第63話 恋はナイフのように
「陽、帰ろうぜ」
帰りのホームルームが終わってにぎやかな教室の中で、翼が鞄を持った手を肩にやりながらこっちを見て言った。
「う、うん……」
一緒に帰るのが習慣化してきているとはいえ、私はまだ慣れなくて戸惑いながら翼に頷き返した。
学祭が終わってると、十月になり中間試験がやってくる。
あの日――
学祭で倒れて保健室で目覚めた私のところに来た翼と一緒に帰ってから、またメールが来るようになって、朝も駅で待っててくれて、試験一週間前で部活が休みになると当り前のように一緒に帰ろうと声をかけてくれて。
ついこの間までは私もそれが当り前のように感じて疑問にも思わなかったけど、こんなの友達としては普通じゃないよね……?
「中間、もう明後日からだな」
「そうんだね……」
駅に向かう道、隣を歩く翼が言った言葉に私はぎこちなく相槌をうつ。
「昼に塚田たちと話してたんだけど、中間終わったらクラスの連中でカラオケでも行こうかって話がでてさ」
「ふふっ、まだ試験始まってもないのにもう終わった時の予定立ててるの?」
「まあそうだけど、楽しみがないとやってらんないんだろ」
「塚田君なら言いそう」
「試験後ってなると来週の週末だろ? 予約するならだいたいでいいから人数確認したいよなって話してて、陽も行くだろ?」
当然のように誘ってくれる翼に、私はきまり悪く視線を横にそらして苦笑する。
「んー、来週はどうだろう……」
「なに? 部活?」
腰を折って顔を覗き込むようにして翼が顔を近づけてくるから、距離をとるように一歩後ずさると、無表情だった翼の瞳が何か言いたげに揺れたのに気づいて、誤魔化すように慌てて言葉を続ける。
「うん、部活」
「日曜まで部活って……、たまには休めば?」
「ほら、学祭の準備とかであまり練習できてなかったから、試合も近いし」
本当はうちのクラスの出し物はそんなに準備は大変じゃなくて、クラス全員で準備したのは前日くらいで。嘘だってバレバレだっただろうけど、翼はそこには突っ込まずに、視線を前に戻して歩き出した。私は内心、ほっとする。
「じゃー、部活終わったら迎えにいくよ」
「えっ、なんで?」
きょとんと問い返せば、翼はあきらかに不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、ぽいっとそっぽを向いてしまった。
「別に、いいだろ。俺がそうしたいんだよ……」
ボソボソっと喋った声から照れているのが分かってしまって、胸が締めつけられる。
態度はぶっきらぼうだし、言葉も優しくないけど。
以前だったら私の歩調とか気にしないですたすた歩いていってしまう翼が、最近は私の歩調に合わせて隣を歩いてくれるし。
学祭で倒れた後も体調を心配するメールをくれたり、気づかってくれてるのが分かるから、申し訳なくなる。
こんなふうに優しくされて、本当の彼女みたいに大切にしてくれて、胸が切なさでいっぱいになる。
こんなに優しくしてもらっても、私はなにも翼に返せないのに……
翼を好きだと気づいて、でも気持ちは伝えないでいようと決めて。でもこのまま同盟を続けることはできないから、同盟を終わりにしようって思ったのに。翼が当り前みたいに私を“特別”に扱ってくれるのが嬉しくて、このままじゃだめだって分かっているのに自分からは切り出せなくて、ずるずるこの関係を続けてしまっている。
ほんとに、なんで翼はこんなに優しいのだろう……?
普段から不機嫌オーラ全開だし、不器用だから分かりにくいけど翼が優しいって分かっている。
でも、なんていうのかな、前とは全然違うんだよね。
どう表現したらいいかわからないけど、以前よりも私を見る瞳が柔らかい。端正な顔立ちだから余計に鋭い眼差しを強調してて、冷たそうな印象だったのに。
目が合えば、ふっと瞳を細めて笑いかけてくれて、時々、言い知れぬ熱を宿した瞳で見つめてくる。それが酷くもどかしくて、居心地悪くて。
私は翼を開放してあげなきゃいけないのにそれができなくて、こんなふうに優しく眼差しを向けられる資格なんてないのに。
翼の優しさが、私を追い詰めて不安にさせる。
鋭いナイフのように、心臓をじくじくとえぐっている。
幸せすぎる時間が終わってしまうのが分かっているから、優しさが辛くてどうしようもない。
※
中間試験が始まり、出席番号、順の席順になって、久しぶりに翼と隣の席になって、ドキドキと胸が高鳴るどころか、不安で心臓が冷たく凍っていく。
翼の優しさに、こぼれてしまいそうになる気持ちを必死に押しとどめて、すぐそこにある幸せの終わりがちらついて気持ちが不安定に揺れて。
ふいに肩を叩かれて、私は飛び上がりそうな勢いで肩を震わせた。
「陽ちゃん、ぼーっとしてるけど大丈夫?」
「あっ、うん……。さっきの英語、ミスしたとこに気づいちゃって……」
前の席に座っている千織ちゃんが振りかえって、心配そうに眉根を寄せているから、私は暴れ出しそうに煩い胸を押さえて、とっさにそんなふうに言っていた。
本当は、英語の事なんて考えてなかったけど。
「そう……。あと一科目だね」
「うん、数学は自信あるんだ~」
にこりと千織ちゃんに笑いかけながら、真横から感じる視線に気づいていた。




