第8話 同盟成立
宇野君と普通に会話できるようになって良かったね、ってそれで終わりじゃない。
春馬の性格を考えれば無理やり友達を紹介したりすることはないだろうけど、今回こういう話がでたということは、私が誰とも付き合わないことを春馬と杏樹が心配しているってことで、きっと今後もさりげなく聞かれる機会が増えるだろう……
そう考えただけで憂鬱だ。
なんでこのタイミングで、彼氏を作った方がいいって言うかな?
ちょっとずつ春馬と距離を置いて、胸の奥にしまった気持ちを薄れさせていこうって思った矢先に、同じクラスになって急速に物理的な距離が近づいて戸惑っている時に。
報われない片思いに苦しんで、いまだ抜けられない迷宮で立ち止まっている。
「春馬が安心するなら彼氏作った方がいいのかな? 自分の気持ちもこのまま誤魔化せるかも」
「なら、俺とつきあえばいい」
頭の中で考えていたつもりが声に出ていたことにも驚いたけど、なによりも宇野君の言葉に驚きを隠せず、大きく目を見開く。
視線の先、私を見る宇野君は瞳に妖艶な光をきらめかせて挑戦的な笑みを浮かべている。その笑みはいかにも自信たっぷりな俺様な表情で宇野君らしい。いつもだったら、カチンってくるのに今はあまりの衝撃に、「うわぁ~、宇野君ってほんとイケメンだなぁ」なんて他人事のように見入ってしまった。
って、そうじゃなくて!
「えっ、なにそれ、冗談?」
冗談であってほしいと思って、訝しげに眉根を寄せて尋ねる。
だって、宇野君が好きなのは杏樹で、私は……
そこまで考えて、はっとする。いまだに宇野君は挑戦的な瞳で私を見ていた。
「ああ、なるほどっ!」
私はグーにした右手で開いた左手をぽんっと叩く。
「片思い同士の偽恋人同盟ってことね」
恋人を作るように薦められていたのは私だけじゃない。私に宇野君を薦めていたように、宇野君には私が薦められていたわけで、困っていたのは宇野君も同じなんだと気づく。
本当の恋人を作るのは無理だし、代理を立てるにしても人選が難しい。その点、私と宇野君はお互いの片思いを知っているし――しかも相手が誰かまで――、片思い同士、同盟を組むにはぴったりってことでしょ。
私が意を得たとばかりに瞳を輝かすと、宇野君はなぜか私とは対照的にむっつりと眉根を寄せているから首をかしげる。
「まあ、いいや……」
宇野君の口からこぼされた言葉は小さくて聞き取れなかったけど、はぁーっと大きなため息をつくと宇野君は体ごと私に向き直り、いつもの氷雪の瞳を不敵に微笑ませて。
「これからよろしく」
そう言った宇野君はにんまりと口元に笑みを深くして、私の耳元に顔を近づけた。
「ひなた」
耳に息がかかるほど近くで、甘く響くバリトンボイスで名前を呼ばれて、不覚にもドキっとしてしまう。
「よ、よろしくお願いします……」
動揺して裏返ってしまった声に瞳を細めて俺様な笑みを浮かる宇野君は、ウサギを追い詰めて楽しんでいる猛獣のようで。
偽物で仮だとしても、宇野君を恋人にしてしまったのは早まったかもと後悔する。
それから、“偽恋人同盟”を結ぶにあたって話し合って、いくつか決まり事を作った。
この同盟はあくまで春馬と杏樹を安心させるもので、二人がいないところでは同盟関係はなし。個人のプライベートには踏み込まない。
どちらかが恋を実らせるか、はたまた違う人を好きになった時点で同盟は終了。
早くも後悔し始めていた私だけど、春馬と杏樹を安心させるには宇野君が彼氏っていうのは理想的――なにより春馬の推薦――だし、宇野君の提案はナイスアイディアだ。さすが留学するだけあって頭がいい。そう感心していたけど。
最後に付け足した宇野君の条件に私はぴしっと体をこわばらせる。
「なんだよ、そんなこと恥ずかしか?」
「はっ、恥ずかしい。無理だよっ」
「春馬にはやってるのに?」
「だって、春馬は特別だから……」
宇野君の提案を泣きそうになって拒否っていた私の言葉は、宇野君の鋭い視線に睨まれて語尾が消える。
春馬が特別なのは分かりきってることだけど、一応、仮にもこれから彼氏になるって人に、春馬は特別で宇野君は無理って言ってしまったことを後悔するけど、口から出てしまった言葉は取り消せないよね……
「ごめん……」
俯いて誤った私に、宇野君は呆れたようなため息をひとつ。
「名前で呼ぶのの何がそんなに恥ずかしんだよ……」
宇野君の条件っていうのが、お互いを名前で呼ぶこと。
確かにその方が親しいって感じはするけど、実際には偽だし、宇野君とは知り合って一ヵ月も経ってないし、いきなり名前で呼ぶのは気恥ずかしい。
「宇野君じゃダメかな? 徐々に慣れるようにするから」
さっきの失態もあって、弱腰で尋ねるけど、ジロっと睨まれた。
「春馬は呼び捨てにしてるだろ?」
「それはそうだけど……」
まだ春馬のことを引き合いに出してくるって、そんなに宇野君を怒らせちゃったのかな?
内心で首をかしげながら、でも強気に出られない。
「小学校の時はみんな下の名前で呼び合ってたから、その名残というか……」
ごにょごにょと歯切れ悪く言い訳しても、宇野君は完全に体を通路の方へ向けて私の方を見ようとはしない。
本当に怒らせちゃったんだって分かって、私は勇気を振り絞ってその名を口にする。
「……っ、つばさ、ごめんね?」
ちらっと視線だけを私に向けた宇野君はやっぱり無表情だけど、じぃーっと私の顔を眺めている。
ただでさえ名前を呼んで恥ずかしいのに、こんなに見られて、私の顔は絶対真っ赤になっている。
いやぁー、穴があったら入りたいっ!
でも宇野君は満足そうに目元を細めて香るような微笑みを浮かべた。