第55話 譲れない想い
翼とギクシャクしていたのがいままで通り普通に話したりするようになって、ちょっと浮かれそうになっていたら、杏樹からメールがきた。
杏樹に会うのはどのくらいぶりだろう……
昼休みに八組に来なくなって二週間かな。
私はお弁当を片手に持って、屋上へと続く階段をちょっと憂鬱な気分で登っていく。
杏樹がいう“話”っていうのにはなんとなく心当たりがあって、どんな顔して行けばいいのかわからなくて困る。でも、行かないわけにもいかなくて。
屋上は出入りが自由にできて、お昼休みもそれなりに人がいるから、この前みたいに杏樹の友達にいきなり囲まれるとか嫌がらせされるってことはないと思うけど。
ちらっと耳に入った噂が本当なら……
これから死刑台に上がるような張りつめた空気で、階段を登る足取りが重たくなるのは仕方がないと思う。なんとか最後の一段を登り切り、私は開け放たれたままの扉から屋上に出た。
瞬間、吹き抜けるのはじめっとした空気。照りつけるのは秋を思わせる爽やかな日差しが屋上いっぱいに降り注いでいる。もうすぐ九月も終わろうとしているのに、まだまだ半袖でも暑いくらいの気温に私は眉根を顰めた。
屋上にはすでに昼食をとる生徒がちらほらといて、その奥、給水塔の横に立った杏樹の姿を見つけて、私はまっすぐ奥へと進んだ。
杏樹が一人だったことに内心胸をなでおろし、表情がうかがえる距離まできてにこりと笑いかけた。それに対して、杏樹はわずかに口の端を動かして微笑を浮かべ「こっちで食べよう」と言って、給水塔の裏の日陰へと回った。
夏場みたいに照りつけるような日差しじゃないし、日陰でも湿った空気のおかげで温かいから別にいいんだけど。
屋上の死角のとなる場所というのがなんだかな……
うまく言葉に出来なくて、屋上の手すりのでっぱりに腰を下ろした杏樹の少し距離を開けて隣に座って膝の上にお弁当を置いた。
吹き抜ける空気よりもじめじめっとした沈黙に耐えられなくて、お弁当の包みを開けながら他愛無い会話を口にする。
「四限に数学の小テストやったんだけどね、直前まで解いていた問題の板書が消されてなくて――」
「……っ、…………」
楽しいランチタイムを目指して、そんな数学教師の失敗談を話し始めた私の声は、杏樹の声にならない声でかき消された。
視線だけを動かして横を見れば、俯いた杏樹はお弁当も開けずにぎゅっと膝の上で両の拳をぎゅっと握りしめていた。
「杏樹……?」
杏樹の横顔は俯いてて、ふわふわの髪が顔を覆っていて表情は見えない。
戸惑いがちに名前を呼ぶと、握りしめた手にさらに力を込めたのが分かった。
「春君をとらないで……」
嗚咽交じりに、悲愴な声で吐き出された言葉に、私は瞠目する。
杏樹の瞳からはぽたぽたと涙が零れ落ち、制服のスカートの上に落ちては吸い込まれていった。
「えっと……」
突然、泣かれたことにも、その言葉にも動揺して私は声がぎこちなくなってしまう。
「とるもなにも、私と春馬はただの友達だよ? それに私は翼と付き合ってるし……」
そう言うしかなくて、言いながらなんだか傷ついてる自分を誤魔化したくて額にかかる前髪をかきあげて、情けない苦笑が漏れる。だけど。
「もういいよ、知ってるから……」
嗚咽交じりの、だけどもさっきよりもはっきりとした声音で言われて私はきょとんと首をかしげた。
「えっ、なにが……?」
「翼君とは付き合っているフリをしてるだけなんでしょ? ひなちゃんが本当に好きなのは春君だから……」
その言葉に息をのむ。
どうして――……、私の気持ちを知っているの……
声にならない疑問。だけど驚きと戸惑いの表情で杏樹を見れば、顔をこっちに向けた杏樹が私をまっすぐに見据えている。その瞳は涙にぬれているのに、針のようにきらめかせているから、まるで私のすべてを見抜かれそうな、心の奥底に閉じ込めていた想いすら見透かされてしまいそうな眼差しにぶるっと体を震わせる。
「ど、うして……」
途切れ途切れに、やっと出たのはそんな言葉だった。
この想いは気づかれちゃいけない、そう思っていた。
気づかれていない、そう思っていたのに、私の春馬への想いに杏樹は気付いていた――!?
私から視線をそらして空を見据えた杏樹は項垂れるように俯き、か細い声で喋る。
「聞いてしまったの、中庭で。ひなちゃんが友達と話してるのを」
その言葉に、自分の想いが透けて見えていたわけではないことに安堵したけれど、結局は自分の気持ちが杏樹に気づかれてしまっていることに、自分の失態を呪いたくなる。
友達との会話……って、春馬や翼とのことを話しているのは千織ちゃんだけだ。きっと千織ちゃんと話しているのを聞かれたのだろう。なんて迂闊なの……
悔やんでも今更どうにもないのは分かっているから、ここからどうやってそれが違うと納得させるか、思考をフル回転させて考えようとしたのだけど。
それまで悲しみに満ちていた杏樹の表情がぐちゃっと歪んだの見て、やるせない思いにぎゅっと唇をかみしめた。
「ひなちゃんがうちの学校になんか転校してこなければ、こんなことにはならなかったのに……っ」
嫉妬をにじませて苦々しく表情を歪めて吐き出さえれた言葉に、私はひゅっと喉の奥が苦しくなる。
自分が悪いわけではないけど、杏樹の苦しみが身につまされて、何も言えなかった。
「小学校に入った時から、春君の隣は私の場所だった。家も近くて、幼稚園だって小学校だって一緒だった。ずっと春君にとって特別な女の子は私だった――ひなちゃんが小三で転校してくるまでは。
幼稚園でも小学校でもずっと同じクラスだったのに、初めてクラスが別れた小三の時、ひなちゃんが転校してきてあっという間に春君と仲良くなっていって、気がついたら春君の隣の場所も特別な女の子もひなちゃんになっていた。そこは私の場所なのにって何度思ったか。
でもひなちゃんも春君もお互いを大事にしすぎててそのことに気づいていなくて、そうこうしているうちにひなちゃんはまた転校していった。春君は鈍いからひなちゃんのこと好きだって最後まで気づかなくて、私はそれにつけこんでひなちゃんが転校していった後、春君の一番近くにいる女の子に戻った。中学になってまたクラスが別れちゃったけど、春君が入部したバスケ部のマネージャーになって、簡単なルールくらいしか分からないバスケも春君と話がしたいから勉強したし、マネージャーの仕事だって頑張った。女の子としても意識してもらえるように努力もした。高校も頑張って勉強して一ランク上の春君と同じ高校を受けて合格して、やっと想いを打ち明けて春君と付き合えるようになった。それなのに……っ
そんな時にひなちゃんが戻ってきた。ひなちゃんは私の大事な親友だけど、それ以上に絶対に春君を好きになってほしくない相手だった。だって春君の初恋はひなちゃんだから、ひなちゃんには絶対に春君をとられたくない――」




