5-2(128) 治った
標準語での親子の会話というものがイメージできなくて遅くなりました。
ていうか、改めて思いましたが標準語がよく分かっていないのかもしれません(汗)
ある朝、目を覚ますと身体が軽くなっていた。
治ったッ?
瞬きして部屋の様子を確認してみる。手をグーパーしてみる。通常の感覚ってのを忘れかけてるものの、確かに昨日までとは異なる。ちゃんと自分の意志が爪先まで通ってるっていう感覚。掛け布団を勢いよく蹴飛ばしてみる。バサッと掛け布団が翻る。
「ほほッ。」
無駄に勢いをつけてベッドから飛び降りてみる。やっぱり治ってるッ? 膨らむ期待の一方で、この回復が一過性のものではないかという不安が頭を掠める。過度に期待しないようにしなくては。そぉっと部屋を出てみると、鼻孔をくすぐる甘くも香ばしいバターピーナッツの匂い。僕の家はバターピーナッツを製造する工場を営んでいる。同じ敷地内に居住棟と工場棟の二棟が併設されていて、工場棟の方から門へのアプローチが伸びている。工場といっても家族経営で規模は小さく、人の出入りも近隣の人たちが買いに来るか、問屋が製品を受け取りに来るかくらいのものだ。……少なくとも三年前まではそうだった。
廊下を渡り、工場の方へ顔を出してみると、いち早く僕に気づいた父が目を丸くする。
「ダニーッ。具合はいいのか?」
汗びっしょりの父の顔。面と向かって話すのも久しぶりで、なんだか変な感じ。
「うん、今日はちょっといいような。」
答えると、父は僕の返事そっちのけで母に声をかけている。
「あら、ダニー。病気はどしたん?」
僕に気づいた母が顔をしかめる。病気がどうしたかなんて、僕にも判らない。
「今日は病気もお休みみたい。」
「今日はッ? そしたらまだ治ってないんッ?」
さらに眉間に皺を寄せる母。本気で心配してくれてるんだから、冗談っぽく答えちゃダメだよな。言葉をちゃんと選ばないと。
「いや、そういう意味じゃなくて、現状、事件前と同じように元気になってるっぽいんだけど、ここまで動けるのが初めてのだからね。この状態が今後も維持されるかどうか判らないんだ。このまま元気でいられるかどうか、しばらく様子見ってところだね。」
「そう、まあ、よかったわ。いまはなんともないんでしょ?」
「うん、少なくともいまは、なんともないよ。」
「おい、母さん。ダニーが起きてきたんだから飯くらい作ってやれや。」
親父が横合いから口を挟む。飯か。病に倒れてからというもの、食が細くなっていてまともにご飯も食べていなかった。
「ご飯、食べれるッ?」
「たぶん食えるよ。」
「よっしゃ。そしたらパン焼いてくるから、ちょっと待ってよ。」
「今朝のスープがまだ残ってたろ? 温めてから出してやれ。」
「ああ、そうね。じゃあ、ダニーはとりあえず着替えてきなさい。」
「ああ、判った。」
なんか、いざ起きて接してみると、父も母も三年前とあまり変わっていないようだった。ただ、洋服が入った引き出しを開けると、やはり取り戻しようのない月日が流れたのだと思い知らされる。一度も袖を通したことのない真新しい衣類。病に伏していても成長期の身体はグングン伸びたから、僕の背が伸びるたびに母が気を回して洋服を新調していたんだ。いまのいままでその行為に感謝したことなど一度もなくて、むしろ、余計なことをとさえ思っていたのに、いざ元気になると改めて母の心遣いに感じ入るのだから、我ながら現金なもんだ。
着替えてリビングに行くと、母は僕の姿を見て「おお、よく似合ってるじゃない?」と言う。自分で見繕った服を褒めてるのか、僕を褒めてるのかよく判らない。親父は「カラばっかり大きくなりやがって、ガリガリじゃないか。よく飯食ってちったあ肥えんとまた病気になるぞ」と笑う。嬉しそうにしてるのに小言を言うあたりが、父の父たる所以なんだろうけれど。
少し遅めの朝食を摂ったあと、なんだか家にいるのが落ち着かなくって外に出てみた。家の中での僕の居場所といえば、結局のところ僕の小さな部屋なわけで。部屋のドアから一歩廊下へ出ればそこはもう他人の領域という感じ。家族になにを遠慮するでもないのに、ホント情けないもんだ。
そして、外へ出たら出たで漠然と感じる所在なさ。誰と遊ぶ約束をしてるわけでもないのに、一体どこへ向かおうというんだ? ま、ちょっと回復記念に散歩してみるだけさ。いいじゃないか。暇を潰せさえすれば、理由はなんだっていいんだ。
三年という歳月も街並を変えるほどの力は持っていないらしい。どの道を歩いても懐かしさを覚える風景ばかり。なにも変わっちゃいない。見知ったおじさんはおじさんのままで、おばさんもおばさんのまま。知り合いごとに「あら、ダニーちゃん? 久しぶりだねぇ」と大仰に驚くのが挨拶代わりになっているみたい。ま、僕は僕で近所の子供の成長っぷりに驚かされているのだから、似たようなもんか。他人の子の成長は恐ろしく早いもんだ。
トボトボと歩きながらレイル河の畔をめざす。そこが今回の散歩の目標地点。河べりを少し歩いたら、またブラブラと家に帰ろうか……と思っていたのに、予期せぬ一団が遠くの方にたむろしているのが見えて、すぐに家に取って返そうかと逡巡する。その一団は以前のクラスメイトたちだった。相手もこちらに気づいたようで、なにやら盛り上がっているのが見て取れる。まるで珍しいお化けでも発見したかのようなはしゃぎっぷりだ。いま、彼らは僕のことを面白おかしく喚き散らしてるんじゃないか。
彼らが遠くから走り寄ってくる。
もう逃げられない。
僕は一体どんな顔をして彼らに挨拶すればいい?
「ダニーッ。」
息咳切らしながら駆け寄ってくるなり、頬を赤く染めた彼らが嬉しそうに僕の名前を呼ぶ。顔は記憶とほぼ一致するのに、声がおかしく聴こえるのは声変わりしたせいだろう。
「おい、いつ元気になったんだよッ? 治ったんなら早く教えろよッ。」
わんぱくだったカルロスが僕の肩に拳骨をくれる。本人どういうつもりか知らないが、結構痛い。
「ああッ? 今朝方ようやくまともに歩けるようになったばっかりなんだ。教える間があるかよッ。」
お返しに僕もカルロスに拳骨を見舞う。
「もう治ったん?」
真面目な印象のあるフィッツが尋ねる。
「さあ、まだ判らないけど、一応、今日は調子がいいみたい。」
「医者はなんて言ってるの?」
「いや、医者は最初から匙投げてたから、別に。この病気に関してはもう医者に診せるつもりはないんだ。」
「ええ? 一応、診てもらっといた方がいいんじゃない?」
「は? そんな無駄なことに時間使えないよ。もう三年間も無駄にしてんだからさ。」
そんなこんなで、さっきまで怖気づいてたのが馬鹿々々しくなるほどにかつてのクラスメイトとはすぐに打ち解けることができた。ホントに小さなころから一緒にいる奴ばかりだから、僕たちの付き合いの長さからすれば、三年間の空白なんて些末なことだったのかもしれない。
学校はさぼったのかと聞けば、今日は日曜で休校だという答え。長い病床生活に曜日感覚も失われていたようだ。で、なにをしていたのかと聞けば、なにをするでもなくとりあえず集まってみたんだという。
しばらく河べりで駄弁っていたところ、カルロスの提案で僕の回復祝いをすることになった。なんでも彼の兄が働いている料理屋であれば少し融通が利くのだとか。そこでお昼前に僕たち六人はカルロスの兄が働いている料理屋に移動した。
カウンター席とテーブル席のあるなんの変哲もない料理屋。カウンターにはカルロスの兄であるマトスがいて、料理の仕込みをしている最中だった。
「おう、兄貴ぃ、客連れて来たぜぇ。」
店に入るなりカルロスが言う。
「客って、お前らのことか? 全然儲けにならねえんだけど。」
ジト目で僕たちのことを見据えながら悪態を吐くマトス。
「まあまあ、今日は特別なんだ。ダニーって覚えてるだろ?」
「ああ、覚えてるよ。」
「そのダニーが元気になったからさ、今日はちょっとお祝いしてやろうと思ってさ。そこで兄貴の店に来たんだよ。」
「どうも、久しぶりぃ。しばらく病気してたけど、元気になったんでまたよろしく。」
小さな町のことなので、クラスメイトの兄弟とはみんな友達といった感じだった。だから、敬語とか使ったことがない。
「おお、なんか懐かしいなッ。よしッ、そういうことなら今日はオレが奢ってやるッ。遠慮しながら好きなだけ食ってけッ。」
「ふふん、さすが兄貴ッ。そう言ってくれると思って今日はお金持ってきてなかったんだよ。」
ケロッと言ってのけるカルロス。
「は? お前の分だけはちゃんと払ってもらうからな。」
マトスの一言にカルロスは絶句して、みんなはそんなやり取りをみて笑っている。
僕はこの輪の中にいられる幸せを噛み締めていた。




