序-10 (10) 心の塀は一瞬で建築できるッ
頭上に音がしたことで、いっとき、みんなが辺りを窺うように耳を澄ませる。
街の喧騒が遠くの方に聞こえるばかりで、なんの気配もない。
「小夜さん、もういいんじゃない?」
虎さんが言うと、頭巾の人物が頭巾を脱いだ。
長い黒髪を掻き上げ、顔を見せたのは小夜さんだった。
衣服も先日とは異なり質素な感じの物になっていたので、いままで小夜さんだとは気づかなかった。
「あ? なんだよ?」
小夜さんの目が大きく見開き、僕を射抜く。
「いえ、なんでもないです。」
僕は早口にそう言った。
小夜さんは興味なさそうにそっぽを向く。
危ない、危ない。見惚れてしまっていた。
殺されるかと思った。
「驚かせてしまったみたいだね。小夜さんにはこっちの世界で術が使えるかどうかを検証してもらうために来てもらったんだ。」
「ああ、こないだ言っていた。」
でも、小夜さんが来るとは思ってなかったわ。
大方、当初のアテが外れたんだろう。でなければ、わざわざ先日のようなカードを巡っての口論は起きやしないだろうから。
「で、被験者はアイツでいいの?」
小夜さんが顎で僕を示す。
いや、聞いてませんけどッ?
「いやいやいや、ダメだよッ。靖さんは僕たちの仲間なんだからッ。」
ヒヤリとしたけど、虎さんが慌てて否定してくれたので一安心。ふう、一瞬、僕を執拗に勧誘したのは実験のためかと思っちゃったじゃないかッ。あ~、邪気が貯まるわ~。
「じゃあ、実験はどうするんだ?」
「あの、術が使えているかどうか、被験者なしで判らないもんなの?」
「判ることは判るが、きちんと向こうと同じように使えているかどうかまで判断するには、何人かに対して術をかけてみる必要がある。」
「では、細かい分析はあとにして、とりあえず術が使えるかどうか試してみてもらえる?」
「おう。」
言いながら首筋を掻く小夜さん。
すぐ、小夜さんが鼻で笑うのが聞こえた。
虎さんをはじめ、僕たちは息を飲んで小夜さんの回答を待つ。
前髪を掻き上げ、額を出すようなポーズで小夜さんが呻いた。
「そうかぁ、なるほどね。」
「で、どんな具合ですか?」
待ち兼ねた虎さんが尋ねる。
「使えない。」
簡潔な一言に肩を落とす一同。
気を取り直して、今度はカードが使えるかどうか、念のために確認してほしいと虎さん。
「カードの方は私もまだ一度しか使ったことないから、施術直前の感覚がよく判らないんだよね。今度こそ、マジで被験者が必要になるんだけど。」
「それは弱ったね。」
「弱る必要はないんじゃない? あんなに人がいるんだから。」
そう言って大通りの方を見やる小夜さん。
「しかないかなぁ。でも、人選は慎重に。心に変化を起こしてしまっても、特に周囲に影響が及ばない人物がいいだろう。あと、内容も穏便なもので。」
「心得てるよ。」
小夜さんは答えると、さっと大通りの方へ歩き出した。みんなでそのあとに続く。
「やるなら、子供がいいなあ。」
小夜さんが誰に言うともなく呟く。
そこへ虎さんが老人の方がいいのではと提案。
子供と老人、どちらが被験者としてふさわしいか短時間だけど議論しながら、小夜さんを先頭に僕たちは街をプラプラして被験者を物色した。
「あの子にしようか。」
小夜さんの視線の先には花植えに水やりをしている少女がいた。虎さんや玲衣亜さんはやや唸っていたけど、それでも黙って事の成り行きを見守っている。
小夜さんが少女に近づく。
僕たちは少女を驚かせないように、陰から二人の様子を窺う。
しばらくして小夜さんが少女から離れ、こちらに戻ってきた。
「どう?」
「うん、カードの方は使えるみたい。」
少女の方を見ると、水やりを終えてアパートへ入ってゆくところだった。
大丈夫かな、あの子。ちゃんと自分の意志で動いてるんだよね?
「ちなみに、あの子はもう解放されているんですか?」
一応、小夜さんに確認してみる。
「さあ、どうだろ。」
あらら、答える気がないみたい。
小夜さんって性格悪いよね。
たぶん、一般人のことを格下だと思ってるんだ。
ん、あるいは僕の盛大な遅刻に対して怒っているのかもしれない。伊左美にも罪はあるとはいえ、こればかりは僕にも反論のしようがない。
不意に、いま僕がここに居るってことが、場違いなんじゃないかと感じた。
ついに感じてしまったッ。
周りは仙道と妖怪ばかり。
一般人は僕だけ。
いつのまにか異世界の件は仙道たちが主導権を握ってしまって、僕は完全にお客様扱い。っていうか、完全に空気。そりゃ、僕が一般人の理解者を募らなかったせいでもあるんだけどッ。
あ~あ、僕はなにやってんだろ。
まだ頭が痛いし。
みんなの後ろをトボトボとくっついていく。
いっそ、別行動させてもらった方が気が楽だわ。
辺りに不穏な気配はなく、街中は平和そのもの。
あっちの世界と変わらない、人々の日常があるだけだ。
「靖さん、大丈夫ですか? なんか元気ないみたいですけど。」
玲衣亜さんが背を丸めて僕の顔色を覗き込む。。
「んん、別にそんなことないです。元気ですよ。」
「ならいいんですけど。」
ほとんど口を利かないもんだから、心配されたみたい。
なんか悪いことをしたと思う反面、放っておいてくれとも思う。
虎さんがある店の前で立ち止まった。
なんだか看板を確認しているようだ。
看板には「質屋」とある。
ああ、なにかを質入れするのね。
そうだよ、金がいるんだよッ。僕には質草がないから、その発想がなかったわ。
間もなく店に入ると、虎さんはカウンターの店員と二言三言交わし、鞄から金塊を取り出す。その量に目を丸くする店員。ほかのみんなも驚いてるみたい。
「とあるところから拝借してきただけだから、大丈夫」と、虎さんはこともなげに言った。やっぱりどこの世界でも頼りになるのはお金だよねッ。無一文で姿をくらます僕の姿とか、そんな僕の明日を想像すると生きた心地がしない。
こりゃ、別行動云々なんてのは不可能だね。
昨日の伊左美の「また異世界へ行って、そこで残るか帰るか決めればいいんだよ」という言葉を思う。
「じゃあ、次は荷物をなんとかしようか?」
「あっちに宿っぽい感じの所がありましたよ。」
「じゃあ、そこに荷物置いといて、なにか食べに行こうか。」
「今日は特別ですしね。」
質屋から出たところで、お金と自信を得たみんなが楽しそうに話している。置いてきぼりを喰らった気分の僕には、みんなの談笑も虚ろに聞こえるばかり。まだ頭が痛いのに、酒を飲みたくなる。そうしないと、みんなのテンションについていけそうにないんだよ。




