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God bless you  作者: 虚無田
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前編

 アウグスト・フォン・フェリックス。彼と親しいひとはたいてい彼を異国風にオーギュストとよんでいた。そうしてオーギュスト・ド・フェリックスと名乗りたがり、フォン・フェリックスをこの世から葬り去っていた。彼は貴族の長男でありながら、彫刻家を目指す青年でもあった。異国にはオーギュストという名の名工がいたらしく、彼はその名工にあやかっての名を名乗っていた。その彼の自殺という事件は、俺とヒルダ・フェリックスの結婚からわずか一週間後の出来ごとだった。

 ヒルダはオーギュストの妹だ。妹、といっても、13離れている。俺はオーギュストとだいたい同じ年だったから、ヒルダはとんだおやじに嫁いでしまったな、と思う。オーギュストの自殺は彼女もやはりショックだったようで、俺のかわいい新妻は、ふさぎこんで、彼の遺品を手探りで整理している。俺もそれを手伝った。もし床に春画なんか落ちていたら、ヒルダには言わずに回収するつもりだった。

 整理していて気づいたが、オーギュストの持ち物はとても少ない。いろんな種類の鑿(俺には違いがわからなかった)と、彫刻に関する本と、万年筆が数本。その万年筆が使われる先はその彫刻に関する本しかない。この部屋には紙さえなかった。それ以外はもうベッドと椅子だけ。恐ろしい程にものがない。ヒルダはそのことにとてもショックを受けている様子だった。それに鑿はこんなに山ほどあるのに、石も木も土も石膏も金属も、何もなかった。ちりさえ残っていなかった。当然彼の作品はひとつも見つからなかったし、部屋はいやに埃っぽい。ヒルダの写真さえなかった。それがいやに悲しい。


 そもそもなぜオーギュストは自殺したのか。それは俺もヒルダも痛いほどよくわかる。よくわかってしまうだけに、やるせない。ここで少し昔話に付き合ってもらいたい。俺とヒルダがこんな年の差で結婚したことや、オーギュストの自殺の理由について。俺がわかる範囲で。


 オーギュストは貴族の長男で、一人息子だった。彼の両親もそれ以上子どもを作る気が無かったようで、彼は両親に愛されすくすくと育っていた。俺は馬丁の息子で、けれどオーギュストと殆ど年がかわらなかったから、まるで兄弟のように育っていた。当時の侯爵様はよくそれを許してくれたと思う。なんていったって、俺は馬丁の息子だった。身分違いもいいところで、オーギュストやご両親が分け隔てない優しい人間であったことだけで許されている関係だった。ひとたび屋敷より外に出れば、オーギュストは上手に侯爵様の嫡男アウグスト・フォン・フェリックスを演じていたし、俺も馬丁の息子、時には彼の馬車の御者見習いとして彼に仕えていた。

 彼が好きなものは武術でも政治でもなく工芸であった。絵画には大して興味がないのか、美術館に行った時には絵の話など一切せず、ひたすらに素晴らしい彫刻や工芸作品の話をしていた。そうして彼がそういった道を目指すのは時間の問題で、誕生日に最初の鑿をねだったかと思うと、すぐに彫刻の世界にのめり込んだ。最初は木の板に図柄を彫るくらいで、彼のご両親もとても褒めていた。俺の誕生日にオーギュストが自分の作品をプレゼントしてくれたことは忘れられない。オーギュストからの贈り物はじつは全てとっておいてある。それをオーギュストに言ってやるのがなんだか恥ずかしくて、結局そのことを正しく伝えられたのは、彼が死ぬ二週間前だった。

 オーギュストは木の板で満足できる人間ではなかった。彼は完璧主義者でもあり、向上心の塊でもあったから。侯爵家など継がずに彫刻家になると言って譲らなかった彼に、あの温厚な侯爵様もたいへんお怒りになった。それもそうだ。もしフェリックス家がもう少し貧しい家だったなら、オーギュストに弟がいたら、侯爵様だって彼の夢を応援したはずだ。オーギュストはその時一人っ子で、悲しいことに彼は有能だった。彫刻が大好きであった以外にも彼は才能に富んでいて、俺のような人間にはまぶしくてしょうがない。政治の勉強をやらせればすぐに法律を暗記し、武術をやらせればその類まれな向上心でめきめきと上達する。そんな彼を手放すことは、流石にできなかった。彼を失うことはフェリックス家にとって重大な損失で、オーギュストもそれをよくよく理解していたように思う。理解した上で、彼は彫刻家になりたがった。その時からオーギュストは他人に自分のことを「オーギュスト」と呼ばせるようになっていた。侯爵様とご夫人だけは、彼が死ぬまでアウグストと呼んでいた。

 オーギュストが家出をしたのは12の頃だ。俺がかわいがっていた馬が一頭消えていて、真っ先に共犯者に名前があげられたのは俺だった。けれど俺は必死に侯爵様に弁明した。彼がどれだけフェリックス家に重要なのかは理解している、と、侯爵様に二の句を言わせぬ勢いで語りまくり、結局俺は容疑者から除外された。そうして俺は計画通りだとほっとした。侯爵様に嘘をつくことはつらかったが、本当はやはり、俺が共犯者だった。夢を追い続ける彼が好きだった。なんてまばゆいのだろうと思っていた。凡人の俺は馬丁として一生を終えるだろうが、オーギュストは違う。彼は才能に溢れた立派な人間だからだ。12歳という年齢にしては天才すぎるんじゃないか?なんて、それは友人の欲目かもしれないが、まあなんにせよ、彼の夢の手助けを俺が出来ると思えば幸せだった。

 彼の家出先はある高名な彫刻家の家だった。いつの間にコネを作ったんだ?と思ったが、彼だからしょうがない、だけですべてまかり通ってしまう気もする。オーギュストはその彫刻家に弟子入りしていたらしく、彫刻家は才能ある弟子をもって嬉しそうに、それでいて厳しくオーギュストに接していた。俺は何度もお邪魔したことがある。作業中なんかは邪魔そうに見つめられることもあったが、そこは友人だから許してくれ。

 一方フェリックス侯爵家は騒然としていた。侯爵様は優しい。家出した息子を追及することもなく、「アウグストのやつ、そんなに彫刻家になりたかったのだな」となんだか嬉しそうにおっしゃっていた。なんでも出来るオーギュストにとって、唯一熱中できること。それが彫刻だったし、息子がそうして夢を追求することを喜びとしてとらえていた。侯爵様は本当にお優しい。ご夫人もそうだ。この家に仕えることができていた俺はなんて幸せ者だろうと昔から思っていた。今も思っている。オーギュストが家を気にせず夢を追いかけるために必要になり作られ、産まれたのがヒルダだった。その時俺は思春期だったので、侯爵様たちは元気だな、と少しだけどきどきした。ヒルダはオーギュストが惜しみない愛を受けたように、大事に大事に育てられた。とくにオーギュストとは違って、年老いて出来た子だから、なおさらかわいかったのかもしれない。

 俺はヒルダの兄代わりだった。オーギュストが家にいない分、俺は人生の先輩として、オーギュストの友達としてヒルダを慈しんだ。幼いヒルダはまるで天使のよう。ご夫人に似て侯爵様やオーギュストのような人相の悪さもなく、薔薇色のふくふくとしたほっぺがとても愛らしい。俺は侯爵様よりはやわらかい顔立ちをしていると思う。少なくとも、侯爵様よりは。侯爵様は地獄のサタンも逃げ出す凶悪な顔を持っていた。侯爵様に比べたら誰でもやわらかい顔立ちだろう。オーギュストは侯爵様似だが。それでも侯爵様は優しかったし、どこか気弱なところもあるようで、それがかわいらしいのよ、と侯爵様よりみっつ年上のご夫人が言っていた。それはなんとなくわかる気がする。けれどヒルダはご夫人に似てほんとうによかった。老いてなおその皺の数だけ美しさが刻まれるご夫人の娘なのだから、将来はやはり聖女のように麗しくなるのだろうという確信があった。その予測はあたり、ヒルダは大きくなるにつれてどんどんその愛らしさに磨きがかかっていった。6歳のときなんか、ヒルダは俺に「しょうらいは、ゲールノートおにいさまのおよめさんになるね」と言ってきたのだ!嬉しすぎて飛び跳ねて、侯爵様ににらまれたのは若干トラウマでもある。ちなみにゲールノートいうのは俺の名だ。ヒルダはご両親や使用人たち、俺、そうして時々手紙をよこすオーギュスト惜しみない愛を受けて大事に育てられてきた。ヒルダをオーギュストのいる工房につれていってやると、その男くさい雰囲気にやみつきになったのか、何度も何度もまた行きたいと駄々をこねたので、時々連れて行ってやった。将来有望だと思った。

ありがとうございます

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