第69話 傷つくことを恐れないで
有志の会場となる三年六組の教室には、すでに五十人ほどの正装した生徒で溢れかえっていた。
タキシードや燕尾服を着た男子生徒、色とりどりのドレスに身を包んだ女子生徒、中には着ぐるみやサンタコスなんかもいて、室内の飾りも赤と緑のクリスマスカラーでダンスパーティーというよりもクリスマスパーティーといったほうがぴったりの雰囲気。
まあ、実際、今日はクリスマスだからクリスマス仕様の飾りを使われているのかもしれないけど。
壁にはモールや紙を切った飾りが煌びやかに飾られ、窓ガラスにはスノースプレーでトナカイに引かれたソリに乗っているサンタや雪に包まれた木々のシルエットが描かれている。
教室の中央に机がコの字型に置かれていてその上に料理が、黒板の前の方に置かれた長テーブルに飲み物が置いてある。
そこにはなぜか道香ちゃんや春馬までいて……
「あれ~、陽がこっちに来るなんて思わなかった~」
間延びした口調で話しかけてくる道香ちゃんに私は呆然とし、しばらくの間を挟んで、やっと返事をすることができた。
「えっと、別れたから」
道香ちゃんには、翼と付き合ってるっぽいって話はしておいたんだよね。クラスは違うけど部活でほぼ毎日顔を合わせるし、翼といることが増えてすごく興味持たれちゃって「関係ない」って言ってもとても信じてもらえそうにないから、嘘と真実を混ぜて伝えてあるんだけど。
「マジで!?」
くりっと瞳を大きく見開いて驚かれてしまって、あまりに大声を出したから教室にいる他の生徒がちらちらとこっちを見ていて恥ずかしい。
「道香ちゃん、声大きい」
しぃーっと立てた人差し指を唇に当てながら言って、話を続ける。
「別れたといっても、偽物の彼氏だったんだ。だからぜんぜん気にしてないっていうか、もともとこういう約束だったんだ」
ほんと気にしてませんっていうような軽い口調で言えたけど、胸の奥がズキンっと痛む。
「なにそれ? 偽物って……どういういきさつでそんなことになったのか、ちょー興味あるんだけど」
「俺も詳しく知りたいな」
その声に、心臓だけじゃなくて体ごと飛び上がるくらい驚く。
だって、春馬が道香ちゃんの肩越しにこっちを見てるし。
っていうか、春馬が側にいることすっかり忘れてたぁー!!
翼とは本当は付き合ってなかったとか、バレたらまずよね……?
でも……
にっこりと太陽のように眩しい笑顔を見せられては、今更誤魔化すことも出来ない。
内心、大きなため息をついて項垂れつつ、私と翼が同盟を組むに至った経緯を説明した。
もちろん、私が春馬を好きだったとか、翼が杏樹を好きということは伏せて。そうしたら。
「じゃあ、今度は俺と付き合う? 仮の彼氏」
ふんわり笑顔で首をかしげて、人差し指で自分のことを指しながら春馬がそんな風に言うから、私はびっくりして目を見開いてしまった。
でも、くすっと苦笑をもらして。
「あー、偽物の彼氏の次は仮の彼氏ってこと? 私にはいつになったら本物の彼氏ができるんだろ~」
おどけて笑って言うと、道香ちゃんもつられて笑いだして。
「まーまー、いいじゃん彼氏なんて。陽には弓道があるし、私もいるし」
道香ちゃんは言いながら、私の腕に腕を絡めてぎゅっと抱きついてくる。
仮の彼氏なんて、春馬が私の話を軽く流すために冗談で言ったんだって分かったから、私もあえて話に乗って返してみたけど。
「弓道が彼氏はちょっとやかもぉ……」
ぼそっとこぼした私の言葉に道香ちゃんも春馬も笑って、中央に置かれた料理を取りに行こうってことになって、用意された紙皿に香ばしいタンドリーチキンや生ハムのポテトサラダ、トマトとチーズのサラダなど、美味しそうな料理をたくさん持って、窓際で食べながら会話を楽しんだ。今日のパーティーのこと、春馬のバイトのこと、冬休みのことなど。
料理も美味しいし、久しぶりに春馬と普通に会話で来てちょっと安心する。
杏樹とどうなったのか少しは気になるけど、二人の問題だし、せっかくの楽しい雰囲気をぶち壊すようなことはしてはいけないと思った。
たくさん食べてお腹もいっぱいになって、トイレから戻ってきて扉から教室の中を覗くと、道香ちゃんはクラスの子の輪にいて、春馬も男子たちと話してたから、私はそっと踵を返した。
にぎやかな教室とは違い、一歩外に出れば廊下はしーんと静まり返っていた。
私はとぼとぼと廊下を歩いて、四階へ上る階段の二段目に腰を下ろした。
瞬間、さっきまで自然に笑っていた顔がしゅっと無表情になって、はぁーっと盛大なため息がこぼれた。
さっきまで春馬や道香ちゃんと話している時は普通にできたけど、それが普通じゃないてことに気づいていた。
普通にしてる時に、頭で普通にしなきゃなんて思わないはず。そんなの普通じゃない、不自然だ。
でも私は、必死に普通にしなきゃって思ってた。
何でもないふりして、笑顔を作って、考えまいと必死だった。
翼のことを考えないようにしようって思って、翼のことを想っていた……
杏樹を好きな翼のためにも、報われない片思いをしている私のためにも、翼との同盟を終わりにすることは間違っていない。そう思うのに、いなくなって初めて気づく。いつのまにか翼の隣にいるのが当り前になっていた。
表情を映さない険しい表情、強引で俺様な性格も、突然不機嫌になるのも、そんなとこも全部ひっくるめて翼のことが恋しい……
顰め面でぶっきらぼうな口調、でも心配して優しい色合いの瞳で見つめられて、切なくて。
私は膝の上に顔を埋めて、はぁーっともう一度大きなため息をつく。
偽物でも翼の側にいられるならそれで言って想ってたのに、自分から手放した。
それなのに、まだこんなにも翼を想って胸が切なく締めつけられる。
「結局、私だけ迷宮でさまよってる……」
ぼそっとこぼした時。
「どうしたの?」
明るい口調が頭上から降ってきて顔をあげると、口調とはうらはらに眉間に皺を寄せた樹生先輩が、腰をかがめるようにして立っていた。
眉間に皺を刻んだ表情は樹生先輩には不釣り合いで、でもそんな心配そうな表情をさせてるのが自分だって分かるから、くしゃっと顔を歪める。込み上げてきそうになる涙を押さえて。
私をじっと見つめる樹生先輩の瞳があまりにまっすぐで、いつだったか、「全部言えないなら、言えるとこだけでもいいから言ってごらん?」そう言ってとても優しい眼差しをした姿と重なるから、私はぐちゃぐちゃの頭のまま、なんとか言葉を絞り出す。
「えっと、ちょっと最近いろいろありすぎて……、自分でもあまり整理できてないんですけど……」
「うん」
私の隣に座った樹生先輩は、先を促すように静かに頷いてくれた。
「欲しいものができたんです。それが絶対に手に入らないものだって分かっていても欲しくて、でも諦めるしかなくて……」
最初から最後まで、翼と私は偽物の関係でしかなかった。
見てしまった、楽しそうに笑い合って話す杏樹と翼の姿が脳裏をよぎる。
普段の仏頂面からは想像もできないようなにこやかな笑みを浮かべる翼の姿に、胸がぐしゃっと押しつぶされて苦しくなる。
翼が好きなの――
そんなこと分かりきってたのに、改めて思い知らされて、逃げだした、傷つくのが怖くて……
ぎゅっと唇を噛みしめて黙り込んだ私。
樹生先輩は何かを考えるように膝の上に肘を乗せ、指を組んで、じぃーっと空を見据えた。
どのくらい経ったのか、沈黙を破って、樹生先輩が静かな声で話し始める。
「諦めようって決めて、それでも諦めきれないモノってあるよ、それはきっとまだ全力でそのことにぶつかってないから諦められないんだ。傷つくことを恐れないで一歩踏み出さないと、本当に欲しいものは手に入らない――」
そう言った樹生先輩の声はまるで自分自身に言い聞かせてるように物憂げで、その様子が身につまされた。
じっとただ自分の組んだ手を見つめる樹生先輩に私は恐る恐る声をかけた。
「先輩は……その一歩を踏み出せたんですか?」
こっちを向いた先輩は、目を細めて切なげに微笑んだだけだった。




