4-10(119) 葵ちゃんご乱心①
異世界人二人を帰した日の翌日、お昼に爺様の召喚により元の世界へ私たちも帰還した。爺様の家には爺様一人で、爺様はいつもと変わらない恰好で椅子に腰かけて読書をしている最中だった。
「ただいま。」
「おう、おかえり。」
「ただいま戻りました。」
「召喚していただき、ありがとうございます。」
伊左美さんと玲衣亜さんがいつにも増して、慇懃に挨拶している。どことなく、もうチーム靖の面倒を見ていた爺様じゃなくって、日常の爺様になってるんだと察してのことなのかもしれない。
暖炉の火がパチパチと音を立てている。窓から入る日差しが暖かく感じられる。こんなに心底安堵できた瞬間というのも、久しい気がする。最近は心のどこかがずっと緊張していたから。あ~、ちょっと心のマッサージをしなきゃッ。そうだッ、温泉ッ。温泉だわッ。
「伊左美、玲衣亜。神陽が今日は宴会だと言って張り切ってたぞ。早く帰って宴会の準備を手伝ってやりな。」
ん、宴会?
「いや、それだったら夕方にこっちに戻ってきたことにしてもらってですね、宴会が始まるころに戻るってのがいいと思うんです。」
伊左美さんが言いにくそうにとんでもないことを言う。
「そうそう、私たち昨晩も働き詰めでもうクタクタなの。宴会の準備までしてたら肝心の宴会に出られなくなっちゃうわ。」
玲衣亜さんは一切悪びれる様子がない。さすがだわッ。
「まあまあ、いずれにせよ慌てて出て行くことはないですよッ。いまお茶を入れますからね。ちょっと休んでてください。」
「え、葵ちゃん右手動かないんだから、そんなんしなくたっていいよッ。」
「大丈夫ですッ。なにしろ、私がそうしたいんですからッ。」
爺様もそんなに急き立てなくたっていいのにッ。ちょっとゆっくりしようよ。
ふんふふ~ん♪
爺様の家の戸棚にこっそりと置かせてもらってたロイヤルハーブティー、いまこそ出番よッ。
リビングから漏れ聞こえてくる爺様たちの会話。
「お前ら、そんなこと言ってたって聞いたら師匠が泣くぜ?」
「あ、師匠は聞いてないから大丈夫です。」
「神陽も尊敬されてんのかされてねえのか判んねえな。いや、最近ホント、すべてが判らなくなってきた気がする。」
「じいじもお歳を重ねてらっしゃるんだから、いつまでも若いつもりでいちゃ怪我しますよ?」
「その割にお前ら人使い荒いよなぁ?」
「動けるうちは親でも使えって言うじゃないですか。」
「それを言うなら“立ってる者は親でも使え”だろぉ?」
ふふ、ホントに伊左美さんと玲衣亜さんは爺様と仲良しだよね。さぁ~て、紅茶が入りましたよ♪
丸テーブルに並べられた四杯の湯気を立ててる紅茶。白地に青で模様が描かれた陶磁のティーカップ。パチパチと木の爆ぜる音を響かせる暖炉。窓から差す暖かな日差しと、ときどきカタカタと窓を揺らして外の寒さを感じさせる木枯らしくん。隣に座る元気な爺様。そして二人の大好きなお友達。
完ッ璧ッ。完璧なシチュエーションだわッ。この紅茶は間違いなくッ、最高に美味しいはずよッ。ああッ、このほにゃららななんとも形容しがたいイイ香り……、イイ香りじゃなくって素敵な香りね。そして、ぷはあ。りらあっくすって感じ。
「うん、美味しい。」
そうでしょう、玲衣亜さん。判りますよねッ。
シュッ。
ん? いまなんか聞き捨てならない音が……。
「たッ……たッ……。」
「ん?」
「玲衣亜さんッ。煙草ぉッ。」
「うん。」
うん、じゃねえんだよッ。それが煙草なのは判ってんだよぉ。問題は、お前なに煙草吸ってんの?ってとこなんだよぉ。ふうう、ポーカーフェイス、ポーカーフェイス。
「やっぱり紅茶って味よりも香りを愉しむものって感じですよね~?」
「うん。この紅茶もイイ香りよね。」
おおおッ、そこ肯定しながら煙草吸うのッ? 無意識なの? 判ってていつもみたく冗談かましてくれてんの? どっち? って、伊左美さんも爺様も吸っとるんか~いッ。喫煙所かここはッ。喫煙メインで喉を濡らすのに片手に紅茶……みたいな? 終わった……、完璧なシチュエーションなんて儚いものよ、葵。だからこそ、さっきの一瞬はかけがえのない大切な時間だったの。判りる? オッケー判りた。
「ごめん、ごめん……。」
あ? 伊左美さん? 今度はなによッ。
「オレ、紅茶苦手なんだ。」
「はいッ、イエローカード二枚でレッドカァードッ、退場ッッッ。虎さんとこに宴会の準備しに行ってくださいッ。」
「いいッ?」
「すいません、取り乱しました。なんでもないです。」
「ごめんよ、もしかすると種類によってはイケんじゃないかなぁって思ったんだけど、やっぱちょっと苦手だった……。」
「あらあら、紅茶がダメだなんて子供みたいね。」
「うっせえッ、これでも舌が変わってるかもって試してみてんだから、まだ偉いもんだろぉ?」
「うん、その点だけは評価してあげるわ。」
「何様だよ?」
「ふ、お嬢様ですがなにか?」
「お嬢様は煙草なんて吸わない……。」
「あら葵ちゃん、お嬢様だッて煙草もやるしお酒飲んでベロンベロンに酔っ払ったりするものよ?」
「私の中のお嬢様はそんなことしないのと、あと玲衣亜さんはお嬢様じゃないです。カッコいいお姉さんです。」
「え? 可愛いの間違いじゃなくて?」
「見た目は可愛いかもしれませんが立ち振舞いからなにもかもが全ッ然ッ可愛くないですからね。」
「じいじ、この子に一発デコピンしていい?」
「ダメだな。正しいこと言って折檻されるとなったら世の中終わりじゃないか。」
「伊左美、このじいじと孫に一発ずつデコピンしていい?」
「オレに聞くなしッ。」
「伊左美さん、玲衣亜さんにデコピンしてくださいよッ。」
「ちょッ、そんなん人に頼むなしッ。」
「ふん、伊左美殿もモテるじゃないか。」
「爺ちゃん、今度いい目医者紹介するわぁ。」
こんな感じでとりとめのない話に興じながらも、結局は追い出されて虎さんの屋敷へ向かうことになった。爺様、宴会の準備が整ったら迎えに来いってさ。オレは今日の宴会のメインゲストだからな……とか、調子いいんだからッ。私は私で温泉に行きたいのッ。宴会が終われば、たぶんもうみんなと離ればなれになっちゃうからね。タイミングとしては宴会前のいましかないんだ。
「じゃあ、行ってくるね。」
「おう。」
虎さん屋敷に転移して、虎さんと靖さんを探す。
あ、ボスッ。そこにいるのはボスじゃないですかッ。
「ボスッ、ボースッ。」
こっち向いた。ちょっと駆け足で靖さんの元へ向かう。
「向こうでの任務を無事完了して、ただいま戻りましたッ。」
ビシっと敬礼してみせる。
「あ、そ、それはお疲れ様でございました~。」
ん、なんか靖さんの笑顔が引き攣ってる感じなんですけど。
「クッソ可愛いんだけどなんなのこの子? 狙ってんの? 天然なの?」
「判んない。」
背後で玲衣亜さんと伊左美さんがなんか喋くってるし。
人のこと天然だなんてッ、なかなか言ってくれるじゃん。でも、可愛いっていうのはちょっと嬉しいかもッ。いや、ちょっとテンション上がり過ぎてたか。なんか恥ずかしくなってきた。ちょっと出直して来ますッ。
というわけで爺様の家に転移しました。
「ん? 帰ってきたのか。」
「うん、今度こそ最高の環境で紅茶を飲もうと思ってね。」
「ふ~ん。」
そう言って本に視線を落とす爺様。
みんな、紅茶なんてどうでもいいのねッ。泣けるわ。




