ってみるから、明日はお前もちょっと手伝ってくれ」だってさ。そりゃ仕事は大事さ。一度納期を違えたばかりに問屋に見限られて一家が路頭に迷うなんてことになったら、それこそ弟を恨まなきゃならなくなるかもしれないし。でも、この父の言い方に少し腹が立つ。なんだか腑に落ちない。「ちょっと街の方まで弟がいないか行ってみるよ」と水を向ければ、「こんな夜中に出かける奴があるかッ。下手にフラフラしてたら殺されるぞッ」と怒られる始末。ま、少し考えれば、夜道が危険だってことは僕にも判る。それだけに弟のことが心配でもあるんだが。これまで“海坊主と愉快な仲間たち”と一緒に遊んでいたときとは違い、もしかすると、弟はいま、一人ぼっちかもしれないんだ。
明日もどこかのタイミングで父に相談して、弟を探しに行ってみるかな。




