3-22(99) 葵ちゃんの町
葵ちゃんの町に連邦侵攻の報が伝わり、しっかりと議論が為されたのはしろくま京より三日遅かった。それまでは曖昧に回答を濁してきた町長も、いまは覚悟を決めて言い切る。女、子供、老人は避難させ、男は聖・ラルリーグ軍と共に連邦の侵攻を喰い止めるための人垣になる、と。これは葵ちゃんの町の決定というより、町が属する市の決定だというから、従うよりほかないんだろう。市町村合わせて五〇〇〇人の男が動員されるらしい。人材不足を埋めるために遠方では募集という形が採られていたが、国境付近では強制になる。国境の合戦で負ければ自分たちの住んでる町が獣人に荒らされるのは目に見えてるから、この選択が当然だとも思うけど、葵ちゃんの町のことだと思えば完全に他人事には思えず、憐憫の情を催さずにはいられない。
僕たちが期待していたのはみんなで避難するという形だったんだけどね。市で決定された以上、僕たちにはもう口を出す資格はない。せいぜい、国境付近に住むことと徴兵のリスクは元々ワンセットだったんだと、自分自身を納得させるくらいさ。
「ところで、葵ちゃんとこの家族はいまもしろくま京にいるのかい?」
町長が葵ちゃんに尋ねる。
「ええ、父も兄もしろくま京で働いてます。祖父はしろくま京の近くで隠居してますけど。」
「なら、そのままでいい。家族がしろくま京にいるなら、葵ちゃんもそこを頼ればいいね。しばらくはこっちに戻ってこない方がいいよ。」
葵ちゃんの家が半壊したことが幸いして、葵ちゃんの父親は難を逃れたといったところか。もし葵ちゃんチに住んでたら、彼も徴兵されていただろう。
「町長さん、一つ提案なんですが、私のウチにいる馬、どうぞ使ってください。」
「え? いいのかい?」
「はい、どうせもう荷運びの仕事はありませんし。町の人たちが避難するのに使ってくだされば、それが一番いいんです。」
「そうか。すまんな、では、遠慮なく使わせてもらうことにするよ。」
「ウチ、いま半壊してますけど、そのまま馬小屋とか使ってもらっていいんで。」
「ありがとう。助かるよ。」
寂し気な笑みを浮かべ、頭を下げる町長。
町に不在でなにも役に立てない家族の代わりになにかしらの形で助力したいと、葵ちゃんは考えてるのかもしれない。「では」と席を立ち、鞄を肩に担ぐ葵ちゃん。僕もそれに倣い、席を立つ。去り際、葵ちゃんが町長に挨拶する。
「こんなこと言うのも不謹慎かもしれませんが、町長さん、お達者で。」
「ああ、確かに不謹慎だな。」
真面目な話、達者でいられる可能性なんてなさそうだもんね。連邦軍の規模を見てきたからこそ、国境での戦いで聖・ラルリーグ軍が勝利するイメージが湧かないんだ。
「ごめんなさい、なんて言ったらいいか、よく判んなくて。」
「爺さんと父さんに会ったら言っておいてくれ。いつかこの町に戻って来いってね。」
「ごめんなさい。」
葵ちゃんは小さく頷いたのち、謝罪して部屋をあとにした。
「失礼します。」
僕も一礼して、町長の部屋を出る。
葵ちゃんはゆっくりとした足取りで彼女の家に向かう。
町長の家のある高台からは町の様子がよく見える。左右の斜面には畑が広がり、その中を下っていく。畑には緑の葉が風に揺れ、収穫されるのをいまかいまかと待っているよう。ときどき肥やしのキツイ臭いが運ばれてくる。糞尿の入った桶を天秤にぶら下げ、肩に担いで坂道を上がってくる男と擦れ違う。きっとこの近くに肥溜があるんだな、と思う。
町の大きさは知れている。高台の斜面にへばり着くように建っている家や、谷間に建っている家がちらほらあるばかり。家の傍を歩くと、夕餉の支度をしているのか、台所に備えられた小さな煙突から白い煙が上がり、食欲を刺激する香りが道にまで届いてくる。
あんな決定が下された直後でも、町の様子は落ち着いてるようだ。
「明日香ちゃんとこは今日は猪かな?」
葵ちゃんが漂ってくる香りに鼻をクンクンさせながら言う。
「美味そうな匂いだね。」
「ね、おなかがすいてきますね。」
そう言いながら葵ちゃんがおなかを摩る。
葵ちゃんの家に着くと、葵ちゃんは家の近くにある馬小屋へ入っていく。
一緒に馬小屋の掃除をして、馬の食事の準備をした。
「ご飯だよ~。しっかり食べるんだよ~。」
馬に話しかけながら、草を食む馬の頭を撫でる葵ちゃん。
「あっちにも用意してあるから、おなかがすいたら食べるんだよ。明日からはみんなに可愛がってもらいなね。」
一生懸命食事をしている馬に別れを告げて、やってきたのは墓地だった。
古めかしい墓標には“相楽家之墓”と刻まれてある。葵ちゃんのご先祖様が……というより、葵ちゃんにとって大切な人が眠っているんだろう。爺さんはまだ健在だから、お婆ちゃんとか。葵ちゃんが手を合わせたのち、僕も墓標の前にしゃがんで手を合わせる。「ありがとうございます」と葵ちゃんが僕にペコリと頭を下げる。これで町でやり残したことがなくなったのか、葵ちゃんが「では、帰りましょうか」と言う。
僕たちは虎さんの屋敷に戻った。葵ちゃんは連邦との戦争が治まるまでは、向こうに戻るつもりはないという。みんなが上の指示で動くのであれば、僕たちが外野からアレコレ働きかける必要はないからって。
ビラ撒き開始から九日目。
これまでに撒き終えた都市の数は九つ。連邦の進軍とか邪魔が入ったことを加味しても、遅いペースだ。撒くべき都市の数を減らすとか、計画を変更しなきゃね。
ほら、今日もまたアオが仙道の接近を知らせてきた。こんなんじゃビラなんて撒いちゃいられないよぉ。とはいえ、最近では珍しく追跡してくる仙道は一騎しかいない模様。たくさんで追っかけると逃げちゃうからってんで、向こうも作戦変更してきたのかな? それとも僕たちを初めて見かけたっていう新参者か。
「ひとまず逃げてッ、相手の出方を見るからッ。」
相手の姿を捉えたところで、虎さんが指示を出した。
しばらく飛び回ったところで、敵を迎え撃つ態勢を取る。ところが、見れば敵は白旗を掲げているじゃないか。これでは、捕えたくとも捕え難い。
「白旗を出されては、どうにもできんな。」
虎さんもやられた、という感じで歯噛みする。
とりあえず、相手に霊獣から下りるように伝えて、草原の上で相対する。
男は燈礼亭と名乗った。
それに対し、「ロバート・チェスターといいます」と虎さん。伊左美たちもトーマスとかキャミー、フランチェスカと適当な偽名を使う。
「僕はジョーイ。よろしく。」
調子に乗って手を差し出すと、礼亭もそれに応じてくれる。
ゴツイ手に少々ビビる。
「仙八宝は?」
ビビりはしたけど、さらに調子に乗って彼に尋ねてみる。
「ああ、失礼した。」
彼はそう言うと仙八宝専用ケースを取り出し、足元に置く。
「一つだけ?」
この問いには、彼も頷くだけに留まる。
「む、ならいいんだ。」
ちょっとやりすぎた感があったから、一度虎さんの背後に引っ込むことに。
僕が前に出ても、話が進まないしね。
伊左美と玲衣亜が目を丸くして僕を見ている。ふふ、僕の勇敢な応対に恐れ入ったようだね。
異世界での僕と小夜さんとのやりとりについては、誰にも教えていないから。
見直してくれてもいいんだよ?




