第59話 結局、片思い
バケツの水をかけられた後、急に翼が不機嫌になって話しかけても無視されて、翼のころころ変わる態度に振り回されて、胸にもやもやした気持ちが溜まっていく。それに追い打ちを駆けるように、これ見よがしに聞こえるように囁く女子の声が耳にまとわりつく。
「宇野君に無視されて笑える」
「いい気になってるからだっての」
「やっぱり宇野君があんな子にかまったりしないのよ」
移動教室で廊下を歩いている時、明らかに蔑んだような眼差しで噂されて、いろんな思いが渦巻いている私の胸に突き刺さった。
いつ、私がいい気になってた――?
そんなつもりは全然ないのに、根拠のない彼女達の言葉が胸をえぐる。
いつだって翼の不機嫌の理由は私の知らない次元の話なのに、今回の不機嫌の原因はやっぱり私なのかもしれないとか、夜も眠れずに考えてしまう。
どうしてこんなに翼のことを気にしてしまうんだって疑問に思いながら、私はぐるぐると翼の不機嫌の理由を考えて。考えて、考えて……
こんなに翼のことが気になる自分の胸に手をあてて、チクチク痛む胸の原因に思い至ってしまって混乱する。
もしかして、私は翼を――……?
悩んで数日後。春馬と公園で話したことで、翼が私を避けるような態度をとった理由もすぐに分かった。
翼が私に優しくしたり、送り迎えをしてくれて、それが女子のやっかみをかってしまったって気づいて、私のためにわざと冷たくしたの……?
瞬間、私の胸がドキドキと煩くなり始める。
バケツの水をかけられてびしょ濡れになっている私を見て、女子に噂されてることやいやがらせされてることに気づいて、翼が私の側にいると余計に嫌がらせされるから、だからわざと無視して、私が女子に敵意を向けられないようにした。
そう考えれば辻褄があう。
翼が急に私を無視するようになったのは、翼を好きな女子に呼び出されて、バケツの水をかけられた直後だった。
でも。
分かってしまったら、余計にどうしていいか分からなくなる。
いつも無表情か不機嫌な翼が本当は優しいとか、そんなこと、もうずっと前から気づいていた。
いつもいつも私が春馬と杏樹のことで苦しい気持ちになった時、翼がそこから救い出してくれた。
春馬を好きなのに、意地悪で俺様な翼に振り回されて、どんどん惹かれていった――
杏樹に焦がれるように向けた切なげな眼差しも。
甘く響くバリトンボイスも。
吸い込まれそうなほど綺麗な漆黒の瞳も。
いつも無理やりで強引に私の手を引く腕も。
顰め面でぶっきらぼうだけど優しい口調も。
天使が逃げ出しそうなほど妖艶な微笑も。
頬に触れた心地のよい胸も。
触れたら壊れてしまいそうな弱弱しい背中も。
鼻先にかおるすっきりとした香りも。
私を守るように扉についた逞しい腕も。
苛立った表情も、射抜くようなように鋭い視線さえも。
私の心をかき乱して、息もできないくらい苦しく締め付けて、胸を焦がす。
「どっちにしろ片思いじゃん……」
気づいてしまった自分の気持ちに、ぽつりと自嘲気味につぶやく。
春馬への気持ちを伝えないと思いながら、結局は伝える形で私の春馬への恋は終わってしまった。
まだ好きな気持ちは残ってるけど、なんというか男の子としてよりももっと大事な存在っていうか。これで決着っていうか、踏ん切りがついた感じ。
私の好きって気持ちは、いまは翼に向いているから。
でも、結局、私のこの想いは報われないことに気づいて悲しくなる。
私と翼は偽の恋人同盟を組んでる同志で、片思い同士で、翼が好きなのは杏樹で。
気づいた気持ちに動揺も通り越して、今更どうにもなんないじゃんって諦めの気持ちが襲ってくる。どうしようもない想いに、ただため息しか出てこなかった。
これからどうしたらいいんだろう……
いままで春馬に対して隠していたように、今度は翼への気持ちを隠していかなければいけないのかな。
それとも思い切って好きって伝えてみる?
翼はなんて言うかな……
無言で冷めた眼差しで見下されるのかな。なに言ってんだ、みたいな蔑む眼差し……?
それに……
翼が好きなのは杏樹だって知ってるし。
ほんと、「なに言ってんだ?」って呆れられそう。
自分の気持ちに気づいても結局は片思いには変わりなくて、おまけに、やっぱり恋敵が杏樹ってことが皮肉めいてる。
杏樹とはもう、親友に戻れないのかな……
抱え込んだ膝の上に顔を伏せて、想いを馳せるのは杏樹のこと、春馬のこと、そして何よりも強く――、翼のこと。
私達どうなっちゃうんだろう……
仲がいいとはいえなかったけど、楽しく四人で出かけてた日々にはもう戻れない気がして、胸の内がぐちゃっと押しつぶされる。
ほんと、頭の中がぐちゃぐちゃでうまく思考が働かない。
ゆっくりと顔をあげれば、なんだかチカチカと星が瞬いているし、本当に世界がぐるぐる回っていて……
胸の底から押し寄せてくる気持ち悪さに口元を抑えて、そこで私の視界は真っ白に襲われ、意識が途切れた。




