第5話 氷雪の眼差し
最悪の春休みが終わって、新学期。二年に進級してクラス替えもして新しい気持ちに身が引き締まる……なんて私には無縁かもしれなくて、わざとらしいくらい大きなため息をついて、頬杖をついた両手で頬を包んだ。
出席番号順に座る私の席は、窓側から二列目、前から二番目の席。
二年生からは進路別に文系、共通、理系ってクラス分けされるから、文系の杏樹と理系の私はクラスが分かれちゃうのは分かっていたけど、春馬も理系志望だったとか、知らないし……
ちらっと斜め右前を見れば、そこには振り返って椅子の背もたれに肘を置いて喋っている春馬の姿。
まさか同じクラスとか、ありえないし。しかも。
振り返った春馬が話している相手は宇野君で――
つまり、私の右隣の席に宇野君が座っているってこと。
神様はほんと意地悪だ……
どうしてよりにもよって春馬と宇野君と同じクラスにしちゃうかな?
理系クラスは二クラスだから確率は二分の一だけどさ、せめて春馬とは違うクラスにしてほしかった。
同じクラスってだけならいいけど、苗字が飛鳥と逸見と宇野で近くじゃ、掃除班がおなじだったり移動教室で席が近かったり、なにかと春馬の側にいることが多くなってしまう。
春馬がそばにいるとドキドキして授業に集中できないなんて言わないけど、でもやっぱり……
ちらっともう一度、視線だけを動かして春馬を見て、喉の奥がきゅーっと締め付けられる感覚に、私はぎゅっと目を強くつぶった。
胸の一番奥、しっかり蓋をしたはずの気持ちがそこから出たがって、カタカタと箱を揺さぶるから、切なくて胸が苦しくなる。
こんなに近くにいて、私はちゃんと親友でいられるのかな……
そんな不安を抱えながら、二年生がスタートした。
※
斜め前の席に春馬、隣の席は宇野君っていう席がなんだか波乱万丈な日々を予感させてはいたけど、それはあくまで学校にいる間のことだと思っていた。
なにが理由かは分からないけど、宇野君が私のことを嫌っているカンジなのは分かっているし、できればもう宇野君に関わりたくないって思っていたのに、どうしてこうなるかな……
私は内心ため息をつきながら、きゃっきゃはしゃぎながら前を歩く杏樹とその隣を歩く春馬の後姿を見て、視線をすぐにそらした。
そらした視線の先に、艶やかな黒髪を揺らしながら歩く宇野君がいて、私はますます憂鬱な気分になる。
それもこれも、いきなり部活が休みになるからいけないんだ。
うちの高校は県内最大級のグラウンドを完備、部活動にかなり力を入れている。県立には珍しく温水プール完備だし、グラウンドは第一と第二グラウンドがあって、その横にはテニスコート、その奥に武道館まである。はじめてこの高校にきて何に驚いたって、グラウンドの広さや武道館じゃなくて、昇降口横の廊下にはずらりと並んだ県大会や関東大会のトロフィーやメダルの多さ。設備が整っているだけじゃ、ここまで成績出せないでしょ。
転校先にこの高校を選んだのは家から通える距離だっていうのもあるけど、弓道場があるから。
前の学校に弓道部があって始めた弓道。転校ばかりで、いままで習い事を続けることもなかなかできなかった私は、弓道はできれば続けたいと思っていた。
で、県内最大級を誇るグラウンドを完備するだけあって、グラウンドの使用曜日が決まっていて週の半分くらいしか部活動がないってことはなく、毎日各部活が活動する場所が確保されている。
弓道場は弓道部くらいしか使わないからもちろん毎日部活もあるのだけど、今日は三年生の大半が用事で来れないうえに顧問もいないということで急きょ部活休みという連絡が昼休みに回ってきた。それがいけなかったんだと思う。
私達が八組なのに対して、杏樹は一組と一番離れたクラスになってしまったんだけど、毎週金曜日はうちのクラスにきて昼食を一緒に食べている。
どっちかというと私じゃなくて春馬に会うために? 来ているんだから私は一緒じゃなくてもいいじゃんって思うんだけど、金曜日だけは普段食べている女子グループとは離れて春馬と杏樹と一緒にお昼を食べている、流れで……
それでもって、もちろんそこには宇野君がいるわけで……
だって春馬は他の曜日も宇野君と一緒に食べてるしね。
もう二度とこのメンバーでは一緒に出掛けたりしたくないって思っていたのに、皮肉にも金曜は仲良くランチタイムです。
宇野君とは特別話したりしないから別にあの日ほど気まずくはないけど。ってか私以外とも宇野君はあんまり喋らないんだけど。
今日はそんなランチタイムに部活休みの連絡が届いて、ちょうど帰りにどこに行こうかと話していた春馬と杏樹(と宇野君)に一緒に帰ろうと誘われたというわけ……
ちなみに、春馬と宇野君は中学はバスケ部だったけどいまは帰宅部、杏樹の調理部は活動は週に二日。
三人で帰ることになるのは時々あったけど、今は三人じゃなくて宇野君含めた四人なわけで、複雑な関係がさらに混線しているというか……
あの日以来、このメンバーで帰りに寄り道することになって、不安になるのは仕方ないと思うんですよ。
ちらっと、今度は地面に向けていた顔を上げて隣を歩く宇野君を見据える。
さらさらの黒髪、斜めに分けられた前髪の下には意志の強そうな切れ長の瞳、通った鼻筋と形の良い唇は横から見ても端正な顔立ちなのが分かる。見上げるほどの長身、濃紺のブレザーをすらっと着こなし、モデルだっていわれても納得するくらいスタイルも抜群だ。
私だって身長は百六十センチあって女子にしては少し高い方だけど、それでも宇野君の顔を見るならかなり首を傾けないと見えない。
私の視線が胸くらいで、頭が肩くらい? きっと百八十センチは優にあるよね。
高校でもバスケ続けないのがもったいないくらい背が高い。
運動神経はどうかわからないけど、学校の制度で留学してたくらいだから成績はいい方だろう。
二年になって数週間だけど、クラスの女子が宇野君のことを噂しているのをよく聞く。確かに、顔より、スタイルよし、頭よし? これで性格よしならもういうことなしでしょって思うけど、私が知る限り宇野君は俺様だよね。それに。
感情をのぞかせない表情と淡々とした口調、それに何より、氷雪のような鋭い視線が痛い。
仏頂面って言葉よりはクールって言葉が似合うけど、性格よしとは言えないよね? 社交性が欠けているっていうか。
いまだって、学校を出てから宇野君は一言も話していない。まぁ、話しかけたりしない私もいけないんだけど。
そんなことを考えながらずっと宇野君を見ていたら、視線を感じたのか宇野君がジロっと私を見下ろした。
「なに?」
「えっと……」
そりゃあ、不躾に見ていたのは私だから不機嫌に聞かれても仕方がないけど、とっさに言葉が出てこなくて口ごもると。
「あんたさ」
そう言った宇野君の瞳が不意に鋭さを増して、私の視線を絡め取った。
「そういう目で見るのやめれば?」
一瞬、なんのことを言われているのか分からなくて首をかしげた私に、宇野君は追い打ちをかけるように続ける。
「もしいま春馬が振り返ったらばれるぜ?」
表情はいつもと変わらなく涼しげなのに、口調は呆れというよりも苦々しい。
言いながら前を向いた宇野君につられて視線を向ければ、先を歩く春馬と杏樹とだいぶ距離が空いてしまっていた。
「見てるこっちが痛い……」
その言葉に既視感を覚える。
春休み中、待ち合わせの駅前で初めて宇野君を見かけた時。杏樹を見つめる宇野君の切なげな表情を見て、見ているだけでこっちまで胸が締め付けられるような切なさと苦しさが混じった悲愴な表情だと思ったっけ。
もしかして、私もいまそんな表情をしているの――?
思いもよらないことを指摘されて驚くと同時に。
そういえば、あれ以来、宇野君の切なげな表情を見ていないな――なんて、ぜんぜん別のことを頭の片隅で考えていた。