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4-17(126) 巾着袋

一応、4章終わりです。

 梅の花が散り、桜の花が咲くと本格的に春が来たんだなぁって。道を歩いてても田んぼは青いし、畑も綺麗になってて、道端にはちらほらと小さな花が咲いている。川を覗けばおたまじゃくしとかいてええこっちゃ。なんにしても過ごしやすくなるのはありがたい。今日も日向ひなたがいい具合にポカポカでいいわぁ。日陰はまだちょっとヒンヤリしてるけど。

 テイルラントの家に戻ってきてから配送の仕事も再開した。てんさんに家を修繕してもらうとともに、いろんなモノが壊れてしまったことにして生活に必要なアレコレを揃えてもらったからね。天さんに悪い気がしないでもないけど、なにせ一時的にとはいえ住むとこもなくなったわけだし、多少は許されるでしょ? 

「アオ、アオー。」

 配送の仕事を終えての帰り道、そのへんを飛び回ってるアオに声をかける。

「来週さぁ、ちょっと異世界に行ってみようと思うんだけど、アオも行ってみる?」

「ホントぉッ? やっとじゃんッ? 何ヶ月待ったことかッ。そりゃ行くよッ。行くに決まってんじゃんッ。」

 プンプンしながらも、嬉しそうなアオ。ふふ、アオの喜ぶ顔が見られてよかった。気掛かりなのはアオが異世界で存在できるかどうかって点だけど、これは本人に説明済みだ。大丈夫だよってアオは気楽に言うけれど、やっぱ心配なんだよね。でも、連れてかなきゃ連れてかないで納得しないんだろうし、一か八か、やるっきゃない。



 そして一週間後。

「やんッ、やぁめぇてぇよぉッ。」

「ちょっとの間の辛抱だからッ、ね? 大人しくしてて。」

 異世界へ転移する前に、巾着袋にアオを入れようとするも必死に抗うアオ。なぜ袋に入れようとしてるのかといえば、異世界で万一アオの身体に変化が起きたとしても、袋の中に入っていてもらえば中を覗くだけでどう変化したかを確認できるからだ。消えたらどうしようもないけれど、それ以外のことならすぐ気づくことができるし、見失うこともない。ちょっとアオには苦行かもしれないけれど、すべてはアオのためだから……大人しく袋に入ってなさいッ。

 ムギュッ。

(あ~ん、私、閉所恐怖症なんだよぉッ)

 巾着袋の中からくぐもった声が聞こえる。

「落ち着いて。超落ち着いてぇ……目を閉じてぇ。」

(エッ、エッ……グス)

「あらあら、泣いてるのぉ? 泣き虫ちゃんでちゅねぇ。」

(泣いてないもんッ。)

「はいは~い、大変長らくお待たせしましたぁッ。こちらテイルラント市発ケルン市行きの第一便でございます。到着時刻は一〇時三〇分を予定しております。そして、ただいまの時刻が一〇時三〇分。まばたきする間に着きますので、どうかお客様、泣かないでください。」

(もうッ、御託はいいから早くぅッ。早くしてぇッ。)

「はいッ、いま到着しましたよっと。」

 ケルン駅の駅舎の脇。狭い路地に人通りはなく、営業中なのか閉めているのか判らないような薄汚れた商店が軒を連ねている。駅正面の真新しい区画に客を取られたのかもしれない。シューッという煙を吐く音に続き、シュッシュッ、ガタンガタンと道が揺れる。列車が動き始めたんだ。

 一方で、異世界に到着して以来、なんの音沙汰のない巾着袋。ちょっと厭な予感。指に引っ掛けていた袋を持ち上げてみると、アオの手応えがない。瞬間、ガクンッと膝が折れるような、地面が抜けるような感覚。あ、目眩が……。やっぱり、やっぱりかッ? 取り返しの付かないことをしたッ? アオ、アオッ。半ば自棄になりながら袋を開けると、空だった。妖精の姿を保てずなにかに変化したとか、そんなんじゃなくって、消えた。いや、見間違いかもしれない。も、もっかい。お、おらんッ。紙を敷いてその上で袋を逆さにして振ってみるも、なにも出てこない。……、ほらッ、言わんこっちゃないッ。



 ふん、ふふふ……。予想してたじゃん? そんな驚かなくたっていいじゃん。でも、初めてこっちの世界のことを憎いと思った。こっちとあっちと、なにが違うんだろ? 意味が判んない。

 といっても、悪いのは私。

 どうしてアオを連れてきてしまったんだろう? 私が浅はかだったのは言うまでもないけれど、アオも大丈夫って言ってたし、何度もお願いされて私も弱ったし、仙道の人たちも消えやしなかったし。そう、これはいろんな要因が重なって起きた不幸な事故だ。いろんなことが、私の判断を誤らせたから、こんなことになった。って、言い訳してみてもしかたない。ああ、キッツイ。

 ごめんね、アオ。墓は向こうに建ててやるから、成仏してね。ポタリと巾着袋に落ちる涙。袋を握る手に力が入る。グスン。

「痛ッ、痛いってッ。」

 アオッ? アオの声が聴こえた気がしたから、辺りを見回してみたけれど、どこにも姿はない。ついに幻聴まで聴こえてきたか。

「ここだよ。ここッ。」

 まただ。これは本格的に精神を疑った方がいいかもしれない。頭のネジが五、六本は飛んだ? 気がつけば周囲の景色さえ歪んで見える、ってこれは涙のせいだ。

「手ぇどけてくれたら判るよッ。手、手ぇどけてッ。」

 続け様に聴こえる明朗な声。これで幻聴だったら、本当に病院に行った方がいいな。アオの存在に期待を膨らませながら、そっと手を上げる。すると突然、巾着袋が動く。

「身体がぁ、身体がなんか変になっちゃったんだけどッ。」

 目の前で袋が直立して身を捩らせている。そこから発せられている声は間違いなくアオのものなんだけど。落ち着け、落ち着くんだ、葵。

「アオ?」

「そうだよ。私だよ。」

「なんで巾着袋に?」

 言いながら巾着袋を抓んで、改めて中を見てみるが空っぽのまま。どうやら袋の中に隠れて遊んでるわけじゃないみたい。

「なんで、じゃないでしょぉ? 葵ちゃんが巾着袋の中に私を入れて転移するからだよッ。おかげで私はほらッ、妖精・巾着人間になっちゃったじゃないかッ。」

「え? そんなんなれるんですか?」

「なれるんじゃなくて、なっちゃったんだよッ。」

「え? そんなんなっちゃえるんですか?」

「もうッ、人が悲観に暮れてるってのにぃッ。」

「ふふ、巾着袋が悲観に暮れるってのも新しいね。」

「笑ってないで助けてよ。こっちは真剣なのにぃ。」

 目の前に姿がなくても、声音からだけでもアオの表情が見て取れるよう。

「でもよかった。一時は本当に消えたのかと思ったんだよ?」

「いや、全然よくないんだけど。一人で感動してないでくれる?」

「もう、離さないからね。」

「いや、離してッ。掴まれるの怖いんだよぉッ。」

 これ、向こうに戻ったら元に戻るのかしら?



 巾着袋が宙に浮いている。

 羽もないのに飛んで、口もないのに喋って……、おそらく目も見えてるんだろう。そしていま、私の見立てでは彼女はご機嫌斜め。私にそっぽ向いてプリプリしてるんだ。巾着袋なのに心も備えていて、なんとお値段たったの一〇〇ロッチッ、やだ高いッ……って、あらいけない。ぼ~っとしてたら変なこと考えてたわ。

 アオの機嫌を取るために、用事の前に喫茶店に入る。

 テーブルの上に小皿に載せられたティーカップに熱いコーヒー、そして巾着袋が寝そべっている。「飲める?」と小声で尋ねると、巾着袋の上半分が腹筋の要領で何度か屈折する。ふ、頷いてるのね? 袋をそっと抓んでカップに立てかけると、袋がうんしょと反転する。くっ、後ろ前逆だったみたい。

「これコーヒーっていってね、初めてだと判んないかもしれないけど、苦みとか酸味とかあって、まあ好きな人には好きな味なの。」

 なんとなくカップを覗き込むように首を折り曲げる袋。

「ね、イイ香りでしょ? 飲んでみ?」

 ゆっくりとコーヒーに近づく袋。最前からの一連の動作があまりにもシュールだったから、ずっと笑いを堪えながら見守ってたんだけど、次の瞬間、袋がクルクルと錐揉み三回転しながら飛び跳ねたところでついに声を上げて笑ってしまう。テーブルの上でのたうち回る袋のがこれまたヤバい。いや、熱かったのは判るんだけどさ。

「ちょっと、ストップッ、ストップッ。あんまり笑わせないでよ。」

 小声でアオに注意すると、袋がスッと起き上がり、身をクネクネと捩らせ始める。抗議してるつもりなんだろうか? ダメだ、もうなんか動くたびに面白い。



 アオは店を出たあと「葵ちゃん笑い過ぎだよッ」とまた怒ってたけれど、店に入る前よりは機嫌を直してくれたみたい。

 では、用事を済ませに行きますか。ま、用事といっても、ただ仙人の桃を食べて衰弱してしまった少年が元気になったかどうかを確認しに行くだけ。回復してくれてたらいいんだけど。

 道中、アオが目に入るものについていちいち尋ねてくる。異世界に興味津々って感じの様子は、まるで初めて異世界を訪れたときの私を見ているかのようだわ。

「今度、もっと大きな街に連れてったげるね。」

「ええッ、これより大きい街とかあるのッ?」

「あるよぉ。そうだ、今度こっちに来るときは可愛らしい縫ぐるみでも抱いててもらおうかしら?」

「そうだよッ。その問題を解決しなきゃいけないんだから、覚えててよねッ。」

「ふ、判ってるよ。」

 帰ったら爺様にでも相談してみようかしら? っていうか、向こうに戻っても袋のままだったらウケるんだけど。

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