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八奈結び商店街を歩いてみれば  作者: 世津路章
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第4話②

 日なた窓が、でかい図体に似合わずぴょんぴょん軽快に先を行くので、美也も負けじと小さな足で、懸命に走って追いかけていく。


 降り出したばかりだった雨はやはり天気雨の類のようで、空を覆う雲は薄く、光が差しているところもある。台風の接近に伴う強風は天空にも吹き荒れていて、雲が押され千切れるように流れているが、それも一様に静止していた。


 無数の雨粒が中空に縫いとめられ、宝玉のような光を四方に照り返している。きらきらと、頭上にあるその光の粒を見上げながら、美也はテレビで見た海底生物のドキュメンタリーを思い出していた。海の底から見上げた空は、太陽の光が一層うつくしくちりばめられて、こんなふうだった。


 通りを気ままに駆けていく美也と日なた窓は、止まったままになっている多くの人々とすれ違った。そのほとんどが、開店の準備と台風の備えに追われている。


 小東さんの駄菓子屋の軒先で、北村さんがベニヤ板を打ち付けていた。豆腐屋の角井さん夫婦も、『今日は早じまいです』という張り紙を店頭につけている。壱之助理事長が注意喚起のためか、店から店に移ろうとしているのを見かけて、美也は足を止めた。

台風接近の一日、というのがありありと窺える情景だった。だがそれもすべて、今はぴたりと止まっている。


 あらゆる流動は禁じられ、あまねく言葉も失われている。ただ、美也と日なた窓をのみ除いて―


 全く奇怪な状況だが、しかし美也にはこれが初めてではなかった。

 そう頻繁に起こることではない。一年に一度か二度、ある程度だ。初めてこの現象と遭遇した時、美也はなお幼かった。そしてただ、ひとりきりだった。少しすると世界は動き出すのだが、美也がした体験を、誰も知りはしない―聡い彼女は、だから口外することはなかった。それは、彼女を覆い尽くす途方もない寂しさをより強めただけだった。


 でも今は、あの時とは違う。



「ミヤ、こっちこっち」



 日なた窓が呼ぶので、美也はまた駆け出した。

 


 黒猫は、少し行った先の道の真ん中、ふかふかとした尻尾を、たふんたふんと振っていた。


 このように止まってしまった世界になると、美也はこの友達と、こうして直に意思疎通できるようになるのだった。日なた窓が人語を発している、というわけではないようだ。聞こえてくる音としては、いつもの「ぶみゃーぶみゃー」という不格好な鳴き声なのだ。だがそれがどういう意味で発せられているのか、何となく感じられるようになる。


 それがどういう原理なのか、美也にはわからない。わからないが、別にそんなことはどうでもいいのだった。

 誰も知らない止まった世界のことを、分かりあえる友達がいる、それだけで十分だった。


 日なた窓に追いつくと、美也は呼ばれた理由を理解した。



「今日もまた、なずなコケてんで」



 ちょっと意地悪気に、日なた窓は笑って見せた。


 一人と一匹の目の前にいるのは、まさに今ズッコケたばかりという様子のなずなだった。しかも鼻先がコンクリートに接地寸前である。


 足元を見ると、特にでっぱりも何もない。が、向かって左側に、散歩中に犬が大きく口を開けているのを見つけた。どうもいきなり吠えられてびっくりし、身体の平衡を失ってしまったらしい。



(なずねぇ、どうしていっつもコケるんかなぁ)



 首を傾げながら、内心不思議に思いつつ、美也はてくてく歩いてなずなの頭の方に回ってきた。そしてしゃがみこみ、その右肩に触れてそっと持ち上げる。


 するとなずなの身体は、体勢はそのままにスーッと起き上がって、見事直立した。


 だが片足が曲がったままだったので、美也はそれを地面につけてやる。すると、多少微妙な姿勢ではあるが、なずなはなんとか立っているていになった。


 美也がふっと視線を逸らすと、日なた窓が肉球パンチを犬の鼻にポン、と当てていた。すると犬は口を閉じ、俯いた状態で再び止まっていた。


 ふう、と美也は溜め息を吐く。制止した世界の中、美也と日なた窓は少し触っただけで、簡単になんでも動かせてしまう。今までそれで何かを害したり壊したりしたことはないものの、やはり緊張はしてしまうのだった。


 日なた窓は自慢げに毛づくろいしていたが、すぐぴたっと手を止めて鼻先を天に突出し、きょろきょろと金目を巡らせた。どうもひげにピンときたらしい。


 どうしたん、と美也が訊ねる前に、また黒猫はぴょんぴょこ走り出した。美也は動かないなずなに手を振りながら、それをまた追いかける。


 商店街の端、めったに人がこない小さな公園を突っ切って、日なた窓が導いた先はバス停だった。


 隣町へのバスが通るこのバス停は普段から利用者が多かったが、今日は一層だった。というのも、八奈結び小学校のバスケットボール・チームが遠征するところだったのだ。付き添いの大人二人以外、十数名いる選手達はみんな一様に背が低い。が、その中で美也は、彼らがなにかを取り囲んでいるのを見つけた。



「和希も和希で、またケンカしてるわ」



 美也の足もとに寄り添う日なた窓の声は、呆れ気味だった。


 みんなに取り囲まれた中にいたのは和希で、同い年くらいの男子―確か吉田とかいう名前だ―と、取っ組み合いをおっぱじめたところだった。


 和希が吉田に馬乗りになって、彼の口の両端に親指を突っ込み今まさに横に引き延ばそうとしている。吉田も負けじと和希のサイドに結わえた髪に手を伸ばし、ひっつかもうとしている。


 この二人はよっぽど馬が合わないらしく―いや、ここまでくると逆にあっているのかもしれないが―どこに行ってもきっかけさえあればケンカしている。今は朝のラジオ体操が主戦場だ。


 引率の先生が手を伸ばして止めようとしていたが、それも空しく停止している。美也は、ふんすと息巻いた(といっても、表情はまるで変ってないのだが)。



「かずねぇ、『ケンカ、ダメ、ぜったい』、やで」



 そして、この取っ組み合いの解体を始めた。


 まず和希が吉田の口に突っ込んだ親指を外す。そして馬乗り状態になっているのを立たせ、〝気を付け〟のポーズをとらせる。

吉田も同様に、手を下げさせてから立ち上がらせて、気を付け。


 二人を向い合せて、お互いお辞儀をさせ、〝ごめんなさい〟をさせる。


 これで完璧だ。美也は腕組みをして、この出来栄えをうんうんと頷きながら眺めていた―



「そんなことしても意味ないっていうのに」



 その背に、冷淡な声が投げかけられる。


 美也が振り返るとそこには、作業服姿の青年が立っていた。

 青年は金と銀の異なる色をした双眸で美也を見下ろしながら、溜め息まじりに言う。



「君も懲りないね」



   ◇◆◇



 初めて出逢った時、美也は青年の名前を尋ねたのだが、なんだか長ったらしかったのでよく憶えていない。


 だからその名の頭をとって、キュー、と呼んでいる。


 世界が止まると、こうしてキューが現れるのだった。ただいつも、必ず出くわすわけではない。全く姿を見ないときや、帰り際にちょっとだけ会うこともある。どうやらキューの方は美也が付きまとってくるのを、あまり快く思っていない節があるので、避けられているのかもしれなかった。


 でも美也は、キューにくっついていくのがすきだった。彼が行った先で〝仕事〟をする、その光景が。


 そんな彼の存在を、これまでは大して不思議に思っていなかった美也だが、この前日なた窓が言っていたことがちょっと気になっている。


 世界が止まってキューが現れるのでなくて、キューが現れるから世界が止まるのではないか―というのもキューがいなくなった途端、世界が動き出すのを美也と日なた窓は何度見てきたのだった。直感頼りのネコ推理ではあったが、それは美也の心をキュッととらえた。


 それならキューは、世界を止めたり動かしたりする力を持っている、ということになる。そんな力を持っている、なんてことはつまり―


 美也とキュー、そして日なた窓は、何も言わず商店街の通りを歩いていた。というか実際のところは、目的地に向かって淡々と歩いていくキューに、一人と一匹が付いて行っているだけだったので、背丈が倍以上違う彼の速度に合わせるべく、美也はほぼ小走りになっていた。


 少しずつ息がはずみ始める中、美也は遂に心を決めて、ずっとしようと思っていた質問を口に乗せる。



「なぁ、キュー」

「…なに?」

「キューは、かみさまなん?」



 突如、青年の足がピタリと止まった。


 小走りだった美也と日なた窓はキューを少しばかり追い抜いてしまったので、遅ればせながら止まって、振り返る。

 するとキューは―いつも冷ややかで憮然とした顔をしているばかりのこの青年は珍しく、露骨に不機嫌な表情を浮かべていた。



「………あんな趣味の悪い覗き魔と一緒にしないでくれる………?」



 薄汚れた作業着に包まれた両肩が、仰々しくぶるりと震える。本気で嫌がっているようだ。でもなんだかそれが、ある時吉田との仲を冷やかされた和希が見せた素振りによく似ていたので、美也はふと思う。キューとかみさまは、ケンカ友達かなにかなんだろうか。


 怖気が収まったのか、キューは再び歩き出す。その右手に持った金属製の工具箱から、カラン、カラン、とガラスの鳴るような音がした。それはキューの見せる眼差しのように冷ややかで、透き通っていて、かえって気の安らぐような音だった。


 結局、彼はそれ以上何も言わず、黙々と目的地に向かった。美也と日なた窓もついていく。今日はどんなところに〝仕事〟しに行くんだろう―そう胸を弾ませていた、美也の足が止まった。


 公園やバス停に近い方とは反対の出入り口から商店街を抜けると、キューは右手に進んでいった。そちらは閑静な住宅街―というか古い平屋やアパートが多く、空き家も多い、がらんとした区域に繋がっている。

美也も、それについていきたかった。だが、しかし、どうしても―耳元で、囁く声がある。



 美也―あっちに行っては、いけないよ。

 決して、行ってはいけないよ―



 千十世はことあるごとに、そう言った。それは呪詛に等しい執拗さだった。


 学校がある方向とも逆だし、そもそも用事がないので、その言葉に反したことは一度もなかった。なにより美也自身、なにかこの区域に立ち入ろうとすると気色の悪い感触が身体中を這い回って、進んで行こうと考えたこともなかったのだ。


 今も、兄の声の幻聴とともに彼女の足をすくませるのは、生理的に堪えがたい悪寒だった。


 無表情なその顔が、一層強張る。そのまま身体全てが作り替わって、本当に人形になってしまいそうだ。


 だから今回も、止めればよかったのだ。


 キューの背を見送り、タイムリミットが来るまでこの動きの封じられた世界で遊んでいればいい。足元で心配そうに見上げてくる日なた窓も、それを勧めているように思える―



「…ああ、そうか。君はそういうことだったね」



 キューが数歩先で立ち止まり、振り返って美也にそう言った。

 何も言えず立ち尽くしている彼女に、彼はやはり熱のこもらない声で言う。



「僕は、強制はしないし―すきにしたら? それは、君の決めることだ」



 それを聞いて、美也の両眼が少し見開かれた。

 そうだ―この先に進んでいくも、引き返すのも、それは自分の選択だ。


 今、すべてが止まってしまったこの世界でただここにあるのは純然たる―自分の、意志だ。


 美也は、やはりいつものように、人形のような無表情だった。だがその唇が、ほのかに震えている。たらりと、こめかみに冷や汗が一筋伝う。


 そして怖れを制すように、きゅっと口の端を横一文字に結んだ。


 小さな足が、一歩を踏み出す。

 ゆっくりと地につけて、そこから―二歩目が踏み出せない。



「ぶみゃあ」



 その美也の足もとを、友達が気の抜けた鳴き声をあげて追い抜いていく。黒猫はあっという間に青年に追いついて、たふんたふんと尻尾を振って、彼女のことを待っている。


 こくりと、美也は喉を鳴らした。


 二歩目、足が地を蹴る。

 そしてその勢いで、三歩目、四歩目―



 美也―あっちに行っては、いけないよ―



 兄のその声を、今この時だけは振りきろうと、気づけば駆け出していた。


 すぐに、キューと日なた窓のところまでたどり着く。ほんの僅かな距離を走っただけで、途方もなく息が上がった。

 大きく息を吸い込みながら美也が見上げると、驚いたことに青年は、少しばかり微笑んでいた。



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