第56話 君の好きな人
「ひなちゃんには絶対に春君をとられたくない――」
杏樹の悲痛な叫びが胸に刺さって抜けない――
友達と話していたことは聞き間違いとか、私は春馬のことを好きじゃないとか、春馬が本当に好きなのは杏樹なんだよとか、いくらでも杏樹を納得させる言葉は頭の中に浮かんだけど、嫉妬に濡れた眼差しで睨まれて私の口から出たのは全然違うことだった。
「中条君と噂になっているのは、なんで……? そんなに春馬を大事に思っているのに、どうして誕生日に春馬の約束を断ってまで他の子の用事を優先したの……?」
千織ちゃん情報では、中条君が杏樹に好意を寄せていることは調理部内では有名なことらしい。部内で有名なら杏樹の耳に入らないはずないし、幼い頃に私と春馬がお互いを初恋と気づいていなかった時にそのことに気づいてい杏樹なら、中条君の気持ちに気づいていないわけがない。
どうして自分に好意を寄せている人と出かけたのか――?
それが私には理解できなかった。
杏樹の誕生日に春馬と出かけていれば、春馬は杏樹の気持ちを疑うことも、私に相談してくることも、私が春馬の初恋だったって聞くこともなかったのに。
「……っ、それは……」
私は杏樹をまっすぐに見据えて、苦虫を噛みつぶしたように途切れ千切れに吐き出される言葉を、ゆっくりと待った。
「ひなちゃんが翼君とは付き合っているフリをしてるだけで、本当は春君を好きだって聞いて不安で……」
「不安になったから?」
「……だからっ、中条君が心配して相談にのってくれて……」
その後の杏樹の言い訳は私の耳に入ってこなった。
不安になったから――?
私が春馬を好きだって聞いた、その一言で?
春馬を疑ったの……?
今みたいに私に問いただすなら分かる。でも杏樹は、私から直接じゃなく間接的に聞いた話の真相を確かめることもせず勝手に不安になって、一番信じなきゃいけない春馬を疑って、自分に好意をよせてる男子に相談したとか――、ありえない……
杏樹の苦しげな叫びにまるで自分のことのように胸が締めつけられたけど、杏樹の身勝手な行動にだんだん腹が立ってくる。
春馬を疑う前に、私を問いただせばいいじゃない――!?
なにもかも順序が間違っているとしか思えない杏樹の行動が自分には理解できない。
黙り込んでいた私に。
「春君に別れようって言われて、でも私は納得してない、まだ諦めいていないから……」
まるで私のせいでこんなことになったのよ、というような殺気の籠った眼差しで吐き捨てて、杏樹はまだ包みを開けてもいないお弁当箱を持って屋上を去って行った。
なんとも言えない後味の悪さに、お箸もぜんぜん進まず、私もお弁当の中身をほとんど残しままふたを閉じて、屋上を後にした。
教室に向かっていると、廊下でお喋りしている女子がすれ違いざま喋るのをやめて私を盗み見て、コソコソと話している。中には明らかに敵意を持って鋭い眼差しで睨んでくる子もいる。まあ、コソコソっていっても内容は聞こえてくる。あの子のせいで篠山さんが……、とか。聞こえなくても想像つくけど。
噂も鋭い視線も、ここ何日も同じようなことされれば慣れてくるっていうか。煩わしいとは思うけど、噂をしている女子の中に実際に真相を知っているのは何人いるのだろう……
そう思えば、なんともないというか。
私は何も恥じるようなことはしてないんだから、噂話にびくびくするのもおかしいと思うのよね。だから堂々としている、噂なんて真実じゃないって言えない代わりに。
でも、噂の原因は春馬の事だけじゃなかったらしい。ということに気づいたのが今……
杏樹とのランチを終えた数日後。お昼休みに部室に忘れ物を取りにいった帰り、教室棟に向かって渡り廊下を歩いてて、気がついたら女子十人に取り囲まれていた。明らかに前回より人数が多いことに目を瞬き、ちょっと派手目な子が多くて、その中に四組の石井さんの姿を見つけて、ああ……と得心する。
前にダンパのパートナーを申し込むために教室まで翼を呼びに来て、その時思い切り睨まれたことを思いだす。
今度は翼を好きな子達ってわけね。
連れて行かれた場所がまた体育館裏だったから、ちょっと噴き出しそうになっちゃったけど、ギロッと鋭い視線を向けられて慌てて口元を手で押さえた。
いまは笑っている状況じゃないもんね……
私は表情を引き締めて、周りを取り囲む女子を見据える。
女子達はひそひそと小声で少し話してから私を睨み付けた。
「単刀直入に聞くけど、宇野君と付き合ってるの?」
「えっ……?」
私はまた、言いたいことだけ一方的に言われるのかと思っていたから素っ頓狂な声が出てしまう。
中央にいた腰に手をあてて立っているショートカットの子が眉間に皺を寄せる。
「聞いてるんだから答えなさいよ」
言い方はなんとなくやわらかいのに、言葉は上から目線って……
内心ため息をつきながら答える。
「付き合ってない」
本当は付き合ってるけど、それは同盟関係の偽の彼カノであって実際は付き合ってはいない。だから嘘ではない、って心の中で言い訳してみる。
でも本当に、付き合ってないし……
メールしたり、休みの日に出かけたりしてるのは春馬の前でぼろが出ないようにするためで、好きあってるからじゃないし……
「私達、宇野君にダンパのパートナーを申し込んで断られたの。好きな子がいるからって。それって逸見さんじゃないの?」
「違う……」
私は言って、自分の言葉に胸がざわついて視線をやや斜めに落とす。
翼が好きなのは、杏樹なんだよ……
翼はダンパのパートナーどうするのかなって思ってたけど、春馬と杏樹が別れたなら杏樹に申し込むのかな。杏樹はでも断るのかな、それとも翼になら……
自分の思考に沈んでいたら、苛立たしそうな声がする。
「じゃあ、宇野君の周りちょろちょろするのやめてよ、めざわりなのよ」
ショートヘアの隣にいた可愛らしい感じの子が口を挟む。それにつられたように、周りの子達が口々に罵倒する。
「宇野君が優しいからって自惚れんじゃないわよっ」
「付き合ってないならなんで朝一緒に登校してるのよ!?」
「宇野君をたぶらかすな」
「宇野君の恋の邪魔したら許さないから」
「あんた、宇野君だけじゃなくて彼女がいるクラスメイトにまで色目使ってるって言うじゃない、最悪」
私は女子達に睨まれて怯むこともなく、まっすぐに顔をあげて鋭く瞳を煌めかせる。
もしかしたらその表情が反抗的に見えたのかもしれない。彼女達はまたいろいろ悪態をついていたけど、どうでもよかった。
「私と宇野君はただのクラスメイトだから」
冷たい口調でそう言って、私は彼女達の輪の横をすり抜けて校舎に向かった。




