第9話 交際宣言
ほんの数時間で、私はどっと疲れてしまった。たぶん一時間も経っていないし、ただお茶飲んでいただけなんだけど。なんていうか精神的に……?
ってか、注文したアイスカフェオレ半分も口つけてないし……
そんなどうでもいいことを考えながら、私は前方を歩く春馬と杏樹の背中をぼんやりと眺める。どうでもいいことでも考えていないと、横から放たれる不機嫌オーラにあてられてしまいそうで、とにかく隣の人物のことをなるべく思考と視界からはじき出す努力をした。
雑貨屋に行っていた杏樹が戻ってきて少しお茶して、お店を出たのがほんの数分前。
お店を出る前に、とりあえず本屋に行こうってことになって七階のカフェから五階の本屋へと降りるためにエスカレーターに向かって歩いているんだけど。
ちらちらと振り返る春馬と杏樹の視線が居たたまれなくて、私は思わずため息をこぼしてしまった。
すべて悪いのは宇野君――もういいや、翼って呼んでしまおう――翼なんだ。
※
数分前――
目当ての調理器具を買うことが出来てほくほく笑顔で戻ってきた杏樹と付き添いの春馬が席に着くなり、宇野君がいつもの感情の読み取れない冷淡な表情で言い放った。
「俺達付き合うことになったから」
「えっ、ホント!?」
「まじかよ?」
宇野君の大胆宣言に春馬と杏樹は顔を綻ばせながらも驚いていたんだけど、なによりも一番驚いていたのは私自身。
「――――っ!?」
声にならないくらい驚いて、身を後ろに引いたら背中がガタンっと背もたれにぶつかった。これがソファー席じゃなくて一人掛けの丸い椅子だったか、絶対に私は座面から落ちていただろう……
誰よりも驚いた表情をしている私を春馬と杏樹がじぃーっと見つめ、横からも宇野君の見たものを凍らせてしまうような鋭い視線でジロリと睨む感。
なにお前が驚いてんだよ――的な?
でもさ、驚くなって方が無理だよ。
まさか、春馬達が戻って来るなり恋人同盟のことを告げるなんて思いもしないじゃない?
まあ、いつ春馬達に知らせるかについては話してなかったから、私の落ち度でもあるけど……
ぐるぐる思考を巡らせていた私は、未だに春馬達の好奇に満ちた視線が向けられていることに気づいて、なんとか驚きから立て直して笑顔を作る。
「えっと、そういうことです……」
絞り出した言葉に春馬と杏樹は満足そうに微笑んで、宇野君だけは相変わらず氷雪の眼差しで見つめてきたけど。
「付き合うっていっても友達から一歩進んでみようって段階だけどな」
好き合って付き合い始めるわけじゃない――宇野君の言葉は暗にそう伝えていて、ぎこちない私の態度をフォローしてくれた。まあ、春馬達はそんなこと気にしていないみたいだけど。
「そういう始まりもありだと思うよ。陽と翼なら上手くいくとおもうし」
早々に偽の恋人同盟だってばれなかったのはよかったけど、春馬にそう言われるとやっぱり複雑な気持ちだ。
「うんうん、じゃあ今度はダブルデートしようね」
ふわふわの砂糖菓子みたいな可憐な笑顔で杏樹が言う。
ダブルデートなんて遠慮願いたいけどもちろん口には出しては嫌とは言えなくて、私はあいまいに苦笑するしかできない。
でも、やっぱり、宇野君が私の心を代弁するように口を開く。
「俺達はパス。付き合い始めだ、しばらくは二人でいる時間を大切にしたいからね」
二人の時間とか、大切とか、恥ずかしいセリフをさらっと、しかもいつもの無表情で言ってしまうから、別の意味ですごいと思う。しかも、無表情のせいか、無駄に眼力があるっていうか。
「そ、そっか……」
杏樹も驚いて頷き返すしかできない。
とりあえずダブルデートの話は流れたから、内心でガッツポーズを決める。でかした、宇野君!
「この後、本屋行こうぜ?」
微妙な空気の変化を感じとった春馬が苦笑しながら提案し、それに杏樹と私も賛成する。
「うん、本見たーい」
「私も欲しい参考書があるんだ」
「なんの参考書?」
参考書の言葉に敬遠するように瞳を揺らした杏樹を見て苦笑して答える。
「英語、杏樹はまた料理の本見るの?」
「うん」
「あっ、俺も今日発売の本買わねーと」
ぽんっと頭の上の電球マークをつけた春馬を私と杏樹は同時に見る。
「どーせ春君は漫画とか言うんでしょ~?」
可愛らしく杏樹が先に突っ込んだけど、私も頭の中ではまったく同じ突っ込みを考えていて、二人のやり取りをくすくす笑って見ていて――
すっかり会話に加わってこない宇野君の存在を忘れてしまっていた。
恐る恐る視線だけを横に向ければ、宇野君は相変わらずの無表情だけど、なんとなく纏っているオーラが不機嫌……?
「悪いけど、この後はお互い別行動ということで」
提案とかじゃなくて、決定事項として言い切った宇野君に、春馬は驚きを隠せない表情で首をかしげる。
「なんだよ、本屋の気分じゃないとかいうんだろ。それとも他に行きたいとこがあるなら、先にそっちに行ってもいいけど?」
なあって、春馬は隣に座る杏樹に同意を求めたんだけど、宇野君は無表情のままうんともすんとも言わない。
「陽も本屋に用事あるっていうし、とりあえず本屋行こうぜ?」
無愛想な宇野君の態度に慣れているのか、春馬はなんでもないように宇野君に話しかけるけど、見ているこっちの方がハラハラしてしまう。
少しの沈黙を挟んで、宇野君は渋々といった様子で頷いて、カフェのお会計を済ませて本屋に向かて、今に至るというわけ――