第50話 ピリオドを打った恋
「俺の初恋は陽だったんだよ――?」
口調は他愛無い会話を話すような気さくさなのに、斜めに見据えてくる視線は真剣で、射抜くような眼差しに心が囚われる。
えっ……、いま、なん、て……?
真剣な眼差しはそのままに、ふわっと目元を和ませて太陽のような眩しい笑みを浮かべた春馬は、ゆっくりと口を動かす。
「小学生の時、陽のことが好きだった。ずっと一緒にいられると思ってたから陽が転校していなくなって、毎日がどんなに寂しかったか――、陽に分かる?」
小学校で三度転校を繰り返して、同じ学校に一年以上いることのなかった私が初めて一年以上を同じ小学校で過ごした。三年続けて同じクラス、隣の席になった春馬は太陽みたいなキラキラの笑顔がいつも眩しくて、春馬といるとそれだけで楽しくて、馬鹿みたいに騒いで笑って、毎日がキラキラしていた。でも小五の夏、両親から引っ越すことを告げられて、結局、春馬への想いを伝えることなく転勤先の長崎へと引っ越していったのだ。
恋と自覚するほどではない淡い恋心だったけど、春馬と離れることは寂しくて一晩泣いたのは今でも覚えている。
私の転校を春馬も同じように寂しく思っていたという言葉に、まさかっていう思いと嬉しいって気持ちが湧き上がってくる。それと同時に小さな不安が少しずつ膨れて胸をジクジク締めつけていく。
「中学に入ってクラスで付き合い出すやつらがいる中で「ここに陽がいれば」って何度思ったか、陽には想像つく――?」
射抜くような熱っぽい瞳で見つめられて、静かな口調で尋ねられて私はぎこちなく首を横に振ることしかできない。
女子校だったから想像できないとかそういうことじゃなくて。
春馬の言っている言葉が理解できない――
言っている意味は分かる、だけど、それって……
長崎に転校してすぐの頃、一度だけ春馬から手紙を貰ったけどその手紙の内容は他愛もない近況報告のようなものだったから、返事を出さなかった気がする。
それなのに――
私は額に手を当てて、悩ましげに眉根を寄せる。
記憶に霧がかかっていて思い出せないけど、小学校の私と春馬はいい友達だった。今みたいに、苦しい気持ちを隠して友達の仮面をかぶっているんじゃなくて、純粋に側にいて楽しくて、自分ですら自分の気持ちに気づかないような。
それなのに。
小学校の時、春馬が私のことを好きだった……?
思いもよらない告白に、思考がめちゃくちゃにこんがらがっていく。
春馬の初恋が私――!?
じゃあ、私と春馬は両思いだったってこと……?
でも春馬は「初恋だった」って過去形で言っていたんだよ。昔の話なんだよ。
のぼせそうになる気持ちを抑えるために、自分に言い聞かせる。それなのに、胸の中には矛盾なところが浮かび上がる。
それじゃあ、なんで今この話をする必要があるの――?
頭の中でいろんな考えが飛び交って、なにも言葉にすることができず黙り込んでいた私に、春馬は自嘲気味な笑みを口元に浮かべる。
「陽が転校していなければ……、もっと早くこっちに戻ってきていれば……、そんなことばかり考えた。俺は、陽と付き合いたかった……」
春馬の瞳の奥には焦がれるような熱が、何かを強く求めるような光があって、やりきれないほど切なくなる。
そんなもしもの話をされても今更どうしようもないのに。
春馬は杏樹と付き合ってるのに……
胸に苦い思いがこみあげてきて、一緒にいろんなものが堰をきって溢れてくる。
「そんなこと言わないで……っ」
そう言った声が、嗚咽交じりで掠れていることに自分自身驚いたけれど、言葉は止まらない。
「そんなふうに、簡単に好きだったとか言ったらダメだよ。そういう気持ちはもっとちゃんと大事に……っ」
うまく言葉がみつからなくてもどかしい。
ずっとずっと、言いたくても言えなかった言葉。
小学校の頃も、五年ぶりに春馬に再会した時も、私が言えなかった言葉。
春馬には杏樹っていう彼女がいて。
春馬も杏樹も小学校来の親友で二人とも私にとって大事だから、春馬を好きっていう私の気持ちは胸の奥底に厳重に鍵をかけてしまって気づかないふりをしてきた。面には出さないように、気づかれないように。
それなのに、どうして杏樹と付き合っている春馬がいま、そういうことを言ってしまうの――
目元から溢れてくる涙を手首で拭って、私は非難めいた視線を春馬に向ける。
「春馬は杏樹っていう彼女がいるじゃない……!? さっき、付き合うならちゃんと好きな子としか付き合わないって言ったばかりでしょっ、杏樹のことが好きなのに、そんなこと言ったらダメなんだから……」
悲痛な声音で訴える私に、春馬は苦しそうにギュッと唇をかみしめて、かすれた声で吐き出す。
「杏樹のことは――好きだよ」
その言葉が胸に突き刺さる。
やっぱり好きなんじゃん、ってどこで非難する自分がいてビックリする。
春馬は机の上で組んでいた手で前髪をくしゃっとかきあげて、視線を机に落とす。
「でもそれは友達の延長だったのかもしれない……、杏樹のことは好きだし、大切に想ってる。でも……、陽と一緒にいる時のほうが俺は自然でいられるし、杏樹もきっとそうなんだ、だから俺以外の男と」
「そんなこと……」
春馬の言葉にかぶさるように口を開いて、「そんなことない」って言おうとしたのに言葉に詰まる。春馬はあまりにも切なそうに微笑むから。
つい語気を荒く春馬を攻めてしまったことを後悔する。私はなんとか首を横に振ることで、春馬の言葉を否定した。
半年、春馬と杏樹をそばで見てきて、二人が勘違いで付き合っていたなんて思えない。お互いがお互いを一番大切に想っていて、想い合っているのが伝わってきた。だから、私の想いは打ち明けないって決めてたのに。
「なんでいまさら……」
ぎゅっと奥歯をかみしめて、涙交じりの小さな呟きを漏らして俯むいた。
「別れようって言ったんだ――」
その言葉に、ビクっと心臓が大きく震えた。
私は反射的に顔をあげて春馬を振り仰ぐ。
「杏樹は嫌だって言ったけど、それは今までの関係が崩れるのを怖がっているだけで本当は俺を好きだからじゃないんだ。中条ってやつのことが本当は好きで……」
中条君……
杏樹の噂について千織ちゃんから聞いたときに出てきた名前をこんなとこで聞くとは思わなくて、心臓が跳ねる。
春馬と杏樹が別れる……?
その言葉が脳内にこだまする。
春馬は私を好きで、杏樹は中条って人を好きで……
わからない、わからないよっ!
杏樹を大切に想っている春馬の優しさに惹かれた。そういう春馬の良さが幼い頃の淡い恋心に上書きされて春馬に惹かれていたんだと思ってた。春馬と杏樹は私が思い描いていた理想の彼カノ、憧れの二人で、仲が良すぎる二人を見て苦しく思うときもあったけど、春馬の隣にいるには杏樹が一番ふさわしいって、どこかで納得している自分がいた。だからずっと友達の仮面をかぶってきた。自分の想いを伝えないって決めて。
きっと、そういう恋だった。
そんな憧れだった。
それなのに、いまさら春馬に好きだって言われても困る。
嬉しいけど、そうじゃなくて、私は……
ぐちゃぐちゃの思考の中、ボロボロと涙が零れ落ちて滲む視界の中、私の脳裏にちらついたのは――
『俺に惹かれてくれるなら、裏切り合う関係でもいい――』
強い眼差しで言い切った翼の姿だった。




