「同盟彼女」
あれは約半年前。学校の制度で留学することが決まり、その準備もほとんど終わって、俺にとっては二学期最後の登校日。
遠目に見た姿に、一瞬で心奪われた――
さらさらの長い黒髪を背中に流した彼女の横顔があまりに綺麗で。
だけどそれよりも、見てるこっちが苦しくなるような切なげな瞳と泣きそうな表情で春馬を見ていたから、なぜだか俺の胸が握りつぶされたような苦しさに息ができなかった。
春馬は中学の時に同じバスケ部に入った縁で仲がいい。同じ高校に進学して、俺も春馬も今は帰宅部だしクラスも違うけど、なんとはなしに連絡を取り合っている。こういうのが親友っていうんだろう。
女の方は見かけたことがないけど、一学年八クラスもあれば全員の顔なんて分かるわけなくて。でも。
春馬の横には杏樹もいて。確か、春馬と杏樹は最近付き合い出したはずだ。
表面上は三人に楽しそうに談笑しているけど、俺には分かった。
彼女が春馬に片思いしていることに――
彼女持ちを好きになるなんて、結果は見えてるようなものだ。
あんな辛そうな顔してるくせに無理して笑って、馬鹿なヤツ……
そう思って、でも俺の意識はすぐに留学へと向く。名前も知らない、親友に片思いをしている女のことなんて、留学中、思い出すことなんて一度もなかった。なのに。
留学から帰ってきて早々、春馬に呼び出されて、空港から直行で待ち合わせの駅へ行き、久しぶりの日本の空気を吸いつつ改札を抜ければ、真っ先に飛び込んできたのは、春風に揺れるサラサラの髪。触れたくなるような艶やかな黒髪の女が、約半年前に見た姿のまま、あの胸を締め付けられるような切なげな眼差しを春馬に向けているから、俺はその場に打ちつけられたように動けなかった。
あれから何ヵ月も経ったっていうのに、変わらず一途に想い続ける姿が痛々しすぎて脳裏に焼き付いてしまった。
※
高二に進学して陽と同じクラスになり、何かと一緒にいることが増えて。
「なら、俺とつきあえばいい」
そう言っていたのは、ほんの気まぐれだった。
到底叶いそうもない相手を想いつづけている陽に多少なりとも興味を持っていたし、俺が杏樹を好きだとか勘違いしてるし、そのくせ、好きなヤツのために好きでもないヤツと付き合おうとか言うし。
俺が杏樹に片思い――?
どこをどう見たらそんな勘違いするんだ……?
まあ、女子の中では親しい方だろうし、下の名前で呼び合ったりするけど、杏樹は中学の時、所属していたバスケ部のマネージャーだったから部員はたいてい名前で呼んでいた。
勘違いも甚だしいってもんだろ。
名前も知らなかった陽の姿に一瞬で心奪われたっていうのに、陽は俺が好きなのは杏樹だと勘違いしているから、意地悪したくなったんだ。
だから、単純な好奇心、気まぐれで、陽と偽の恋人同盟ってヤツを結んだ。
俺が言ったのは、別に偽とか同盟とかそういうつもりじゃなかったんだけど……
まあ、陽が誤解したのをわざわざ訂正する気にもなれなくて、そういうことになった。
心奪われた――、とかいいながら、それでも俺はそんな自分の気持ちを受け入れることはできなかた。
愛だ、恋だ。この世で最も愚かなものだ。
あんなのは見せかけで、女は恋している自分に酔って、男は騙されていることに気づかない。滑稽な芝居でしかない。
変わらない気持ちなんてなければ、永遠の愛もない。
一瞬の儚い夢でしかない。
だから、俺は自分の感情すら、認めることができない。
こんなのはほんの好奇心。
その証拠に、陽の切なげな表情を見るたびに胸の奥がむかむかとイラついた。
俺と陽の間には特別な感情はなくて。陽は春馬のことが好きで、俺は杏樹を好きとか勘違いしていることに気づきながら訂正しない。嘘ばかりで塗り固められた関係。「片思い同士だね」と言ってへらっと笑った陽の笑顔が俺には重くて、嫌な過去の記憶が脳裏によぎって、無理やり記憶を奥底に閉じ込めた。
男に免疫がなくて、俺の下の名前を呼ぶだけでも顔を真っ赤にさせる陽は俺にとって格好のおもちゃで、暇つぶしのように偽物の彼氏を演じて。
恋なんてやっぱり芝居でしかないんだって、心の中で自分を嘲って。
それなのに、だんだんと陽のことが気になって仕方なくて。花が恥らってしまうような綺麗な笑みも泣き顔も、いつも春馬が関係していて、それが俺をむしゃくしゃさせた。
あの日も嫌なら初めから断ればいいのに春馬と杏樹と四人で出かけて、結局、泣いていた。
辛くなるのは分かってるはずなのに、平気なふりして傷ついて。
馬鹿なやつ……
そう思うのに、こいつの泣き顔は見たくないとも思う。
※
二学期のある日、教室にいた陽がびしょ濡れで俺は目を見張った。
声をかけようとしたら、陽はさっと安部の後ろに隠れるようにして教室を出て行ってしまった。何があったのか、まったく状況を把握できずに呆然と立ち尽くす俺の横で、春馬も同じように固まっていた。
極地的豪雨とか、ちょこっと聞こえたけど、そんなバカなことがあるわけがない。
教室の後ろの方で固まっていた女子がひそひそ話している声が聞こえて、俺は思わず詰め寄っていた。
「何か知ってるのか!?」
あまりに怖い形相をしていたのだろうか、話しかけられたクラスメイトの女子は怯えるように肩を震わせて、互いに視線を交わしている。
「えっと、知っているっていうか、噂なんだけど……」
そう言って語った内容は、思いもよらない内容だった。
陽が一部の女子に嫌がらせされている……?
側にいたくせにそんなこと全然気づかなかった。否、夏休みあけてからはほとんど陽とは会話してないし、メールもしてない。
夏休み前に陽と春馬が二人で出かけたことを聞いて、一人勝手むしゃくしゃして、夏休み最終日に陽と出かけた時も八つ当たりだと分かっていながらあたって。春馬と杏樹が別れそうな雰囲気だって分かっていたからこそヤキモキして、学祭の買い出し係に陽と春馬が決まった時も、俺には割って入れないような二人の強い結びつきみたいなものを見せつけられた気がして卑屈になって、やっぱり陽にあたってしまった。
そのくせ、俺や陽が通学で使っている路線で痴漢が出たと聞けば心配でじっとしてられなくて送り迎えを買ってでて――その結果が、女子のからの嫌がらせ……
俺は不甲斐ない自分を呪い殺してしまいたかった。
守ろうとした結果、俺のせいで陽を危険な目に合わせて、騎士気取りで肝心な時はいつも守れない。
陽が風邪で倒れた時も、学祭で倒れた時も――
『本当に好きな子には優しくしなきゃダメだよ。そんな不機嫌オーラばしばし出して、優しくないんじゃ、気持ち誤解されるだけだから」
そんなこと言われなくても、俺自身が嫌というほど分かっている。
陽が俺を友達以上に見てないのも、むしろ俺の身勝手さに嫌気がさしてることも。
ギリッと奥歯を噛みしめて、胸に突き刺さった言葉がどんどん体中に広がっていく。
俺は陽が好きだ――
ずっと認められなくて。
認めてしまえば、自分が今まで馬鹿にしていた奴らと同じになってしまうから……
そんな気持ちにがんじがらめになって、いつも一人身動きできなくて。
でも、そんなことも気にならないくらい俺は陽に溺れていた。
すべての運命を狂わせても、陽を一人占めしたい。
あの胸を締め付けるような切なげな眼差しを自分に向けてほしい――
優しくしたいと思った。ただ、そんな感情は初めてで、どうしたら優しくできるのか自分でも分からなくて。
学祭が終わって、俺は再び陽の送り迎えを申し出て。陽へ嫌がらせをしている女子はダンパのパートナーにと誘ってきた女子らだろうと見当をつけて睨みを利かせて。
偽物だろうと、同盟だろうと、陽の側にいれるなら、その関係につけこんでも陽の気持ちを俺に向けようと思った。
自分に出来ることなら、なんでもしてあげたいと思った。
だから、いつものようにからかっても言い返してこない陽の様子が気になって、元気がないのは杏樹とギクシャクしていることが原因だと思い至る。俺は杏樹に会いに行って、それとなく陽と仲直りするように話した。俺にはこんなことくらいしかできないから。
だけど。
『もう意味ないんだよ……、だから、同盟を終わりにしよう。嫌々、付き合ってるふりなんてしなくていいんだよ……?』
陽から告げられた言葉に、俺は凍りついたように動けなくなってしまった。
意味がない……? 嫌々……?
何を言ってるのか理解できなくて、頭痛がしてきた。
陽は呆然としている俺をよそに一方的に話を終えて背中を向けるから、俺は思わずその腕を力任せに掴んでいた。
振り返った陽は瞳からぽろぽろと涙を流しながら、心を乱すようなあまりに切なげな眼差しを向けるから。
いつも、いつだって、春馬に向けていて、自分に向けさせたいと思っていた、胸の潰れるような切なげな眼差しで、身動きできなくなる。
ひゅっと自分の呼吸が掠れる音を聞いた。
※
それからしばらくは何も考えられなくて――
自分でいうのもなんだが、これでもそれなりに頭の回転はいい方だと思ってる。なのに、陽の事となると感情がセーブできなくて、イライラして、そんな自分にまた苛ついて。
陽とは会話どころか目を会すこともなくなり、お互いの存在を視界に入れないように意識的にするようなぎこちない日々が続いた。
本当は話しかけて誤解を解くべきだと思った。
でも誤解って……?
なにもかも、すべて初めから間違いだらけだった。
俺と陽の間には一つも真実はなくて、ただ、お互いに自分の感情を裏切って過ごしてきただけ……
春馬を好きなのに、その気持ちを隠して友人として接する陽。
そんな陽に惹かれながら、恋だの愛だの愚かだと馬鹿にして、自分の気持ちに眼を背けてきた俺。
いまさら俺が好きなのは陽だと言ってどうなるのだろうか。
陽は春馬にずっと片思いしていて、その春馬は杏樹と別れてフリーになって、もしかしたら春馬と上手くいくかもしれない。それとも、学祭の時に陽を抱えていた部の先輩と上手くいったのかもしれない。
そう考えて、どうしようもなく無様な自分がいた。
納得いかない――
陽が誰かのものになるなんて、絶対に嫌だ――
俺は自分の気持ちに気づいてなにをした? まだ何もしてない。気持ちを伝えることもしていないのに諦められるわけがない。
俺はいままでにないってくらい頭を巡らせて考えた。ギクシャクしたこの状況で、どうやって陽に気持ちを伝えるか。
普通に声をかけても無視される可能性は高い。俺がそうしたように、陽も俺に冷たい背中を見せるだろう。
だから、俺はダンパの機会に賭けることにした。
三年に一度のダンスパーティー。いつもとは違った雰囲気に、きっと声をかけられるはずだ。
問題はどうやってダンパに参加するかで、折よく、悩んでいた俺に声をかけてきた安部の協力を得て、安部がダンパのパートナーになることでダンパにはどうにか参加できることになった。
陽が誰とダンパに参加してくるのか、気が気じゃなかったが、誰が相手でも絶対に陽を捕まえるつもりだった。
ダンパ会場に入ってからは、会場中に溢れる人の群れの中に必死に目を凝らして陽の姿を探した。
どんなに大勢の中でも俺には陽を見つける自信があった。それなのに、肝心の陽の姿を見つけることが出来ずに、無情にもどんどん時間ばかりが過ぎていく。
安部の情報では、陽とは受付で別れて後から来るはずだというのだが……
ダンパも残すところ三十分ほどとなった時、俺は入り口付近に求めていた姿を見つけて、我も忘れて駆け出した。
陽を誰にも渡したくない――……




