第42話 振り回されて
樹生先輩に注意されて、ほとんどの一年生が的前に上がって気が緩んでいることやまだまだ一年生には教えなければいけないことが多いと二年生は痛感させられた。翌日の部活は前日と比べて、ぴんっと張りつめた空気の中で粛々と行われた。
初めから理由なしに怒っているのではないと分かっていても、ここまで効果があったことに内心驚かずにはいられない。
怒られ損ではないのはいいことだけど、先輩がどこまで鬼副主将仮面の効果を読んでいたのか計り知れなくて、謎めいた人だなと思わずにはいられない。だけど、それだけでは終わらなかった――
「逸見、この的とこの的と、この的と、あとそっちに積み上げた的は張りなおしな」
部活終了後すぐ、まだ一年生が自主練をするかどうか二・三年生に聞いて回っている時、安土の横に設けられた倉庫のなかでなにかガサゴソやっている樹生先輩に呼ばれて行ってみれば、大量の的を押し付けられた。
「ええっと……」
戸惑って、言葉に詰まっていると。
「いいから持っていって」
と、優しげなのに有無を言わせない何かを漂わせたにこりとした笑顔で言われてしまえば、逆らうわけにもいかない。
確か的張りは一年生が週末にする仕事のはずで、今日はまだ火曜日なのにな。
そんなことを考えながら的を数個重ねて運んでいたら、そのことに気づいた一年生が私のとこに駆け付けてきて「手伝います」と申し出るから。
「倉庫にもまだ的があるからそっちを運ぶのお願い。あと、的張するからその準備もしてね」
そう一年生に指示を出して、弓道場の外、武道館の廊下に的を運んだ。運び終わって道場に入ると、まだ残っていた二年生だけでなく、三年生にも「的張りをするから手伝って」と樹生先輩が声をかけていた。
用事がなくて手伝ってもいいと言う二・三年が数人と一年生が八人。 一年生は片づけの最中だったかから全員が残っていて、先輩がいるのに先に帰るわけにはいかず強制的に的張りに参加することになった。
幅二メートルほどの廊下に古新聞を敷き詰め、端に積み重なった的の的紙を破る人、糊を作る人、的紙を準備する人。約二十名が狭い廊下に集まってガヤガヤと作業にとりかかる。もちろんその中には樹生先輩も主将の上野先輩もいる。
なんで、いきなり的張り?
って、内心首を傾げたけど、的張りなんて数ヵ月ぶりで、久しぶりにやる的張りは新鮮だし楽しい。
糊作りに手間取っている一年生がいれば、三年生がコツを伝授してくれたり、黙々と新聞紙を的に張っていく部員もいたり。
三年生と一年生がこんなふうに一緒に作業することはほとんどなくて、三年生の存在に若干萎縮していたけど、作業をしながら他愛もない会話が学年関係なしに交わされて、緊張感がどんどん薄らいで、和気あいあいとした空気で満たされた。
もしかしたら、昨日怒って若干張りつめすぎた空気を和ませるために学年関係なく的張りをすることにしたのかな――そんなふうに思って、ちらっと視線を樹生先輩に向ければ、一年生の女子と楽しそうに会話している。そのちゃらちゃらした姿からは、本当に昨日の鬼副主将と同一人物ですかって問いかけたいくらい、軽いカンジの空気が流れていて、ちょっと呆れてため息をついてしまった。
※
予定よりもだいぶ遅くに部室に戻ってきて、鞄の中にしまっていた携帯を確認したらメールの着信があった。
それは、夏休み中ずっとバイトで忙しいと言っていた翼からだった。
忙しいとか言いながら必ず一日に一通以上はメールしてくる翼を、同盟で成り立っている偽物の彼カノなのに律儀だなぁと感心していた。まあ、内容はそんな大したことじゃない。今日はバイトでどこに行ったとか、お昼ご飯に何を食べたとか。
届いていたメールもそんな内容だと思って開いた私は、予想外の内容に驚きすぎて、思わず携帯を二度見してしまった。
『週末バイト休みだから、どこか出かけよう』
素っ気なくて、たったの一文なのに、足の裏側から全身に甘い痺れが伝って胸をぎゅうぎゅう締め付ける。
べっ、べつに嬉しいとかそんなんじゃなくて……っ!
遊ぼうって言ったらバイトで忙しいって冷たく断ってきた翼からの誘いにビックリしただけで。
夏休みも残り一週間に迫って、結局、夏休みは翼と一度も会わないままだったなとか考えてたタイミングだったからで。
なんだかふにゃっと緩みそうになる顔を、ぎゅっと眉間に皺を寄せて引き締めた。
ちょうど見たい映画があったから週末は映画を見るということで、翼とは数通のやりとりで週末の予定が決定した。
ちょっと楽しみな予定ができて、私は残りの部活もいつも以上に気合いを入れて頑張った。
頑張りすぎて、筋肉痛で迎えた週末――
いちおう外でするデートは始めただからと、ちょっとは気合い入れて洋服選んだり化粧もちょっとしてみた。いつもはパンツスタイルだけど、今日は映画だから赤のプリーツスカートにアップルグリーンの水玉のシャツを合わせたんだけど。
待ち合わせ場所に来た翼の表情はあからさまに不機嫌で、冷たい塊を胸に押し込まれたようにヒヤリとする。
会う前から不機嫌なんだから、その理由は私には関係ないって分かっているのに、翼を取り巻く雰囲気がこの上なくピリピリしていて、冷たい眼差しが端正な面立ちによってより鋭さを増している。
楽しみにしていた夏休み最終日の映画だったのに、あまりにも不機嫌な翼を前に、夏休みなんか早く終わってしまえ――と思わずにはいられなかった。




