5-1(127) 少年
5章です。
1~4章よりも鬱々とした感じになるかもしれません。
コメディタグ外さないと詐欺になりそうな予感……。
雨が降っている。
しとしとと等間隔で落ちる雨水の音色が耳に心地良い。すべての雑音は雨音に吸い込まれて、辺りは静かだ。今日ばかりは病で部屋の中に閉じ籠っているんじゃない、雨だからやむなく部屋にいるのだと考えると、いくらか心が救われる気がする。
ベッドに丸テーブル、そこに本棚が加わり窮屈になった小さな部屋。本棚の脇には物心付いたころから帆船の絵が掛けられているが、病床に伏したいまとなっては皮肉でしかない。枕元には読みかけの本が乱雑に積まれている。身体が満足に動かなくなってからというもの、数え切れないほどの本を読んだ。著名なもの毒にも薬にもならぬ小説、童話、図鑑、経済、歴史の本まで幅広く手に取った。小説でも歌でもそうだが、馬鹿の一つ覚えのように無邪気に愛を歌っているのが一番だ。現実は物語よりもなお過酷なのだから、せめてフィクションでくらい現実を忘れさせてもらわなくては夢も見れやしない。
ときどき、三年前の、あのときの夢を見る。暴力による支配と簡単に殺される人たち。
僕はなぜまだ生きているのか知らないが、両親の話では失踪事件から戻ってきたのは僕とジークさんの二人だけ。戻ってきた当時、僕は気絶していたのだという。どうやって戻ってきたのかは判らない。当のジークさんに聞いてもなにも話してくれやしない。オレにも判らないんだとジークさんは言うが、みんなを殺し僕をこんな姿にした奴らのことを知りもせずに忘れて暮らすなど到底できやしない。せめてあいつらの素性が判ればそいつらだけを恨みに生きていけるが、それが判らないから世界を呪う羽目になるんじゃないか。道理を失うんじゃないか。物事の因果関係が薄っぺらくなるんじゃないか。あの人たちがなにをしたっていうんだ? みんな真面目に正直に暮らしてたのに、あんな最期を迎える理由って。
殺された人たちが夢に出て、仇を討ってくれと僕に囁くんだ。判ってる、あいつらには正義の鉄槌が下らなければらない。だけど、悔しいが僕にはできない。まるっきり身体に力が入らないんだよ。少し動くだけで、すぐガタがくるんだ。でもお前は生きてるだろって? やめてくれッ、羨ましがらないでくれッ。ただ生きてたってなにもできやしないんだから。それに、世間的にはオレはもうとっくに死んでんだよ。
事件後、しばらくは恋人も友達も見舞いに来てくれた。だけどそのうち誰も来なくなった。始めのうちは薄情なもんだと思ったが、いまはそんなものだと思う。いなくなった奴のことなんて、誰も気にしないだろ? 僕だってそうだからさ。印象の薄かったかつての遊び友達のことなんて、もう名前だって思い出せない。だけど、そんな中で一人だけずっと見舞いに来てくれてるお姉さんがいる。なんで来てくれるのか、理由はよく判らないけれど。変わった人だと思うが、この三年間で友人とも疎遠になるなか、僕のことを忘れずにいてくれたうえに見舞いに来てくれるのは嬉しいものだ。
レースのカーテンを引いた出窓。そこから入ってくる薄明かりを頼りに、今日も今日とて本を読んでいると、コンコンと窓を叩く音が鳴る。大方、いつものお姉さんが来たんだろう。
コン、コン……
迂闊にも綻んでしまう口元を引き締めて、カーテンを開けると、窓越しにお姉さんが立っているのが見える。
「ハロー。」
窓を開けると、お姉さんは茶目っ気のある挨拶をする。庭に立つお姉さんの目線は、ベッドに座る僕よりほんの少し下にある感じ。
「雨なのに、そんなとこでなにしてんの?」
お姉さんは雨の中だというのに傘も差していない。
「水も滴るイイ女ってやつ?」
「イイ女って、どこにいるんだよ。」
「あ、ごめんね、間違えた。超をつけるの忘れてたね。超イイ女だもんねッ。」
「マジで……。」
お姉さんの軽口には呆れるばかりだ。
お姉さんは決して玄関からは現われない。いつもこの窓越しに会話する。お姉さんの背中には翼があって、いつでも自由に世界を飛び回っている、という印象。僕には、お姉さんがこの窓に映らない世界でなにをしているのか判らない。
家族にはこのお姉さんのことは話していない。お姉さんが自分のことは家族には内緒にしといてと言うからだ。ま、言われずとも話すつもりはなかったが。僕が病に倒れ、原因不明、回復の兆しなしと診断されると、父は早々に僕に見切りをつけ、弟の教育に熱心になった。母は多少は同情してくれたらしく、本を買ってきてくれたりとか、僕が退屈しないようにとなにかと世話を焼いてくれる。祖父とは以前からあまり会話をしなかったため、いまも祖父がなにを考えているのかは判らない。弟は下手なりに気を遣っているつもりなのか、以前と態度を変えることなく接してくれている。
母や弟に優しくされると、なにもできない自分が情けなくなる。父に冷たくされると、自分の立場を痛感させられる。いつか喜ばせてあげたい、見返してやりたいと思わぬではないが、“いつか”とは病に冒された身には残酷に響く言葉だ。様々に空想を巡らすことは幾度とあったが、動かないものは動かない。成人した暁には、いっそのこと殺してくれと嘆願しようと考えている。一端の大人になって、いつまでも面倒を見てもらうでもあるまい。ある小説の主人公が話してたように、自分だってこの牢獄から抜け出す自由くらいは持っているはずのだから。
「身体の具合はどう?」
「相変わらずだよ。」
「なかなかだね。」
「なかなかくたばらんでしょ?」
「馬鹿ッ。なかなかよくならないねって意味だよ。はい。」
お姉さんが饅頭を差し出してくる。いつもの見舞いの品である仙人の里饅頭。どこで買ったのかは聞いてみたけど教えてくれなかった。お姉さんには秘密が多い。名前さえ知らない。お姉さん曰く、女は謎が多い方が魅力的だとかなんとか。
「いつもありがとう。」
「ううん、いいよ。」
この人は目が優しいんだよな。お姉さんは微笑を湛え、僕をじっと見つめる。その無言に耐え切れず、目を逸らす。言葉が出てこず、咳払いする。
「ふふ、概ね元気そうでなによりだよ。」
「元気なもんかッ。どこが元気に見えるんだよ?」
「照れてるとことか?」
「誰が照れるかよッ。」
「はは、そうだね。ごめん、ごめん。」
そう言いながら腕を伸ばして僕の頭を撫でるお姉さん。
「ちょッ、やめろよッ。もう子供じゃないんだ。」
咄嗟に腕を上げる自信がなくて、首を振る。
「おおッ? 餓鬼が一丁前の口利くようになったじゃんか。」
ホントに、ときどき人を小馬鹿にしたようなことを言うんだから。
「もう十五になったんだ。いつまでも子供扱いはやめてよ。」
「もうそんななるんッ? 子供が成長するのはあっという間だねぇ。」
「ちなみにそっちは何歳なん?」
「ふん、餓鬼がッ。そんなこと言ってるから子供扱いされるんだよ。」
「馬鹿か? 要するに歳イってるってことだろ?」
「お前よりはなぁ。」
お姉さんが口をイーってして怒ってるふうをアピールしてるのが可笑しくって、お姉さんも自分でそれが可笑しかったのか、二人で笑い合う。それからお姉さんに名前を聞いてみたが、結局教えてもらえない。「じゃあ、キャミーとでも名乗っておこうかしら」と言っていたが、“名乗っておこうかしら”は正直ないと思うぜ。最初はお姉ちゃんって呼んでいて、いつからかそれが気恥かしくなってお姉さんに変えた。で、キャミーさん……か。どうもしっくりこないのは、偽名だと判ってるからだろうな。ジャアキャミーさんとでも呼ぶようにしようか。ふん、くだらないな。
ほどなくお姉さんは去っていった。開け放たれた窓から見える景色に映る人はもういない。急にしんとする世界。いつもながらにこの落差が堪えるんだよなぁ。キャミー(偽)さんも気紛れだから、空くときは数カ月間音沙汰ないし。しばらく外の風景をぼんやりと眺めたのち、窓とカーテンを閉めて、また読みかけの本を開いた。枕元の本の束の上に饅頭が乗っかっている。ふん、なにが仙人の里饅頭だよ。こっちは謎のままでいいな。値段とか聞くとまた子供扱いされそうだし。うん、美味しいってことさえ判ってりゃ、あとはどうでもいい。いや、本音を言えばこの饅頭、あんまり美味しくはないんだが、でも、やっぱ特別な味がするんだ。




