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  極私的書道論   super private shodou theory その6  書道の未来  マイ書道

作者: 舜風人
掲載日:2014/05/12

世にいろいろな「習い事」(おけいこごと)あれども、


書道ほど、マニアックで、オタッキーで、ネクラな習いごとってありませんよね?


華道、茶道、武道、舞踊、香道、和楽器、俳句、和歌,日本画、、、、、、、、、、、。


みんなそれなり、はなやかで?見せ場があり、充実感?もありますね。



でも?



書道っていったい?


たーだ、しこしこと、古ーい、名書跡を見て、ひたすら、臨書するだけでしょ?


その名手跡にどれだけまねできるか?


それですべてといってもいいでしょう。


つまりどれだけまねができるか


それでオールオアナッシングですね。


まあそりゃあいわゆる習い事はまねに始まりまねに終わるものでしょうが



書道はあまりにも地味すぎますよね?


きれいないけばなを飾ればたとえそれが模倣でも


「わーきれい」といってくれますが


王羲之のへたくそな、マネ文字を書いてそこらに張ったって


誰も見もしないでしょうよ。



まあ最近は


「書道ガールズ」とか言って


パフォーマンスもありますが、


常道の書道は毎日、ただマネだけです。


だいぶまねがうまくなったぞという、



孤独で


さびしい?


自己満足だけの世界?ですね。



書道ってそんな真似だけですから


大体が小学生で近くの書道塾に行ったきりで


それ以上は続きませんね。



99%はそれでやめてしまって終わりです。



よほどオタッキーな奴だけが


その後も続けて


書道師範になったりしますが、、、



はっきり言って


現代において


書道はとってもマイナーで


根暗な


誰もしたがらない趣味?でしょう。



だったら?


おれ流にもっと楽しくできないか?


私はそう考えましたね。


なぜ王羲之のマネしなけりゃならないのか?


もっと自由に書いたっていいじゃないか?


そこで私は幾人かの


自由主義?書道に出会ったのですね。


私は俳句をやってますので


そこで川東ヘキゴドウの書に出会ってしまったんです。


それはまさに目からうろこでしたね。


こんなへたくそで?自由勝手に書いてもいいんだというのが最初の印象でしたね。


でも味わいがある素晴らしい書でした。


次が


棟方シコウです。


彼の版画には必ず書も書いてありました。


その釘彫りの?自由な書体に惚れましたね。


最高の感動でしたね。


そして最後が


岡本太郎の書です。


彼は堂々とこう言い張ってますよね。


「自由に筆を走らせればいいんだ」と、


彼の書作品はまさに自由そのものでした。



こうして私も


今までのマネだけの書道から


脱却して?


今はひたすら



自由勝手に筆を走らせています。



第一そのほうが楽しいし


書道協会?の段位試験を高額の認定料?払って


受験して師範の免状もらっても意味ないしね。



筆順も無視?


細い太いも自由勝手?


伸ばすも縮めるも自由。


ただ、、、


唯一気を付けていることがあります。



それはどんなに自由であっても、



最終的にそれが読解できる範囲に収めるという制約ですね。



いわゆる前衛書道って



読めないでしょ?



ミミズがのたくったような?


墨液の飛沫?のような、


めっちゃくっちゃ?でしょ。


私はあくまでも書道は


ぎりぎり、読めてなんぼ?だと



思いますね。



誰にも最低限読めること、、、



それが鉄則だと思います。


読めない、わからないでは


それはもう現代では致命的欠陥でしょ?


現代では、誰にも今となっては読めないような


「草書体」での書道や


自己流の極致?である『前衛書道』は


存在価値はゼロですよね。


川東ヘキゴドウや



棟方シコウや


岡本太郎は


ぎりぎり?読めるのですね。


それがミソ?でしょう。



あれ以上崩したらもう読めないというがけっぷちで


踏ん張ってるんですよ、。



それでいいんです。


それがいいんですね。



それが素晴らしいんです。


それに比べて、、


書道の大先生の達筆?すぎる草書体や


前衛書道の支離滅裂な?墨痕は


もう現代ではムリですよね?


極少数の玄人?しか?ついていけないでしょ?



それではいけません。


芸術は大衆的でもなければならないのです。



たとえば、、今ラテン語で、小説を書いても仕方ないでしょ?


そんなもの誰も読めないのですから。


王羲之の書を今だに、たーだ、マネするのはですね。


ラテン語で現代小説を書くようなものなんですよ。


時代錯誤なんですよ。


アナクロニズムでしかないんですよ。


現代には現代の


大衆的で


トレンドな


しかも、、、


芸術的な


「書道」があるはず。



といって、汚しい?だけの墨痕グズグズの『前衛書道』はごめんですよ。


私は相田みつを、を


ただちに肯定はしない立場ですが


それでも

彼が果たした


書道の現代化?というか


大衆化路線は


正しいのだと思いますね。


彼の書く文字は


誰にも読めますものね。


これは大事ですよ。


前衛書道のように「読めない」というのは致命的欠陥です。



書道はあくまでもぎりぎりでもいいから、読めなければダメです。


(その意味で草書体も現代ではアナクロニズムでしょうね)


一般大衆が誰にも


読めなかったらそれはもう「墨の抽象画」でしかありません。


いわゆる書道ではないのです。


だから前衛書道が墨で描いた抽象画だというならそれはそれで結構でしょうが。



だったら「書道」と名乗るのはやめてくださいよ。


「墨で描いた抽象画」と名乗ってください。



相田みつをは


あの小学生のような書体で


誰だって簡単に読めますよね?


私はあそこまで。平明?でなくてもいいのではと思うのですが、、


あれでは大衆に、おもねりすぎ?ですよね。


もっと個性を出したらいいですよ。



棟方や


川東や


岡本くらいにまで


デフォルメ?


したらいいですよ、


あそこまでなら書道のぎりぎり範囲内ですから。


あの範囲内で


自分の思い通りに、、


好き勝手に


筆を走らせたら


それこそが


「現代書道」でしょう?



たーだ



古手籍の


名筆の


ひたすらなる


マネだけでは



書道は現代に生きる


意味も


価値も


無いですからね。


筆順なんかどうでもいいんですよ。


太い細いも自由。


曲げる伸ばすもあなたが書きたいように書いたらいいんですよ。


個性的に


自由に書いていいんです。



(ただしあくまでぎりぎり読めることが鉄則。読めないほどの変形や自己満足はダメ)



そうでないと、、、


確実に


書道なるものは



これからは、


絶滅危惧種?となるでしょうからね。

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