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5-3(129) 弟

 マトスが働く店の二階席を貸し切り状態にして、僕たち六人はお祝いと称して飲み食いした。学生の分際で酒を飲むのかと非難めいたことを口にもしたが、こいつら酒を飲むのが大人の嗜みだと思ってるから性質が悪い。挙句には僕にまで酒を勧めてくるんだから。自分の信じるものは人も同様に信じるものだと信じているんだろうけど、押しつけはよくないぜ。ま、飲んだんだが……不味かったんだが。そして、帰り道ではもう大人の階段を一段上がった気になってるんだから、僕も人のことはあまり言えない。まだまだお子様だなと、自嘲気味に思うけれど、根本には早くみんなに追いつかないとって思いがあるんだろうなぁ。

 あと一ヶ月と経たずにみんなは学校を卒業して、大抵は家業を継ぐのらしいが、どこぞの親方に弟子入りするのだというのも、士官学校に入って軍人になるんだというのまでいるらしい。みんな集まって一緒くたになって騒いでいても、心の内ではそれぞれの道を決めて、バラバラな方角を見据えてスタートラインに立っている。僕はその遥か後方のブッシュで迷子になってんだ。そういう話になると、お前こそ家業を継げばいいじゃないかと暢気に言ってくる奴があるが、家業のバターピーナッツ製造は弟が継ぐと決まっているんだ。

「じゃあな、また。」

 日暮れの往来を歩きながら、一人また一人と別れてゆく。大きく振り上げる腕に、軽快にくるりと踵を返すと、フワッと翻る上着の裾、逞しくなった背中がなんだか恰好いい。

 割かし僕の家の近所に住むカルロスが別れ際、「今度はダニーが学校にいたころの奴らをみんな集めて遊ぼうぜッ」と言った。みんなで集まってなにすんだと問えば、「さあ? 見世物でも観て、そのあとみんなで酔っ払っちまえばいいさッ」だとさ。カルロス、お前は一体、なんでそんなに酔いたいんだ?



 僕の予想に反して、父は僕に家業を手伝わせるようになった。両親の手助けになればと思ったし、毎日暇してるだけなのも気兼ねしてしまうから、なんとなく言われるがままに作業を手伝っていた。そんなある日、我が家に悲報が届く。弟が非行に走ったってね。どうりで最近、弟の帰りがやけに遅かったわけだ。下手すりゃ夜中の一二時を回っても帰ってこないでおいて、朝目を覚ますと、きちんと部屋で弟が寝てるなんてこともあった。

 情報はご近所さんからもたらされたものだ。ご近所さんの息子くんがケルン市の街中で弟が一〇数人の少年たちと一緒にいるのを目撃。ただ一緒にいるだけだったらよかったんだが、弟たちはそのとき煙草を吸っていたらしいんだ。それを息子くんから聞いたご近所さんが厚意から母に「弟ちゃんが悪い子たちとつるんで煙草吸ってたらしいわよ」と教えてくれたのだとか。まあ、街もそんなに遠くないからな、悪いことをすればすぐにバレる。特に近所のこどもの変わり様だとか、夫婦仲の醜聞なんて大人達のいい酒の肴になるみたいだからな。酒とか下世話な噂話を愉しむことができるようになれば一端の大人って奴さ。僕はそんなふうになるのは一生御免だがね。

 ご近所さんのせっかくの忠告にもかかわらず、両親とも妙なところで寛容だから、そのときは弟に軽い警告をするだけに留まった。こどもは早く大人の仲間入りしたいと思うもんだってね。ま、僕もその寛容な精神のおかげで先日の飲酒をあまり咎められなかったから、あまりとやかく口出しできた立場じゃないが。ふ、当時はそれこそ両親とも眉をしかめながらもその実嬉しそうだったからな。



 それから幾日か過ぎて、ある日を境に弟の素行が落ち着きを取り戻した。あんまりの変わり身の早さに両親とも逆に心配になったのか、弟に変化の理由を聞いた。すると弟、ケロッとした顔で「みんな捕まったんだ」と言った。この言葉には僕も両親も面喰らって、さらに真相を聞き出せば、弟がつるんでいた奴らは窃盗団だったことが明らかになった。

「僕はほかの友達と遊ぶ約束をしてたから、その日はそいつらとは一緒にいなかったんだけど、おかげで捕まらずに済んだよ。」

 この事実を語るときも、弟はまるで罪悪感の一欠けらも持ち合わせていないといった様子。

「捕まった窃盗団からお前の名前が挙がることはないのか?」

 父が厳しい面持ちで尋ねる。

「仲間を売るなんて卑劣な真似、あいつらはしないよ。」

 僕だって心配しちゃいないんだ、だからみんなも安心して……とでも言うように、弟は無邪気な笑みを浮かべる。窃盗が卑劣な真似なんだから、その仲間を売るのは高潔な行ないだろ? やや腹が立ってくるのと同時に、弟はこんなに馬鹿な奴だったかと唖然とする自分もいる。

「それで、スティーブはなにか盗んだりしてないのか?」

 弟の一言々々に驚かさせられながらも、父は聞き取りを続ける。

「僕はなにも。」

 やれやれ、つるんではいても窃盗にまでは手を出してなかったのか。

「そうか。」

 父は静かにそう言うと、弟の追及をやめて窃盗団の方に話題を移す。窃盗団といってもケルン市街の中でのことだから、弟以外にも知り合いはいたんだ。海坊主って奴でね。頭髪を剃って坊主頭にしてたからそう呼ばれてるんだが、彼も捕まった口らしい。というか、弟を除く一〇数名全員が仲良くお縄になったというから、とんだ笑い話だ。

「海坊主のとこは馬を持ってなかったか?」

 父が弟に尋ねると、弟は「それは海坊主の家の持ち物だから、海坊主が自由にできるわけじゃない」と答える。

「誰か足を出す奴はいなかったのかよ?」

「みんな移動は徒歩だよ。」

「ふん、窃盗団のくせに、貧乏人ばかりじゃないか。」

「貧乏だから窃盗するんじゃないか。」

 なにを話してるんだ、この親子は。



 その夜、珍しく弟が僕の部屋に来た。

 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていて、なんだか気持ち悪いが、馬鹿な弟だと思えば可愛いもんだと思えなくもなかった。ただ、事件があってからは兄貴面をしたことはない。一年早く生まれているとはいえ、三年間を喪失した身としてはさ、すでに弟の方が経験豊富なんじゃなかろうかと思えて。だから正直、弟とどう向き合ったらいいのかよく判らないんだ。

「兄ぃさあ、もう酒は覚えたんでしょ?」

 唐突になにを言い出すんだ、こいつは。

「一度飲んだだけだから、残念ながらもう忘れたよ。」

「そしたら、いまから思い出そう。」

「は?」

 そうして僕は弟の部屋へと連れて行かれた。古ぼけた玩具以外、なにもなかった弟の部屋は一見いまも変わりないようだったが、ベッドの下から弟が取り出してきたのは酒瓶だった。

「その酒はなんなんだ?」

「貰い物だよ。」

「誰に貰ったんだ?」

「そんなの、どうだっていいじゃないか。そんなことよりまあ飲もうや。」

 まるで僕の質問なんて意に介さず、弟はグラスに琥珀色の酒を注ぎ、そのグラスを僕に押し付けてきた。そして、もう一つのグラスにも酒を注ぎ終えると、「乾杯」とグラスを少し持ち上げる。「なにが乾杯なん?」と言うと、「もちろん、兄ぃが元気になったことに対してだよ」と嬉しいことを言う。

 酒を口にしながら、僕の体調や仕事のことについて話をしたんだが、しばらくして弟がまたベッドの下からなにか取り出してきた。

「今度はなんなんだ?」

「へへ、兄ぃはもう煙草はやったかい?」

 た、煙草って、先日注意されたばかりじゃないか。

「スティーブ……こないだ父さんに怒られたばかりだろ?」

 僕が念を押すと、さすがに弟も罰が悪そうに照れ笑いする。

「まあね。」

「煙草なんてやめときな。」

 弟が大きく溜め息を吐く。

「でもなぁ、ちょっと注意してくれるのが遅かったよ。もう覚えちまってるんだから。」

「おい、父さんの話が判ってるなら、もう吸わなきゃいいじゃないか。」

「あ~あ、兄ぃも頭でっかちになっちまったな。本来ならこんなの、兄ぃが僕に教えてたはずなんだぜ? ま、それも叶わなくなったから、これまでのお返しに今度は僕が教えてあげようってのに。」

「なんの話だよ?」

「事件の日までは、いつも僕の前を兄ぃが歩いてたんだよね。でも、急にいなくなっちゃったから、フラフラとどこへなりと歩いてたら、こいつがあったってわけ。事件がなければ、兄ぃが先に見つけてたかもしれないし、もしかすると、見つけてなかったかもしれないけどね。」

 ずいぶんと曖昧な言い方を覚えたものだ。

「もしもの話をしても仕方なかろう? いまの僕はそいつにあまり興味がないんだ。スティーブももうやめろ。とまでは言わないが、せめて学校を出るまでは我慢しな。」

「遅かりし、だよ。」

 言いながら、弟がパイプに火を入れる。

「おい。」

 呆れた。なにが遅かりし、だよ。

「こいつがいまの流行りでね。去年くらいからリリス市で流行って、最近になってここまでその波がやってきたみたいなんだ。で、これがいままでの煙草とは一味違うってんで、ケルンの街でも専らの噂なんだ。」

「そんな噂知らないな。」

「そりゃ、いままで外に出てなかったからだよ。カルロスやマトスだって吸ってんだから。」

「はッ、あいつらこういうの好きそうだもんな。」

「ね? 僕も同じだよ。」

「お前は違っとけよ。」

「違ってるのは兄ぃだけさ。兄ぃ、試しに一〇日間、吸ってみなよ。僕の言ってる意味、判ると思うからさ。」

 窃盗団の仲間を失って、今度は僕に目を付けたか、それとも純粋に僕への好意からか。いずれにせよ、悪いがそんな誘いに乗りはしないぜ。

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