第60話 禁猟区域 side樹生
風船や看板で飾られた校内はいつもとは違う華やかさで、お祭りって雰囲気で満たされている。簡単に朝のホームルームが各クラスで行われた後、クラスや部活や委員会の出し物の場所へと慌ただしく持ち場に移動していく。
三年はクラスの出し物は自由参加で、うちのクラスは国立志望の共通ということもあってクラスの出し物はしないことになっているが、俺は有志実行委員の仕事があるから完全に見る側に回ることはできない。いや、むしろ、忙しいといってもいいかもしれない。
クラスとしては参加しないが、弓道部としては発表会があるし、有志実行委員は展示ブースと有志の劇をやることになっているから、あと三十分ほどで外部の招待者が入れる時間になるというのに、あちこちに指示を出して最終調整を行うのに忙しい。
これでも一応、有志実行委員の委員長だからな……
自分でもぜんぜん委員長って柄ではないとは思うけど、有志実行委員はその名のとおり、委員会っていうよりも部活に近い感覚で、生徒が自主的に行う活動の手助けをするのが仕事で、委員長も前委員長からの指名制という伝統みたいなのがあって、指名されたらやるしかないだろって感じで。まあ、この学祭が俺の有志実行委員長の最後の仕事になるわけだから、張り切ってしまうのは自然なことだと思う。
部活の方は主将の上野や後輩たちが主だってやってくれるから、俺はこっちに集中できるってことで。
「葉若先輩、衣装の最終チェックお願いしますっ」
「はいよ~」
「委員長~、暗幕ってまだ余ってますか?」
「おい、樹生、この入り口の……」
衣装チェックをしていた俺に、クラスメイト兼有志実行委員副委員長の若菜 隼人が声をかけてきて、ブースの入り口の飾りについて話をしている時、ふっと振り返るとそこに陽がいた。
「あれ、陽、どうした?」
陽のクラスは確かクラスの出し物があるはずだから、この時間は忙しく最終準備に追われていると思っていて、ここにいることに若干驚きを隠せなかった。
しかも、俯きがちなその表情が明らかに元気がなくて、気になってしまう。
「ここは隼人に任せるわ」
振り返らずに手に持っていた飾りを隼人に押し付けて、俺は陽に近づいて腰をかがめて顔を覗き込む。
鼻先が触れそうな至近距離から見上げれば、陽がもともと大きな瞳をさらに大きく見開いて息を飲んだのが分かったから、俺は胸がくすぐったくなる想いを隠してくすっと、いつものおどけたような微笑を浮かべる。
「どうした? 俺になにか用?」
俺に用があってきたのでなければ、こんなとこにいないと分かっていながら、陽の口から俺に会いに来たって聞きたくて、ちょっと意地悪してしまう。
ちらっと視線をあげてまた俯いた陽は、言いにくそうに小さな声で呟く。
「えっと、用というわけじゃないんですけど……他に行く場所がなくて……」
途切れ途切れに紡がれる言葉は、俺が欲しかった言葉とは違ったけど、これはこれで胸をついて嫌になる。
俺は張り付けていた微笑をすっと消して真顔になる。
「クラスの準備はもう大丈夫なの?」
「はい、前日のうちに終わってて……」
「そう。ここは有志実行委員の本部兼展示ブースだけど、午前中は劇の方へほとんどがいくから、陽がここにいても平気だよ」
ぱっと仰ぎ見た表情が、ちょっと困惑気味に「本当ですか……?」と問いかけているから、俺は安心させるように微笑む。
「それより、陽は大丈夫?」
「えっと……、なにがですか? 私は大丈夫ですよ?」
それまで明らかに元気がなかった顔を上向かせて、わざとらしいくらい明るく言う陽を、俺は瞳を細めて見つめる。
大丈夫じゃない人ほど、大丈夫って言いがちだけど……
ここで問い詰めても陽は言わないだろうことが想像できるから、俺はほぅっと吐息を漏らして陽の頭をぽんぽんっと数回撫でて、近くにいた実行委員には俺の後輩だと声をかけてから衣装チェックに戻った。
なにかあったとしか思えないような元気のない表情。顔を近づけた時に、額にわずかに浮かんでいた汗に気づいて俺は陽の様子を気に掛けながら、学祭の最終準備に追われる。
ブースの奥の展示と展示の隙間の床に座っている陽は、抱えた膝の上に顔を伏せて縮こまっていた。
最終チェックの澄んだ衣装は慌ただしく控室に運び込まれ、校庭で行われる学祭の開会宣言に向かい、生徒会長の掛け声とともに四季ヶ丘高校学園祭が開始を告げた。
合図と共に、外部からの招待客がわらわらと校内に溢れ、本部であるブースと劇が行われる体育館とを何往復もしてばたばたとして予想以上に忙しく駆け回り、陽に構っていることも出来なかった。
とりあえず一日目の有志実行委員の劇が無事に終わり、劇に参加していた委員やその他の有志の生徒にねぎらいの言葉をかけ、明日の激励をして、慌ただしくブースへと引き返す。約二時間ぶりにブースに戻る際、ブースで待機組の委員と陽に差し入れにパックジュースを買っていく。
ブースの入り口の受付で待機している実行委員に声をかけジュースを渡し、劇で離れている間、異常はなかったか尋ね、少しの会話をしてからブースの奥へと入った。
展示と展示の隙間に膝を抱きかかえて座った陽は、二時間前、ここを離れる時と同じ格好のまま蹲るようにして座っていた。
「陽……?」
すぐそばに片膝をついて小声で話しかけるが反応がない。
寝てしまったのか……?
買ってきたジュースがぬるくなってしまうなとか考えながら床に置いて、かすかに聞こえた苦しげな息づかいにはっとする。
俯いた顔を覗き込めば、額は汗でぬれて前髪が張り付き、僅かに見えている頬は赤く上気していた。
明らかに具合が悪そうな様子に、一学期の終わりにも風邪で倒れたことを思いだす。
陽は昔からこうだった。辛いことでも誰にも気づかれないように一人で我慢して、無理しすぎて倒れてしまうことがある。
気を付けてみていたつもりが、また一人で抱え込んでいたことに気づいてやれなくて情けなくなる。
そっと陽の肩に触れれば、力なくぐらりと体が傾いだから、俺は陽のひざ裏と背中に腕を回して優しく抱き上げた。
「…………っ、先輩!?」
受付で待機している後輩が悲鳴のような驚きの声をあげるが、俺はそれを視線だけで受けてブースを出た。
せっかくの学祭に倒れるなんて……
呆れたような気持ちと同時にたまらなくなって、眉間に皺を寄せて吐息を漏らした。
保健室に向かう途中の廊下は、外部の招待客や四季ヶ丘の生徒であふれかえり賑わっているのに、陽はお祭り気分ではしゃぐどころではないほど悩んでいたのだと思うとやるせない気持ちがどうしようもなく胸に渦巻く。陽が何を悩んでいるのか、詳しくは分からなくても、この間相談されたことや有志実行委員長なんてやってると耳に入ってくる噂話から推測するのは容易だった。
悩みの原因をどうにかしてやりたいとは思うけど、こればかりは俺がどうにかできることでもなくて、どうしたものかなと思い悩む。
階段を下り階段の踊り場を回ったところで、階段を登ってきた男子生徒と視線が合う。
陽のクラスメイトで、そして――……
彼は俺を見た瞬間、不愉快そうに片目を眇め、それから視線が下に移動していく。俺の腕の中に抱えられてぐったりしている陽の姿に気づいて、わずかに開いた唇が動く。その唇からかすかに陽の名前を呟いた声が聞こえた。
嫌悪と驚きが混ざった表情で瞠目した彼に、俺はいつもの軽い笑みを浮かべて話しかける。
「やあ、確か、陽と同じクラスの宇野だったかな。いつも陽が世話になっているね」
楽しげに言うと、宇野は明らかに不機嫌そうに眉を顰めた。
「あんたにそんなこと言われる筋合いはない」
俺のことをただの部活の先輩と思っているからか、はたまたそれ以上の関係だと知っているからか、不愉快そうに吐き出す。
あまりにも予想通りの反応に、くすりと笑みが漏れる。
「ははっ、まあそうだけど。俺にとっては大事な子だから。まあ、君には関係ないことかな?」
意味深に言えば、宇野はギロっと殺気がこもった鋭い眼差しを向けるから、俺は勝気な微笑みを浮かべる。
「一つ、クラスメイトの君に忠告をしてあげるよ」
言いながら、腕の中にいる陽を抱きなおすように腕に力を入れる。
「本当に好きな子には優しくしなきゃダメだよ。そんな不機嫌オーラばしばし出して、優しくないんじゃ、気持ち誤解されるだけだから」
俺は最後まで言い終わる前に階段を下りはじめ、すれ違いざまに視界をかすめた宇野の悔しそうな表情に内心、くすりと笑みを浮かべた。




