第61話 誰かのためじゃなくて
ゆっくりと目が覚めていって、私は開いた瞳を数回瞬いた。
よく寝たなぁ……、って、じゃなくてっ!
ここって、保健室……?
周囲を囲むように引かれた飾り気のない白いカーテンと白い天井。白一色の世界に、直前に視界が真っ白になったことの続きかと一瞬思い、この状況に既視感を覚えて、またやってしまったのか……と自己嫌悪にうなだれる。
頭はがんがんして重たいし、起き上がる気力もなくて、ベッドに横たわったままわずかに身じろいではぁーっと小さなため息をついた。
それから、横に手をついてなんとかだるい体を起こしてベッドに座る姿勢になり、スカートもポケットに入れていた携帯を取り出して時間を確認すると夕方十六時五十分で、あーあと思って眉根をひそめた。
学祭は十七時までだから、もう今日の学祭は終わってしまう。
クラスの出し物の受付当番があったわけでもないし、見たい展示があったわけでもないから支障はないのだけど、学祭を丸一日潰してしまったと思うともったいない気がして知らずため息が出てしまう。
十七時十分から帰りのホームルームがあるけど、外部の来場者が十七時ぴったりに全員いなくなるわけじゃないし、クラス以外の部活や委員会の持ち場にいる人もいるから、事前にそれを伝えておけばホームルームに参加できなくても大丈夫で。
自分がどうやって保健室に来たのかは記憶にないけど、私が今日いた場所は有志実行委員のブースで、倒れたのはたぶんそこなのだろうと考えれば、担任に私が保健室にいることは伝わっている可能性はあるわけで、ホームルームに行かなくても平気だろうと判断してベッドの上で足を抱え込むように引き寄せる。足を動かした時にシーツがスルスルと滑る音が静かな室内にやけに響いて聞こえた。
正直、だるい体を引きずってホームルームに行きたくないっていうのもあるし、翼に会うのもちょっとしんどいっていうか……
ぐるぐる考えて、気づいてしまった自分の気持ちを持て余している感じ。
気づいたって、結局、片思いなわけで、どうにもならないっていうか。
なにをめざせばいいのか分からなくて困る……
もともと、私と翼は友達でもなんでもなくて。春馬の親友だったから知り合って、春馬に誰かと付き合えばと言われたから偽の恋人同盟を結んで。でも、それもこれもすべてもう意味がないんだよね……
春馬と杏樹は別れてしまって、私は翼を好きになっちゃって……
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
あの日、出会わなければ、こんなに切ない想いをしなくてすんだのかな……?
そんなことを考えてみて、結局は二年に進学して隣の席になって、私が春馬を切ない眼差しで見つめていたら。
「見てるこっちが痛い……」
っとか、表情はいつもみたいに感情の読み取れない仏頂面で、口調は苦々しげに言っただろうなと想像して。翼なら言いそうで、くすっと笑ってしまう。
春馬に引合されて出会ってなくても、結局は翼とはそういう会話をしていたんだろうな。そして不機嫌そうな顔をしながら、私が苦しい気持ちになった時と強く腕を引いて連れ出してくれる。
そんなことを想像して、そうだったらいいなと思う。どんな選択肢を選んでも、翼とは出会う運命だったらいいと思う。だから。
私は翼の側にいられるだけでいい――
もう偽物の彼女でもいられないから、ただの友達でもクラスメイトとしてでも翼とつながりを持っていられるならそれでいい。
他愛もないことで笑いあえる友達の関係。翼の家で見た、触れたら壊れてしまいそうな弱弱しい背中をさせないくらいなら、できるかもしれない。
どうしたいのかいっぱい考えて悩んで、見つけた私の答え。
私の想いは誰にも気づかれないようにそっと胸の奥に締まって、なかったことのように今まで通り翼に接する。
翼が私を避けるなら、私もそれに従う。私からは翼に近づかないし、話しかけない。
だれに片思いしても、結局、私は伝えないことを選ぶんだなって、ちょっと客観的に分析してみる。
本当は気持ちを伝えられたらいい。でも、翼が好きなのは杏樹だって知っているから、私の気持ちを口にして翼を困らせたくない。
私の想いは気づかなかったことにして、言わないのが翼のためなんだ。
そう考えてツキンっと胸に走る痛みに、ぎゅっと唇を噛みしめて抱えた膝に顔を伏せる。
本当は……
そんな綺麗なことじゃない。
翼に迷惑かけたくないとか、そんなんじゃなくて……
翼のためとかいいながら、一番は自分が傷つきたくないだけなんだ。
私の気持ちを翼に伝えて受け入れてもらえなかった時、その衝撃に絶対、耐えられない。辛すぎてすぐには立ち直れそうにもない。
私の気持ちは受け入れられないことが分かっているから、自分の気持ちに背を向けて逃げているだけなんだ。
そんな自分はずるいと思うけど、翼との関係を壊したくないっていう気持ちの方が強くて。
気持ちを伝えても上手くいかないのが分かっているから、せめて友達の関係でも続けていきたいと思う。
それが今の私の揺るぎない気持ちで、ぎゅっと決意を固めるように強く瞳を閉じてる。その時。
ガラガラっと保健室の扉が開く音が聞こえて、突然の事にビクっと体を飛びあがらせる。
私がいるベッドは白いカーテンで囲まれていて、保健室に入ってきた人からはこっちは見えないし私からも見えないのに、大げさな反応をしてしまった自分に呆れる。だけど。
「陽……? そこにいるのか?」
カーテン越しにこちらに向かってかけられた声に、今度は心臓が大きく飛び上がった。
翼――……




