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八奈結び商店街を歩いてみれば  作者: 世津路章
13/25

第3話①


 しゃわしゃわしゃわ……―八奈結びの通りに、蝉の声が一層元気に鳴り響く。


 午前八時半。商店街の通りには人通りもまばらだ。水撒きを終えたお茶屋の息子・南田は、軒先に出しているベンチに腰掛け、気だるげにうちわで仰ぎながら一休みしていた。


 さきほど、境内のラジオ体操を終えた子どもたちが、蝉に負けじと言わんばかりにはしゃぎながら帰って行った。夏休み恒例の光景だが、南田はそこに漂う、いつもと違う高揚感に微笑んでいた。


 そう、今日はお祭りの日。


 日暮れから八奈結び神社で、年に一度の夏祭りが開催される。


 もうしばらくすれば、商店街も出店や屋台を組み立てるので、慌ただしくなるだろう。南田のお茶屋でも、抹茶ソフトクリームの出店をやるので、昨日から準備に追われている。



(祭りかー…あーあ、一緒に周りたかったなぁ…)



 彼は自嘲気味に空を仰ぐ。夏休みとはいえ、これと言って特別なことはない。基本的には受験のために予備校に缶詰し、あとは店の手伝いを少々。何か少しくらい、ときめくような思い出が欲しい。そう、すきな娘とお祭りデート、とか。


 したい相手なら、いる。同じ委員会の、二年生。誰もやりたがらない美化委員の仕事に、積極的に参加する笑顔がいいな、と思ってる。が、無論告白する勇気も、そもそもろくに話したこともないのだった。そういうチキンにお似合いの夏を過ごしている南田である。


 はあ、とため息をついていると、そのとき右手から、ずりっ、ずりっ、と引きずるような足音がした。



「…なっちゃん?」



 南田は目を丸くしながら、足音の主に訊ねる。


 声を掛けられた彼女―なずなは、なぜか鞄で顔を隠しながらすり足にて行進している。



「あ、えっとー、もしかして南田センパイ? こんにち」



 は、と、なずなが最後の一音を口にするのと、右足を通路のでっぱりにひっかけるのは同時だった。


 たちまち、なずなはズッテーン! とズッコケる。


 彼女が転倒しなかった日は一度もない。ともかくなずなは、よくこける。それがどこであれ、いつであれ、こける。「なっちゃんのこけてるん見ぃひんと、なんや一日始まらんわ」なんて言う輩もいるほどである。本人は至って真剣にこけまいと努力しているのだが、それは今のところすべて徒労に終わっている。


 商店街理事長の孫娘で、昔から八奈結びを遊び場にしていた彼女のことは、南田もよく知っている。そして高校でも、しょっちゅう彼女がこけているのを目撃した。



「そないけったいな格好で歩いてるからやで?」



 南田は苦笑しつつも、手を差し伸べながら近寄った。


 そう言えば、美化委員のあの娘がよくなずなと一緒にいたのを思い出す。もしかして友達やろか、ちょっと聞いてみよか…なんて南田が思ったところで、うつぶせに倒れ込んだなずなが起き上がる。



「す、すみません! 大丈夫やから!! …あっ!」



 隠していた顔がオープンになっていたことに気づき、なずなはまた慌てて鞄で顔面を覆った。そして硬直している南田にぺこぺこ頭を下げ、その場から一気にダッシュで離脱する。


 南田は今目にしたもののインパクトに圧倒されていたが、



「………まぁ、お祭りやしな」


 自分に言い聞かせるようそう呟き、見なかったことにして、店の中に戻った。


 通りを曲がったなずなの、勢い余ってまたこけた音が、朝の八奈結びに響く。



   ◇◆◇


 とんとん。ざっざ。きゅっきゅっきゅっ。


 繁雄(しげおのうどん屋では、いつもどおり朝の仕込みが行われていた。普段と変わりない行程を、途切れなく繁雄はこなしていく。ねかしていた生地を伸ばして切り、薬味を補充し、客席を拭き清め。カウンターの内側…戦場である厨房を整頓し、不足分がないかと冷蔵庫をチェックするころ、出汁を煮立たせていたずんどう鍋から昆布のいい香りがしてくる。


 さっと手を洗うと、繁雄は鍋の中から昆布を取り出した。鰹節を入れたタッパーを手にして蓋を外すと、右手を乾いた布巾でもう一度拭い、やわらかな花鰹をひとつかみ、素早く鍋に入れる。薄く削られた花鰹は見る間に金色のスープの向こうに沈んでいく。

それをきっかり三秒間見届けてから鍋の取っ手を両手でつかみ、既に用意してある濾し布つきの別の鍋に流し込んでいく。


 うどんの命は麺と出汁。故に毎日行うこの作業も、決して手を抜いてはならない。


 鍋を傾かせながら必死な眼差しで、濾されていく出汁を見つめる繁雄の背に、



「ねーねーシゲ、暇だからしりとりしようよ」



 と、軽薄なチャチャが入る。

 カウンターで新聞を読んでいた千十世(ちとせ)だ。


 一日で最も大切な行程に勤しむ繁雄の真剣さなどに構うことなく、いつものようにニヤニヤ笑い、返事を聞くより先に続ける。



「じゃあ僕からね。しりとりの〝り〟からとって、リッキョウ」

「うどん」

「…ぁンドーナツ」

「うどん」

「……ぃンターネット」

「うどん」

「………ぅンセイウラナイ」

「せやからこちとらやる気ないねん! いい加減諦めろやボケ!!」



 無事出汁を濾し終えた繁雄は、空になった鍋をドン! と流しに置くと、振り向きざまにツッコんだ。性根の悪さでは商店街随一の千十世は、どこ吹く風で白々しく首を傾げている。



「結構二番目に〝ん〟がつく単語探すの大変なんだよ?」

「いつからそないなルールになってん! 〝ん〟がついた時点で終いや!!」

「えー、だって新聞読み終わっちゃったし」

「ほんなら家帰って待ってたらええやろ! こちとらお前にかまっとる暇ない―」



 繁雄が最後まで言い切るより先に、ガラ、と店の引き戸が開いた。

 千十世にギラリと鋭い一瞥をくれてやってから、繁雄は突然の来訪者に目を向ける。



「…? なず、か?」

「お、お、お、おはよう、シゲちゃん!!」



 そこにいたのは、千十世と同じく繁雄の幼馴染である、なずなだった。


 気弱で、いつも挙動があたふたしている彼女だが、今日は一段と様子がおかしい。繁雄は険しくなっていた目を思わず丸くした。


 仁王立ちで店の入り口に立ち尽くす彼女は、なぜか鞄を両手でしっかり持って、顔面にかざしている。


 繁雄は前掛けで手を拭ってから、カウンターから出て彼女の方へと歩いていく。



「どないしてん、それ。なんかケガでもしたんか?」

「い、いや、違うくてな、あの、その…」

「今日はお祭りだから、だよね?」



 繁雄の後ろから、頬杖を突いた千十世が三割増しにイキイキとした笑いを投げかけてきた。その言葉の脈絡のなさに繁雄は眉根を寄せたが、どうやらこれは彼女にとって助け舟だったらしい。意を決したのか、大きく息を吸い込み、



「シゲちゃん! あ、あ、あの、今日のお祭り、うちといっしょみゃわりゃへん????!!!!!!」



 盛大に噛んだ。

 本人は恥ずかしさが極まり鞄に顔面をめり込ませているし、背後では千十世の忍び笑いが聞こえてくるし、繁雄はなんだかひとり取り残された気分である。



「なず、落ち着け。…もっぺん言うてくれるか?」



 とりあえずしっちゃかめっちゃかになった状況を正そうと、繁雄はゆっくりそう言った。なずなはわかりやすいくらい身体をビクンとさせる。



「あ、あ、あ、あ、あの、せやから…ああああああ!!」



 彼女はままならない状況にオーバーヒートして、かざしていた鞄を取り落した。

 ずっと隠していた顔が、ついに明かされる。


 繁雄はハッとして、なずなのことを見た。そのマジマジとした眼差しに、なずなは耳まで赤くなるのを自覚する。繁雄がいつも自分を見る眼差しより、なんだかずっとキラキラしているように感じられて、再び心を奮い立たせる。



(そ、そうや…! このために、うち、化粧してもらったんや…!)



 ごくりと喉を鳴らして、なずなはひとつ深呼吸した。そして口を開き、今一度デートのお誘いを―



「なず、お前それっ…めっちゃかっこええやん!!」



 するより先に、繁雄がそう言った。



「…へ?」



 彼の言葉の意味がわからなくて、なずなの中で高まっていた緊張感が一気にしぼんだ。そんな彼女の様子に気付くことなく、繁雄はややはしゃぎ気味に続ける。



「舞台メイクっちゅうんか? 劇団季節の『らいおん☆きんぐ』みたくバシッて決まってんで! ああ、今日の祭りで商店街の理事会が有志募って出し物やる言うとったけど、あれ、なずも出るんか! なんやねん、もー、はよ言えや!」



 繁雄は、謎はすべて解けた、と言わんばかりに顔を明るくしていた。が、今度は逆になずなが呑み込めない。舞台メイク? 出し物? えっ?



「なっちゃん、なっちゃん」



 呼ばれてふと見やれば、千十世がちょいちょいと手招きしている。頭が疑問符だらけのなずなはフラフラと寄っていく。すると千十世は彼女に向けて何かをかざした。


 手鏡だ。その中になずなは、見慣れたような、でも決定的な違和感を伴う顔を見つけた。


 両の頬に走るピンとした線―これは明らかにヒゲを模したものだろう。鼻の頭がちょんと黒く塗られ、口元には人間に必要のない線が書きこまれ、猫のそれのようになっている。目元が、赤と黄の太い線で囲まれ、キュッと強調され―



「い、い、いやあああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」



 なずなは絶叫し、店内を走り出ていった。



「……なんやったんや、一体?」



 幼馴染の奇行に繁雄は目を瞬いた。なずなの忘れていった鞄を拾い上げると、



「…も、無理」



 と、千十世がそう言って、はばかることなく大笑いし始めた。



「あっはははは! ごめ、ごめん、なっちゃん、でも…ぷっ、あははははは! 無理無理、抑えらんない!! あははははっ!! もーアキさんいい仕事しすぎ!!」



 腹を抑え、カウンターをバンバン叩きつけている。繁雄は再び取り残される。何がそんなにおもしろいのか、そもそもなぜいきなり商店街の美容師・アキさんが出てくるのかもわからない。が、放っておくとご近所迷惑だし、なによりなぜか無性にムカついたので、チョップをかまして千十世を黙らせようと繁雄が右手を上げたところで、



ガララ、



 と、店の奥のガラス戸が開いた。



「なんかあったん?」



 ひょっこり顔を出したのは、繁雄の妹・和希(かずき)だった。その隣から千十世の妹・美也(みや)も顔を出す。繁雄・和希の居住部分となっている奥の間から出て、店の中に入ってきたふたりをみて、繁雄は渋い声を出す。



「なんや時間かかってる思たら、もうそれ着とんのかいな」

「へっへーん! ええやろ!」



 和希が得意げな顔をして、くるりとその場で回って見せた。


 上下に黒のタンクトップとスパッツを着用し、その上に特製のハッピをまとっている。いつもどおり髪は左右に結わえてあるが、今日はそこにねじり鉢巻きが仲間入り。完全なるお祭り仕様である。隣りの美也も同じ格好だ。人形のような表情に、どことなく高揚感が滲んでいる。さっきまで笑いっぱなしだった千十世が既にスマートフォンで、妹の晴れ姿を連写していた。


 繁雄は能天気な妹を見ながら、溜め息まじりに言う。



「脱いでこい。準備手伝ってる間に絶対破くやろ、お前」

「いやや、今日はもうこのカッコ以外せーへん! な、ミヤ!」

「ミヤな、わきわきやねん」



 珍しく活力を漲らせたような美也に一瞬繁雄もたじろぐが、引くことはできない。なんてったって今日のために商店街理事会の用意した特製ハッピなのだ。本番前にオシャカになっては申し訳がたたない。


 そうして脱ぐの脱がないだの、いつもの兄妹ケンカが勃発した。その様子を他人事でニヤニヤ眺めている千十世は、ふと思い出して呟く。



「さて、なっちゃんはどう動くかな?」



   ◇◆◇



「アキさんっ!! これっ、どーいうことなんッ!!」



 チャリチャリンとけたたましく鳴る美容室のドアベルとともに、なずなの絶叫が響いた。


 運動音痴の平素の彼女からは考えられないような高速で通りを駆け抜け、商店街唯一の美容室ビューティ・アキに突撃したのだった。猫に変貌した顔には玉のような汗が浮かんでいたが、メイクには一分の乱れもない。


 それを見て、美容室店主・アキさんは、満足げに頷いた。



「うん、今日もバッチリ決まってんな。流石うち」

「やなくて!! 説明してぇや!!」



 いつも気弱ななずなには珍しく、大声での主張。しかし怒っているというよりかは、恐慌をきたしている状態だった。繁雄の前のみならず、商店街をこんなド派手なメイクで歩いていたという事実が堪えがたく羞恥心を煽り、まともな思考を阻害しているのだ。


 が、アキさんはどこ吹く風で、持っていた箒で床掃除を再開する。御年六十も半ばに差し掛かろうというのに長身の立ち姿はスラリとしていて、ベリーショートにした総白髪はつやりと輝く。顔にはさすがに皺とほんの少しのたるみが見られたが、上品な薄化粧に相まって、年相応の威厳を醸し出している。《八奈結びのオシャレ番長》―その座を永年、独占しているだけのことはあった。


 アキさんはまだ呼吸を荒くしているなずなに意地悪な一瞥を向ける。



「説明もなにも、うちはあんたが化粧してんか、言うからしたっただけやで?」

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