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God bless you  作者: 虚無田
3/3

後編

※近親相姦を思わせる描写、3Pを思わせる描写があります。

 そこからのオーギュストは、最早見るに堪えなかった。彼は家に連れ戻され、義足と義手をはめるようになっていた。あの時、右目にも石の破片がささっていたらしく、オーギュストの左側は普通の人間をして、右側はまるで戦場から帰った戦士のようだった。彼の猛々しい顔立ちや筋肉がいっそ悲しかった。突貫工事だと言わんばかりの義肢はオーギュストの大柄な体にあっていなくて、オーギュストは次第に部屋の中にこもりだしていた。オーギュストの慰みは、酒だけだ。強い酒を飲んで、眠って、そうして少しの間だけ疼く傷と、夢に破れた屈辱を忘れる。オーギュストはみるみるうちに酒びたりとなり、自分の内側に閉じこもるようになった。彼の目に映っていた美しい世界こそがオーギュストを責め立てる。オーギュストの愛したこの世界が、オーギュストに居場所などないのだとオーギュストを爪はじきにしていく。オーギュストは日々の耐え難い屈辱、怒り、辛苦に息切れしていた。そうして侯爵様やご夫人と会うことさえ拒みだした。12の頃、夢に溢れ、家出をした少年を、言葉では非難しつつも応援してくれたご両親。オーギュストは会わせる顔がなかったと言う。俺のことさえ、しばらくは遠ざけていた。俺は遠ざけられてはいそうですかと引きさがる男ではなかったから、ずっと彼に会おうとしていた。もし俺の存在で、彼が苦しんでいたら嫌だと思って、会ってもらえるようになってからそれとなく聴けば、オーギュストはやわらかい表情で「お前は何も気にするな」とだけ俺に告げた。オーギュストは俺を嫌いになってしまったのだろうか、と柄にもなく悩んで、けれど俺が彼の苦しみを理解するために足を切り離したとして、オーギュストが喜ぶわけもない。俺はただオーギュストを支えることしかできなかった。合わない義肢に苦しむ彼に肩を貸してやることしか。

 オーギュストが自分から近寄ったのは、妹のヒルダだけだ。ヒルダは夢をおいかけた12の少年を知らない。そうして目も見えなかった。「かたわとなった俺とめくらのこれで、お似合いの兄妹だろう?」というのはオーギュストの言葉だ。ヒルダもオーギュストを支えようと頑張っていた。かつてオーギュストがヒルダに優しさをかけたように、無償の愛をもってオーギュストの左手をその右手でつなぐ。かつてはオーギュストの右手がヒルダの左手を握っていた。俺はオーギュストの右側を支えてやっていた。見慣れない景色。前まではヒルダが真ん中で、お姫さまだった。オーギュストをお姫様と呼ぶにはうすら寒いものがあるが、まあしょうがないだろう。

 オーギュストは自分の作った品の大半を壊してしまった。残ったものは俺が保護して、しかるべき場所に売りに出した。売った時、買った貴婦人に「なんて素敵な作品でしょう。制作者はだれ?」と聞かれて、俺は答えることができなかった。それを作った人間は、もう彼の作品の大半と同じように、壊れてしまったのですよ、と言いかけて、やめた。オーギュストは体もだが、だんだんと心も壊れてしまっていった。時折鑿を握り、眺めては、ケースに戻す。義手ではハンマーも握れない。支えを失った鑿は何も削ることができない。

 オーギュストはヒルダに依存していた。かわいい妹、盲目の少女。かたわの俺にはふさわしいと口癖のように言っていた。俺もそばにいる、なんて、言えなかった。彼に並ぶには、俺も体のどこかを失わなければならないと知ってしまったのだ。ヒルダも兄を慕っていた。いつまでも支えられる側の少女だったのが、兄に求められて、嬉しかったに違いない。ヒルダだけがオーギュストに対等に近寄れた。オーギュストは優しい。俺が近寄っても、何も言わない。けれど彼には苦痛に違いなかった。俺は両手も両足も両目もある。だというのに夢を追いかけることもせず、毎日をそこそこの中で生きていた。オーギュストが酒を飲み、だんだん弱っていく体を抱える中、俺は以前よりも筋肉がついた。精悍さを失い青白くなったオーギュストの顔が、時々羨望に歪むのがつらかった。

 オーギュスト、ヒルダ、俺。三人でいる時は、まるで恋人のように寄りそった。オーギュストとヒルダはふたりでひとりのようにふるまうことが多くなり、俺はふたりに献身的に仕えた。そうしてまるで三人で恋人のように過し、オーギュストの抱える闇の一片に触れることだって許された。そのいびつさに、俺も2人もよく気づいていた。けれどこれしかないんだ、と俺たちは寄りそうことをやめなかった。オーギュストはヒルダの目として、ヒルダはオーギュストの手足として生きていて、それはもう「オーギュストとヒルダ」という別れた個体ではなく、「フェリックス」という人間であったように思う。けれど精神面で2人が正しく重なることはなかった。オーギュストはオーギュストで、ヒルダはヒルダを失わなかったからだ。俺は2人のことをとても大事にした。2人は俺を家族、あるいは恋人のように受け入れて、愛したようだった。三人で夜を過ごすこともあった。婚前の女の子相手に、とも思ったけれど、ヒルダが「わたし、結婚なんかしないわ。ずっとお兄さまとゲールノートといるの」と言うので、侯爵様からの冷たい目に耐えるくらいしか試練はなかったと言っても良い。これは結婚直前にきいたことだが、ヒルダは昔から俺を好いていてくれたらしく、目が見えなくとも受け入れた俺に身をゆだねるのは、当然の帰結だったそうだ。そういう大事な気持ちはもっと早くに言ってほしい。まあ当時は俺とヒルダが契ったことよりも、ヒルダとオーギュストが行為に及ぶのを不安に思っていたから、正直俺がヒルダの処女をもらったことは水に流してもらいたい。未来には結婚したわけなのだから!……それは良いとして。ヒルダとオーギュストは同腹の兄妹だった。父親もまた同じだったし、ふたりの唇が重なるのを見たのが、俺でよかったと今でも思う。俺は不思議と2人の契りについて嫌悪感を抱かなかった。寧ろ、いつかこうなるだろうと思っていた。だから俺とオーギュストとヒルダが同じベッドに入っても、俺たちは俺たちを咎めなかった。そんなものは何一つとして必要なかった。

 俺たちのそういった関係は、ヒルダが12、つまりオーギュストが夢を見て家を飛び出した年齢に追いついた頃からはじまって、15歳になるまで続いた。オーギュストがある日、それまでの五年間一度も会話しなかった侯爵様の前にふらりと現われて、「ゲールノートをヒルダの婿にしてやってほしい」と頭を下げたらしい。俺はその場面を見たわけではないので、なんとも言えないが、それまでにもオーギュストはたびたび「なあ、お前がヒルダを娶ってやれよ。あいつ、お前のことが好きみたいだ。俺もお前以上に信頼できる男はいないんだ。ヒルダの夫はお前が良い」と口にしていたので、話が決まった時も、別段驚きはしなかった。侯爵様も俺が2人に尽くし、ヒルダの世話を一手引き受けていたことをご存知なので、意外と簡単に話が進んだ。今まで誠実でいようと努力してきた。その報酬だと思えば喜びだけが胸を支配していた。一年前のことで、その時俺は28歳だ。オーギュストもそう。そうして俺とヒルダの結婚が決まってから、俺たちが三人で及んだ行為はいつの間にかなくなっていた。その方がいいんだ、とオーギュストは言ったし、俺もヒルダも、そういうものだと簡単に納得した。けれどそれからまたオーギュストは酒びたりになって、それに加えて煙草もよく吸うようになっていた。ヒルダが近くにいる時は、ヒルダの鼻がきかなくなってはいけないと、煙草も酒もしていなかった。

 オーギュストは義足で歩くこともそれなりにできるようになっていて、俺たちの結婚式に出るのがたのしみだ、と、随分久しぶりに楽しそうな顔を見せた。侯爵様やご夫人にもだんだん話しかけるようになっていって、このまま全てうまくいけばいい、と安易に考える。そうしてその頃から、オーギュストは名前を呼ばれるたびに「アウグスト、だ」と訂正するようになった。それは夢を完全に諦めてしまった瞬間でもあった。俺は今でも彼をオーギュストと呼んでいる。それは意地でもあった。俺のオーギュストは、彫刻を愛した男の名で、オーギュストはまだ彫刻を愛している。だからこそ辛いのだ、苦しいのだ。今思えば、あの時既に、オーギュストは死ぬつもりだったのだろう。そうして死ぬまでの期間として、結婚式を設けたのだ。

 ヒルダの16歳の誕生日。その日が俺たちの結婚式だった。元々馬丁の息子だった俺が、侯爵令嬢と結婚するなんて、俺自身がまるで想像できなくて、現実味がない。13も年齢のちがう俺の妻になってもいいのか、と俺がきけば、ヒルダは「あなたでなければ嫌なのよ」と笑った。ヒルダは己の美しさを知らない。その美しさならばこれから先全ての人間がヒルダに傅くだろうに。真っ白いドレスをまとったヒルダは本当に天使のよう。オーギュストはヒルダのウェディングドレス姿を怖いくらいにじっとみていた。取りつかれたようでもあった。オーギュストは何十分もそうした後で、ヒルダにただひとこと「綺麗だ」という言葉と、額へのキスを贈って、そうしてまた黙り込んで、ヒルダのドレス姿をにらみつけた。今にも泣きそうな顔だった。

 式の参列者は殆どいなかったと言っても良い。内向的で、侯爵家の敷地から殆ど出たことの無いヒルダと、馬丁の息子であった俺。知りあいなど屋敷の人間と、オーギュストの師匠だけだった。侯爵様たち、使用人、オーギュストの師匠、数人の親戚、そしてオーギュスト。彼らに見守られて、俺たちは神の名の元、一生を添い遂げると誓った。オーギュストは最後に俺に「しあわせにしてやれよ」と耳打ちした。

 そうして一週間後、オーギュストは自殺をした。あの日のように、床が血まみれで、むせかえる血の匂いに、ヒルダが怯えたように「おにいさま?」と何度も呼ぶ。オーギュストの血を見たのはもしかしたらあの日以来かもしれない。遺書はあることはあったのだが、それはたんに「俺が死んだのはただ死にたかったからで、俺は俺がきらいだった。俺はそうして自分を殺した」とだけ書いてあるものだった。俺にあらぬ疑いがかかるのを避けるためだとはすぐに分かった。ヒルダと結婚して、侯爵の座がほしくなった俺が彼を殺したのだろう、という疑いがもたれるかもしれなかったから。

 オーギュストは死んだ。この世界に絶望して。夢を追うことができなくなった6年。彼が何を思って生きていたのか、俺にもよくわからない。ヒルダといた時間は彼にとって救いになっただろうか?俺の存在は?オーギュストにとって必要だったのだろうか。いらなかったのだろうか。過去が責め立てるようなものだったのだろうか。俺が今こんな話をしているのも、俺を正当化させたいからかもしれない。俺が悪かったんじゃない。そう考えるたび己のあさましさに反吐が出る。もう帰ってこない人間のことを考えたところでどうにもならないのだ。オーギュストは死んだ!それは変えようもない事実で、絶望だ。俺たちは朝を迎えなくてはならない。オーギュストのいない朝を。

 


  

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