表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
God bless you  作者: 虚無田
2/3

中編


 最初の悲劇が起きたのはヒルダが7つの時、俺とオーギュストが20歳になった時だった。ヒルダがひどい高熱をだして、生死の境をさまよった時。苦しそうなヒルダ。何もすることができない俺。手をつないでやっても、ヒルダは苦しそうに息をするだけ。己の無力を恥じることが俺に課せられた仕事だった。それは侯爵様たちも同じだった。だからって無力を許されるわけではないが。

 何日かの後、ヒルダの熱はようやくひいて、元気になった、ように思えた。目覚めた時ヒルダは失明していた。7つの身で彼女は全盲となってしまったのだ。最初ヒルダは現実を受け入れられずうろたえ、そうしてすぐに泣きだしてしまった。そうして誰もヒルダの視界に入ることは叶わなくなってしまった。あのみどり色の目が他人を見つめることもなくなった。

 俺はいつの間にか馬丁からヒルダのお世話係になっていた。ヒルダにとっても聴きなれた俺の声は素晴らしいものらしく、事あるごとにヒルダは俺を呼んだ。それは今もかわっていない。ヒルダの杖。ヒルダの基盤。ヒルダの背骨。ヒルダの目。ヒルダの人生を守るもの。それが俺の新しい仕事。俺はちゃんとこなせていたように思う。ヒルダは6歳のときに俺にいった「しょうらいは、ゲールノートおにいさまのおよめさんになるね」という言葉を抱えたままで、俺に守られていたのだろう。当時の俺は、まさかヒルダのその言葉が本気だとは思わなかったが。

 ヒルダが失明したという話を聴いてか、オーギュストは8年ぶりに家に帰って来た。その頃にはもう12のころの面影なんてなくて、がっしりとついた筋肉に長身で、その凶悪な顔にさらに磨きがかかっているような存在になっていた。彼を一目みて貴族の嫡男だと理解できる人間がいたなら、そいつは過去をカンニングしたに違いない。それくらいに変わっていた。けれどもオーギュストは年の離れた妹をたいそう心配して帰ってきていたし、実際オーギュストは兄としてできる限りの全てをしていた。やはりオーギュストは昔のままの優しい子で、侯爵様の息子だと思った。

 それからしばらくオーギュストはご両親に引きとめられて家にいた。その間中ずっと俺とオーギュストはヒルダをお姫様扱いしていた。ヒルダの右手は俺の左手と、ヒルダの左手はオーギュストの右手と繋がって。そうして色んなところを歩くのが好きだった。ヒルダは景色を見ることがもう叶わなかったが、オーギュストの見る美しい世界は言葉にしても色あせることはなかった。ヒルダの知る景色の大半はオーギュストの唇から紡がれるものだった。俺は彼のように感傷的にはなれないので、遠出をするときヒルダを抱えて馬を走らせるくらいしかできない。ヒルダは俺とオーギュストのお姫様だった。無骨だけど乗馬だけならオーギュストよりもすごいと言えた俺、美しいものをたくさん知っている器用なオーギュスト、そしてお姫様。俺たちは幸せだった。もうこれが人生の終わりでいいんじゃないか?と考えるほど、穏やかすぎる時間だった。

 オーギュストはそれからたびたび帰ってくるようになった。目の見えない妹だけでは家が不安なのだろう。オーギュストだってなにも家がつぶれてほしいわけではない。よくよく愛されて育った彼だから、やはり家族との縁を捨てきれないのだろう。彼は言葉数は少なかったが、侯爵様と同じように、とても優しい男だったから。

 日々の幸せというものは、名声や戦果を上げることよりも素晴らしい。それはオーギュストの言葉だった。オーギュストは武術の心得もあったので、たびたび国側から「仕官しないか」という誘いもあった。アウグスト・フォン・フェリックスは貴族の子であり、様々な意味で有名だったから。けれどオーギュストはそういったものを断り続けていた。オーギュストにとって大事なのは、ご両親、師匠、ヒルダ、そして俺だけだったらしい。他の使用人を差し置いて俺だけ名前をあげられたのに俺はなんだか照れくさい気持ちでいっぱいになってしまった。俺は今にもかけだして、俺こそオーギュストの親友なのだと叫びまわりたくなっていた。オーギュストは戦争にいくのも、国に仕える名誉よりも、俺たちとの日々の幸せをとった。家族。それこそが俺たちだった。


 そうした幸せさえ長くは続かなかった。二番目の悲劇が起きてしまった。これに比べてしまえば、ヒルダの目が見えなくなったことなど、とるに足らないことのように思えた。勿論ヒルダも苦しんで、悲しんでいたことはわかるのだが。

 ヒルダが10歳になった頃、俺たちが23歳の頃。オーギュストはだんだん彫刻家としての名前を知られていっていた。オーギュストの元へ結婚の話は不思議なほど入ってこなかった。貴族からみれば、卑しい職業をする放蕩息子にしか見えなかったのだろう。今思えば、その時守るものを作らなかったことだけが、彼の救いだったように思う。彼が23歳ということは、俺も23歳で、オーギュストはたびたび「ヒルダを守ってやれよ、俺のかわりにさ」と笑いかけていた。俺はそれを冗談だと思っていた。

 オーギュストはいつものように工房にこもって、その日は高価な大理石を削り出していたそうだ。大理石を扱えるまでに成長していたのだ。彼は本当に才能に溢れた人だった。大雨の日。忘れもしない。俺はその日はオーギュストのいる工房に遊びに行かなかった。外に出るのが厳しいほどの、地面を抉るような大雨。オーギュストはこういった雨が好きだったな、などと思いながら、俺はヒルダに本を読んでやっていた。ヒルダは童話のお姫様が好きだった。そうして夕方ごろになると、突然の客人が来たのだ。オーギュストの師匠だった。そうして彼は、見知った顔である俺とヒルダを見つけるや否や、こう言ったのだ。一字一句忘れたりなどしない。


「オーギュストが倒れてきた大理石の下敷きになった。助けてくれ」


大理石が倒れたのは、不安定な台を使っていたからだ、と聞いた。俺は大雨に濡れるのも構わず外に飛び出していた。侯爵家とオーギュストたちの工房はじつはそこまで離れていない。12歳のオーギュストが、馬に乗って家出できるくらいの距離だった。それが幸いして、俺はいつも工房に遊びに行ったし、ヒルダが失明してからはオーギュストも意地をはるのをやめてたびたび帰ってきていた。彼の師匠がこうして侯爵家の門を叩けたのも、そんな距離感だったからだ。

 工房についたとき、俺が見た光景は、悲惨そのものだった。透き通るように白い大理石に押しつぶされたオーギュストが、苦しそうに呻いている。彼の右半身の殆どが潰されていて、むせかえるような血のにおいが充満していたのだ。オーギュストというクッションのせいで、ヒビは入れど、完全に壊れてはいない大理石が憎い。俺はオーギュストの師匠と協力して、慎重に、慎重に彼の上の大理石を除ける。そうして、大理石の下に隠れた彼の体を見れば、想像した通りの光景があった。彼の右腕は完全に潰されていた。右足は膝あたりでちぎれかけ、皮一枚でつながっている程度のものだ。勿論この時切断されかけた足をつなげ直すなどという高等医療は存在していなかった。大理石がまだ削り出したばかりのものであったことも問題で、白い石の削った断面に、彼の鮮血がこびりついているのが、いやに記憶に残っている。急いで傷口に清潔な布をあてたり、止血をしようとしたり、医療知識の無い男二人で、医者をつれてくるまでの間、オーギュストの体を殺してしまわないよう必死になっていた。

 オーギュストは夢を見ていた。彫刻家となって、誰もが彼の名を知り、己の作品をみんなに認められること。それを俺やヒルダに自慢して、褒められること。石を削ること。オーギュストは彫刻家になりたかった。師匠の弟子、という立場から卒業して、誰もがアウグスト・フォン・フェリックス、あるいは、オーギュスト・ド・フェリックスという彫刻家の名を知るようになればいいと。そんな夢を。オーギュストは夢に押しつぶされ石を削るための右手を失った。オーギュストの夢は、夢により潰されるという形で、二度と叶わなくなった。


 

ありがとうございます

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ