side S-1 Last secret? 1
とある病院に、“彼女”はいた。
「ありがとうございます……っ! このご恩は一生忘れません」
「いえ……そんな…………」
中年女性が涙を流し感謝をしている相手。それが“救世”の力を与えられた宮園志那である。歳は十六。セミロングの黒髪に、黒いワンピース。瞳の色はコンタクトレンズで黒いが、力を与えられた影響で実際は桃色に変化している。恐らくは特別な存在を強調したいが為なのだろう。
(やはり慣れませんね……)
彼女の病院での仕事は病、あるいは傷を癒し、治すこと。そして遺体が腐敗、あるいは白骨化をしていない限りは蘇生をすることである。しかし彼女はこの力は受け入れたものの、力を使う事に対しては戸惑いにも似た感情を抱いていた。
「あの、南雲さん……」
「どうしたんだい?」
「少し一人になって休憩を頂きたいのですが……大丈夫でしょうか?」
「うーん……本来は許しがたい事なんだけど、志那なら勝手に使う事はないだろうし。……いいよ。一時間したら戻っておいで」
志那は自らの監視者“使い”の青年、南雲諒太に一人になる許しをもらい、その場を離れた。使いは“かみさま”となった彼女達が力を勝手に使わないように、と監視をする人間の事。彼らだけは特例で救世や破滅の力が通用しない無効化の力が与えられている。万が一“かみさま”が暴走をした場合でも、それを止める事の出来る唯一の存在となる為でもある。
仕事中、傍を離れることはいくら信頼関係があったとしても危険な事であった。いつどこで何が起こるのか、予測する事は出来ないからである。
しかし南雲はそれを重々承知の上で、志那を一人にすることを認めたのは、“少しくらいなら良いだろう”と思ったからだろう。
「ありがとうございます。すぐに戻りますのでご心配なく」
ニコリと優しく笑みを浮かべ、志那は南雲の元から去って行った。
ずっと室内にいたせいからなのか、志那は真っ先に中庭へと足を運んだ。そこは人々で溢れ返っていた。孫であろう若い女性に車いすを押してもらいながら、近くを楽しそうに散策する老人。この時代では既に珍しいものとなってしまった紙飛行機を作り、看護師と飛ばしあいをしている幼い子供たち。その光景を目のあたりにした志那は、本当に彼らは病を患っているのかと疑う気持ちと同時に、様々な思いに駆られていた。
自分の存在がある事によって病院なんて作らないで済むと考えている人間もいる。しかし志那自身も人間であって、誰も彼も癒す機械ではない。力を使えばそれなりに同じように疲れる。
病院は病や怪我の治癒を手助けする場所だから、むやみやたらに自分を頼らないでほしいが、それは志那の意思ではどうする事も出来ない事。全てはネームレスが決めるからである。
今目の当たりにしている人々は、自分の力を信じて前を向いている人達ばかり。そのような人々に力を嫌でもふるってしまう事になるのかと思うと、志那の心中は複雑であった。
「なあ」
その時だった。突然声をかけられたのは。志那が呼ばれた方を向くと、そこには青いパジャマ姿の茶髪の男がいた。歳は志那と同じか少し上と言う印象である。
「なんでしょう?」
「さっきから変な顔しているけれど、どこか具合でも悪いの?」
「あ、いえ。えーっと、ですね……この病院に家族が入院していまして。それのお見舞で此処に来たのです」
志那は嘘をつくことに躊躇いを感じたが、“救世の仕事をしに来ました”と公に言う事は、自分自身だけでなくネームレスにも確実に危害が及ぶ事は確実である事を知っていた為、真実を言う事も出来なかった。
その言動がぎこちなかったせいか、帰って相手に不信感を抱かせないかとも感じたが、どうやらその心配はいらぬものだったようで、男は気にせずに会話を続けた。
「ふうん? その家族の所に行かなくて良いの?」
「はい、何やら大人のお話があるようですので。私は暇潰しです」
「そっか。丁度俺も暇だったんだ。その辺で話さないか?」
家族や親戚以外の異性と二人で話をするという事自体、初めてであった志那にとってそれは未知なる体験であったが、断る理由もなく志那はそれをすんなりと受け入れた。
近くのベンチに腰掛け、二人は他愛もなく世間話をし始めた。そこで志那は彼の名前が冴村蒼一であるという事、歳が自分より二つ年上の十八であるという事、好き嫌いがほぼ一緒だという事、少し強がりな部分がある事を知った。
そんな楽しい時間もすぐに過ぎ去り、志那がふと時計を見ると、休憩終了まで残り五分となっていた。遅れてしまえば南雲に迷惑がかかってしまう。寂しさを感じつつも、志那はベンチからすっと立ち上がり、別れを告げた。
「もうすぐ大人のお話も終わると思いますので、そろそろ私はこれで……」
「そうか。だったら仕方ないな。……家族が入院しているって事は、またここに来るってことだよな?」
唐突に予定を聞いてくる蒼一に志那は驚きつつも、“はい”と答えた。暫くはこの病院での仕事が多いと、予め南雲から聞いていたからである。
「だったら、また来た時で良いから話相手になってくれないか? この時間に、此処で待っているからさ。……ダメか?」
「いいえ、私で良ければ喜んで」
志那が微笑みながら言うと、蒼一もつられて笑った。
「ありがとう」
それからというもの、志那は決まった時間になると南雲に一言許可を得てから蒼一の元を訪れるようになった。彼との距離も徐々に短くなった頃、度々一人になろうとする志那に南雲は少し不信感を抱き、念のためにと釘を刺した。
「志那、本当に分かっているね? 絶対に自分勝手に誰かの為に力を使おうなんて事は……」
「分かっていますよ? 約束は守りします」
そうしていつものように志那は蒼一の元へと行く。どんなに嫌な事があっても、この時間だけが志那にとっての唯一の楽しみでもあったからだ。しかし、この日だけは違った。いつも通りの時間に必ずいる蒼一がいなかったのだ。
(検査とかでしょうか……それなら仕方ありませんね)
その程度にしか感じていなかった志那だったが、十分くらい後にやってきたのは蒼一ではなく中年の女性看護師であった。
「貴女が宮園志那さん?」
「はい。そうですけれど……?」
「蒼一君からこれを貴女に、って」
看護師が差し出したのは青い一通の手紙。そこには“志那へ”と書かれていた。看護師の表情が何故か悲しげに見えた事に疑問を抱きつつも、志那はその手紙の封を切り、中身を読んだ。