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八奈結び商店街を歩いてみれば  作者: 世津路章
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第3話③



 そして、一時間ほど経ったころ―



「終いや、目ぇ開けてみ」



 最後の仕上げを施したアキさんが、こともなげにそう言った。


 そわそわとソファで待っていたなずなも、思わず立ち上がり鏡を覗き込む。白布の前掛けを取り払われたユキが、肩を小刻みに震わせているのがまず目に入った。


 彼女の顔を映しだす前面の鏡をみて、なずなは、またもぽかんと口を開いた。


 奥二重であるユキの双眸が、くっきりとした二重を描き出している。それを縁取る長い睫は付けたものであるはずだが、もとからそこにあるように自然だ。アイラインはきつすぎず、しかし垂れ下がって愛らしい目尻をさりげなく演出していた。


 眉も、調えた程度で大きく剃ったりはしていないのだが、彼女の気の強さの表れだったようなへの字型がゆるやかなハの字を描いている。眉頭から眉尻までに見受けられる繊細な墨の濃淡がその要因だろう。


 そう、すべてにおいて色彩が麗しく調和していた。白すぎず、しかし清廉な印象を生み出すファンデーションの妙。上気しているようにほの赤く色づく頬は目に鮮やかだ。紅を塗り重ねグロスの光沢を湛えた唇は、ぷくりと立体的で思わず触ってみたくなる。


 写真で見た立花優理そのもの―よりも数段、美少女然としたその姿。


 ユキ自身も、想像以上の仕上がりを信じられないのか、頬に手を当て確かめていた。質のいい黒髪のウィッグがそれに合わせて、ゆるやかに肩口で踊る。もし自分でもそうしただろう、となずなは思う。


 ユキもなずなも、世間で言うところのいわゆる〝地味顔〟というやつだった。なずなは上向いた鼻を密かに気にしているし、ユキのコンプレックスは奥二重だ。それでも、感情に合わせて表情のよく変わるユキを魅力的だとなずなは思っているのだが、そう本人に言うと冗談扱いされる。なずなもなずなで、小鼻でええなぁ、とのユキの言は信じられない。


 そんな〝地味顔〟同盟の盟友が華麗に変身したのだ。なずなにとっては他人事でない。



(……うちも、あんなかわいくなれたら、はっきり言えるやろうなぁ…)



 パンパン、と手の鳴る音でなずなは我に返った。アキさんが、ひとまずの片付けを終え両手をはたいたのだ。いつでも自信に満ち溢れ、腕前を誇って見せるこのオシャレ番長は、なぜかこの時はどこか冷ややかな面持ちで鏡の中の彼女の客を眺めていた。



 ユキの肩が、一際大きく震えた。それは今までのものとは明らかに違う―武者震いのそれだった。



「ふ…フフフ、完璧や…! イケるッ!!」



 ユキは立花優理の顔を勝利への確信で歪めた。そしてすぐさまソファに置いたままにしていたポーチ・バッグをひっつかみ、「アキさんサンキュ!」と言うと同時に、ワンピースの裾を翻して店を走り出ていった。


 嵐のような友人の所業に呆然としてたなずなだったが、ハッと気づき、アキさんに向きなおった。



「ひどいわアキさん! なんでうちの時も本気出してくれんかったんですかぁ!!」


 つい先ほどまで自分がしていた舞台メイクとユキのメイクのあまりの落差に、クレームを入れざるを得なかった。だが半べそかいているなずなにアキさんが返したのは、いつものような毒舌ではなく、



「ほんまに、アレがええか?」



 どこか寂しげな一言だった。


 え、となずなが虚を突かれている間に、アキさんは店の扉に手を掛ける。向こうに開いたとき、ぽそりと呟かれた言葉が生ぬるい風に乗ってなずなの耳に届く。



「そう、化粧はあそこまでできる―…せやから、怖い」



 いつもとまるで調子が違うのでなずなが戸惑っていると、アキさんは遅まきの開店準備をしに外に出た。結局二の句が継げず、口をもごもごさせているなずなの背にタマばあの声がかかる。



「なっちゃん、ユキちゃんの後を追ってあげてんか」

「タマばあ…?」



 切実さが滲むその声に、なずなが振り返る。タマばあはソファに腰かけ進めていた針仕事も止めて、じっと彼女のことを見つめる。



「こういうときは、友達の力がなにより大きいんや―お願い、なっちゃん」



 事情はまるで呑み込めなかったが、じっと見つめてくるタマばあの眼差しに―そして自分の胸をざわめかせる不安に、なずなは大きく頷いた。



   ◇◆◇



 ユキなら、きっと隣町に向かうバス停の辺りにいるだろう―謎の確信に満ちたタマばあのアドバイスに従って、なずなは美容室を出て直行した。


 日は既に高く、なずなの肌を遠慮なく焼き、玉のような汗を滴らせる。じとりと湿気を含んだ空気は重く、走って目的地に向かう彼女の呼吸を荒くさせる。


 商店街の通りは祭りの準備で、理事会のスタッフや各店の店主が慌ただしく立ち回っていた。今宵待受ける非日常への期待感に、ざわめきも弾んでいる。しかしなずなは心に立ち込める嫌な予感に気取られ、それをどこか遠くのことのように感じていた。


 バス停への近道は、商店街の端にある小公園を突っ切ることだ。夏になり何かと因縁のあるこの公園も、なずなが辿りついた時には誰もいなかった。こけそうになるのをなんとか踏ん張り、さびれた公園をまっすぐ走り抜けると、出口を出てすぐの車道にバス停がある。


 しかし、そこにユキの姿はなく、男子高生がひとりソワソワと立っているだけだった。



(…? あれは、D組の…?)



 彼に見つかる前に、慌ててなずなは手近な電柱の陰に隠れた。


 バス停にいる男子は同じ学校の生徒だった。なずなはC組なので、合同授業でD組と一緒になる時、あの顔を何度か見かけたことがあった。いわゆるイマドキのイケメン風味で、似たようなのと何人かでよくつるんでいるのだ。確か―植川、という名だ。


 この奇妙なめぐりあわせに首を傾げながら、上がってしまった息を密やかに整える。ともかく汗が流れて仕方がないのでハンカチでぬぐおうとし、そこで鞄をどこかに忘れてきてしまったことにようやく気が付いた。恐らく繁雄の店だろう、と思い至ったところでさきほどの醜態を思い出し、思わず叫びそうになる―ところで、バスがやってきた。


 ぷしゅう、と出口が開く。何の気なく見遣ったなずなは、そこで目を点にした。



「待った?」

「ぜ、全然」



 植川に優雅な声音でそう言いながらバスを降りてきたのは、立花優理―の皮を被った、ユキだった。


 なずなは間抜けな声をあげそうになって、慌てて口を手で塞いだ。何度も何度も瞬きして確かめる。肩からかけたあのポーチ・バッグに明るめ可憐なワンピースは、間違いなくユキが着ていたものだ。


 さっき美容室で会っていなければ、あれをユキだと見抜けなかったろう。さすがは、八奈結びのオシャレ番長による本気メイク―



 ―ほんまに、アレがええか?



 ふと、なずなの脳裏に、アキさんの言葉が蘇る。


 アキさんの声は寂寞としていて、思い出してなお胸が締め付けられる。



(あれは…どういう意味やったんやろか…)



 少しばかり物思いに沈んでいるうちに、バスが出発した。同時に、ユキと男子も笑いあいながら歩き出す。それに気づき、なずなはどうすべきか一瞬悩んだが、



(…ともかく今は、ユキのことや!)



 意を決し、二人に気付かれないよう尾行を開始した。



   ◇◆◇



「私、ここの商店街って来るん初めて」

「そうなん? まぁ祭り始まるまで時間あるし、ゆっくり見てこうや」



 しとやかに言うユキと、浮き足たった風な植川は、慌ただしい商店街のど真ん中を、見せつけるようにゆっくり歩いていた。


 その二人の後ろを十メートルくらいの距離を空け、なずなが続く。


 何人か、見知ったおじちゃん・おばちゃんが彼女の奇行を見つけ声を掛けようとしたが、平素のなずならしからぬ切迫したオーラを放っているため誰も近づけなかった。無論、当の本人は前方ばかりに気を取られていて気づいていない。


 そして、二人が小東さんの駄菓子屋さんに入ったのを見て、もう少し距離を詰めようと小走りになったところで、道のでっぱりに爪先をひっかけズッコケそうになる―



「おおっと、危ない!」



 ところで、誰かが手を掴み、引っ張ってくれたので助かった。

 なずなはひとつ息を吐き、お礼を言おうと振り返ると、そこには北村さんがいた。



「ありがとうございました、北村さん!」

「いやなに、大したことあらへん」



 この人がいいので有名なおじさんは朗らかに笑ったが、少しだけその眉をひそめる。



「さっきから見とったけど、いったいどうしたんや?」



 ギクリとして、なずなは挙動不審に視線を躍らせた。



「え、え、えっと、ユキが、一大事で…」

「ユキちゃん?」



 慌てて、なずなは口に手を当てた。友人がいったい何をどういう意図で企んでいるかもわからないのに、第三者にそれを漏らすべきではなかった。とっさのことに上手く対処できない自分の不器用さを呪う。


 幸い、北村さんはなぜここでユキの名が上がるのか、よくわかっていないようで首を傾げている。なずなの尾行対象である二人組、その片割れがユキだと、気づいていないらしい。その様子になずながこっそり胸をなで下ろしていると、そう言えば、と北村さんは呟く。



「ユキちゃんていえば、夏休みに入ってから一度ひとりでうちの店に来たけど…なんや様子がおかしかったなぁ」

「北村さんのお店に?」



 北村さんのお店は、文房具屋さんである。学校指定の用品から、女子が喜ぶかわいらしいステーショナリーまで、北村さんの細やかな配慮の行き届いた品揃えが売りだ。なずなもよく、友達と一緒に遊びに行く。ほとんどの場合が冷やかしだが、北村さんはあたたかく出迎えてくれるのだ。そのメンバーには当然、ユキも含まれていた。



「ユキちゃん、三十分も便箋のコーナーで悩んどってな…あれやないこれやない、てブツブツ呟きながら。結局、ちょっと上品めなレターセット選んでん。そない大事な人に出すんかいな、って気になったから会計の時に聞いたら、そうや、とっても大事な手紙や、言うて…」

「大事な手紙…」



 それを聞いて、なずなの脳裏に、先ほどのユキの言葉が浮かんでくる。

 復讐―なぜかその単語が、今の北村さんの話と繋がるような、そんな気が―



「キャハハ! やだぁ!」



 軽やかな嬌声が聞こえて、なずなは慌てて手近な看板の影に身を屈めて潜んだ。そっと頭を出して様子を窺うと、ユキと男子が駄菓子屋から出て、仲良く手を繋いで街歩きを続行していた。尾行者にはまるで気づいていないようだ。


 ふたりが角を曲がっていくのを見てからなずなは立ち上がり、北村さんに頭を下げた。



「すんません北村さん、うちちょっと…! あの、お話、ありがとうございました!」

「お、おう」



 事情が呑み込めないまま手を振ってくれる北村さんに申し訳なく思いながら、なずなは駆け足で二人の後を追いかけた。



  ◇◆◇



「でもホンマ、びっくりしたわ! まさかあの立花さんから手紙もらうなんて思わんかったもん!」



 興奮気味にまくしたてる植川に、ユキは麗しい微笑みをずっと向けていた。


 ふたりは駄菓子屋でサイダーやお菓子を買い込んで、バス停近くのあの公園に戻り、ベンチでささやかなパーティを開いていた。喋っているのはもっぱら植川の方で、ユキは相槌を打つのに専念していたが、ここで口を開く。



「七月、うちの学校の文化祭来てくれたやろ? その時に見かけて、その、一目惚れやってん」



 そう言って、上目づかいに植川を見た。彼は真っ赤になって、何も返せないでいる。ユキは自嘲気味に視線を逸らし続けた。



「それでな、どうしても我慢できなくなって…八奈結びにいる友達に聞いたら同級生や、いうから、植川くんの住所教えてもらって…でも、キモいやんな、こんなん」

「ぜ、全然?! 立花さんやったら、もう、めっちゃ嬉しいし!!」



 それを聞いたユキの眼差しが陰るのを、植川は気づかなかった。浮かれた頭ではろくな言葉も思いつかないらしく、彼は慌ただしく立ち上がる。



「ご、ごめん、ちょい便所行ってくるわ」

「うん、ごゆっくり」



 植川はそそくさと、公園付きの公衆便所に走って行く。その背が中に入って完全に見えなくなったのを確認してから、ユキはポーチ・バッグの中から自分のスマートフォンを取り出した。


 慣れた手つきでTMITTERのアプリを立ち上げる。検索バーに手早くカーソルを合わせると、あるアカウント名をものの三秒で入力し、決定ボタンをタップした。


 移動先のページではユーザーのアイコンが表示され、それはピースサインを決めているあの植川本人の写真なのだった。

 ユキはさきほどまで見せていた微笑みが嘘のような無表情で、次々と更新されていくユーザーの呟きを眺めている。



『やっばwww ウワサどーり立花優理めっちゃチョロいwwwww』

『@kimunyan とうとうDT卒業かもしれんwww』

『@machyosh あの手紙ガチやったwwww』

『もう超かわいー 手とかちっさいしさー あーたまらんわー …うっ』

『@ah_yanb いや冗談やしww わかれやwww 今トイレおるけどwwww』



 軽薄で下劣なやり取りの羅列に、ユキはがりり、と歯を軋らせる。が、すぐその口の端に、笑みが宿る。

 生け捕りにした獲物をどこから解体するか―愉悦に酔いしれる猟師の笑みが。



「…ユキ」



 ふいの背後からの呼びかけに、ユキは身体を大仰にビクつかせた。今呼ばれるはずのない本名を口にしたのは誰か―振り返れば、すぐに判明した。



「…なずな」

「一体何をしてるん、ユキ…!」



 ベンチの後ろ、植え込みの陰に身を潜めていたなずなは、頭や衣服のあちこちに葉っぱをつけていた。だがそんな自身の姿にはまるで頓着せず、なずなは青ざめた顔でじっとユキを見つめた。


 その真剣な眼差しに、ユキは一瞬怯む。が、プイ、と顔を逸らし、



「関係ないやろ、ほっといてぇや」

「関係なくない!」



 珍しく怒気を孕んだなずなの声に、ユキは身体を強張らせた。だが、顔をあわせることは出来なかった。彼女がきっと真剣な目で自分を見ているだろうことを、感じていたから。



「ユキ…! なんで復讐なんかしよう思ったんかはわからんけど、こんなん間違ってる…! 勝手に名前や顔使われてる立花さんにも失礼やし、なにより―ユキらしくない!! いつものユキやったら、嫌なことされても正々堂々真っ向から…」

「うちらしいって何よ!!」



 ユキは立ち上がって、なずなを睨みつけた。


 その目尻が熱くなっているのに気づいて、ユキは呼吸を抑える。涙なんか流したら、アイメイクが崩れてしまう。今はまだ、その時ではない。



「ともかく、もう構わんといて! ついてきたら絶交やから!!」



 ユキは金切り声でそう言って、なずなに背を向けた。スマートフォンを乱暴にポーチ・バッグに突っ込むと、ベンチ上に広げた荷物はそのままに、走り出した。公衆便所から丁度植川が出てきたところで、やや強引に腕をとり、公園から出ていく。



「ユキ……」



 なずなは動くことが出来ず、その場に立ち尽くしていた。

 夏の太陽は中天に座し、変わらず無情にその肌を焼く。


 蝉の鳴き声が、ガンガンと頭に響く―



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